その1
ニルヴ・オブライエン、それが彼『女』の名前だった。
東京都山口市ノースポイント自治区域の、イスラム教徒ゲットーに生まれる。
イスラム教徒の子女として厳格な教育を受け、ノースポイント区立第8中学校を卒業後、ただちに婚約者ケンザブロウ・ハキムと結婚し、今に至る。
ニルヴ・オブライエンは、睡眠回復槽から胎児のごとく捻り出された。
そして、思い出せたのが上記の記憶だけであった。
ケンザブロウって誰だ? 顔を知らない。
日本の東京に山口市なんてあるわけがいだろうが?
……そもそも、両親の名前を思い出せないとはどういうことだ?
そして、なぜ結婚から今に至って、機械からひり出される羽目になっているのか?
混乱するニルヴの周囲にも、睡眠回復槽から胎児のごとくひり出される女達がいた。
そして女は目の前にも何人となく立ちすくんでいて、後ろからもどんどんとひり出されている。
皆一様に浮かべた表情は、困惑。
まったく何もない部屋に、ごろごろと産み出されてきたばかりだ。
たしか自分は、どんな男なのかまったく覚えが無いケンザブロウの妻で、具体的なことは一切思い出せないが、まあまあの生活を送っていたという記憶がある。
女たちは互いに自分を知らないかと問い合い、なぜ自分がここにいるのかと情報交換を始める。
証券会社勤務、大学職員、そして学生や教師、パン屋の職人など、様々な経歴を持っていた。
しかし、具体的な記憶がまったく無い。パン職人は、肝心のパンの作り方自体を知らなかった。
出身がアメリカのフィレンツェ州の教師は、そもそも母国語であるはずの英語がロクに喋れない。なにより、フィレンツェ州などという出鱈目な地名はない。
室内に軽快なジングルが鳴り響き、正面の……女達がひり出された睡眠回復槽の反対側の壁に、巨大な徽章が映し出される。
国連外宇宙開発局。
「みなさん、おはようございます。計画が順調に進んでいれば、私はいま全裸の女性たちの注目を一身に浴びていることでしょう。まことに残念です、ひとめ見たかった」
画面の中央に映った男が、軽いジョークのように言った。
「そして、いくつか疑問がおありのはずです。自分の記憶が何かおかしい、母国語のはずの言葉がうまく喋れない、知ってるはずのことを知らない……そして、なぜ何の脈絡も無くこの空間に閉じ込められているか? とかそういう感じの疑問です。
これからこのビデオでは、その疑問に回答していきます。淑女の皆さん、どうか今からしばらくお付き合いください」
「さて、人口過密状態となった地球では、外宇宙の殖民可能惑星に向けて開拓者を募っていました。
しかし、フロンティアスピリッツを失った一般大衆は外宇宙への開拓に興味を持たず、地球の中で閉塞した、犯罪や事故などの危険の多い日常生活を送っています。
そこで国連が着目したのは、犯罪者の皆さん。すなわち、あなたがたです」
全裸の女達全員に、動揺が広がる。
なにせ全員、自分が犯罪を実行した記憶が無いのだ。
「あなたがたが今持っている記憶ですが、名前と経歴を含めて全部が私の私物のコンピュータで1秒間に7人分づつランダムジェネレートした、あからさまな偽物です。周囲の人に尋ねてください、固有名詞が違うだけで後はまったく同じ部分的記憶を持っている人がいるはずです」
皆口々に、自分の経歴を話し出す。自分と同じく、イスラム教徒がほとんどいないはずの地域出身のイスラム教徒が何人もいた。しかも、地名はぜんぶ出鱈目だ。
「皆さん、困惑されていると思います。なぜなら、誰にも犯罪の記憶が無いからです。
しかし、皆さんが犯罪者であることは、否定しようのない事実であります。
ここでは、なぜあなたがたにこのような処置を施す必要があったのか? まずその疑問にお教えしましょう。
人間には、生まれながらの犯罪者は『滅多に』いません。犯罪者は、犯罪を誘発する悪い環境から確率論的に誕生するものだからです。
だから皆さんは、犯罪者としての生い立ちの記憶を消去し、偽物の記憶を植えることにより、犯罪者としての経験や記憶を封印しているのです。
いずれにせよ、つまらない犯罪者の記憶を上書きするための偽物の記憶なので、過去にはあまりこだわらずに、過去の罪の意識や自己探求などにとらわれず、これからの生を思う存分エンジョイしてください。
次に、皆さんは本当はごく数名を除いてほぼ全員が元男性です。
しかし、外宇宙探索においては繁殖力こそが最大の懸念事項であり、大脳が制御する肉体にはすべて妊娠機能が備わっている必要があるのです。つまり男は贅沢品であり、すくなくとも殖民第1世代には必要ありません。
それゆえに、身に覚えはないと思いますが、ここにいる300余人中実に99%が元男性となっています。だから元男性であるということは、なんら特別なことではありませんし、忘れていただいて結構です。
もしかしたら、あなたは本当にもともと女性だったのかもしれません。しかし、そうであったとしても過去はいずれにせよ悲しむべき犯罪者であることには変わりありません。
次にあなた方の体は、すべてが標準装備品の石油樹脂製品の筋組織とステンレスの骨格で構築されたサイボーグ儀体となっています。
大脳への栄養補給と妊娠出産のために、雌豚由来のシングルカートリッジ式オーガン(内臓)パッケージ、通称『腸詰』を装備しています。この腸詰は寿命が約7年、平均5回の出産に耐えるように設計されていますが、癌化などの不具合がない場合でも5年を目処に交換してください。
なお現在3分の1のクルーは現時点で既に妊娠、約1割のクルーは臨月に近づいているはずですが、他のスタッフが妊娠中のスタッフのフォローを心がけてください。
なお妊娠は、子宮に品質検査に合格した受精卵を外挿する形式で行われますので、たとえ男性が一人もいなくても理論上はほぼ無尽蔵に優秀な人類の子孫を残せます。
なお、ここまで言われても抗議の声を上げる方は、設計上いないはずです。周囲をご覧ください、誰もいませんね?
これは、皆さんの小脳には常時暴力衝動を抑制するホルモン分泌器官が追加されていて、緊急時以外は常にホルモンが分泌している状況となっています。皆さんは、そうして慎ましくハッピーに新天地で子育てにいそしむことが出来るのです!
過去の罪を忘れ、新しい命を育むことで罪を償ってください!
……もしかしたら、あなたたちが人類最後の生きこのりかも!?」
最後に、記録日時は2045年3月27日という、328年前の日付を指してビデオは終了した。
ビデオの男が冗談のように言った最後の台詞はとてつもなく重く、誰一人として笑える者がいなかった。
シリコンとステンレスと豚の臓物、それが彼『女』らの肉体を構成するすべてだった。
長文過ぎて読み込みの不具合が出ていたようなので、章分けして再掲載します