九話 催しと穏やかな娘
今日もいつもと変わらない、穏やかな日常を過ごすことを考えていた優。
傷はすでに完治し、普段の優へと戻った。
あの夜から、少し音姫、もとい紬の態度は多少なりとも変わった。
下僕とは言わず、名前で「優」と呼び、以前のように見下すこともなく、過酷な雑用も押しつけることはなくなった。
優自信、それは嬉しいことなのだが、いざ仕事がなくなると、それでいいのかと考えるようになった。
自分は拾われ、いわば居候の身。何か手伝いをしなければ、返って落ち着かなくなってしまう。
そのことを紬に相談したのだが、紬は
「よいよい。優はのんびり毎日を穏やかに過ごせばよいのじゃ。それとも何か、わらわのお仕置きが必要なのか? まったく、優はおかしなやつじゃの」
そんなことを言い、仕事はなくなった。
それからは、優は常に庭に出て真剣で素振りをするようになった。
やることと言えば、今はこれしかなく、大好きな剣道もでき、佐祐との再戦も考えているので、これはこれでいいとも思ってきた。
しかし、いまいちパッとしないのが、自分の今の立ち位置。
下僕でないとすると、自分の身分は何なのだろうか。
別に、優はこの時代のものではなく、身分や地位に興味もなければ、それを得ようとも思わないが、どうもスッキリとしない。
これなら、まだ下僕として紬の側にいた方がまだ良い気がする。
別に自分はM体質ではない。これだけは、はっきりと言っておく。
そして、優はさっそく紬に自分の役職を紹介してもらおうと、相談に押し掛けた。
「うむ。優の言い分はよくわかったぞ」
紬は納得したようにうなずく。
「ならば、わらわが優の職を与えてやる」
「おう。掃除でも何でもしてやるぞ」
優は気合いの入った声で答える。
「うむ。優の役職はわらわの側近じゃ」
「……え?」
「なんじゃ、気にくわんのか?」
紬が拗ねたように口を尖らせる。
「いや、側近は佐祐さんじゃ……」
「佐祐は昇格して大将じゃ。あやつも立派な武士じゃからのう」
「でも、いいのかな?」
「いいに決まっておる。わらわが決めたのじゃ。変更はないぞ」
紬は満足気に笑みを浮かべる。
「でも、俺が側近で、みんなが納得するかな。側近って、それなりに強い人がするんだろ? 主を守る役職だし。ならば、みんなに俺の力を認めさせなきゃ」
「それなら心配いらぬ。つい最近、佐祐を倒したではないか」
「ああ、まぁ、そうだけど……」
「これ以上の詮索は無用じゃ。優は胸を張って、わらわの側近と名乗るが良い」
こうして、釈然としないが、優は紬の側近として、働くことになった。
次の日から、紬は殿をはじめ、佐祐の父上に値するあのちょび髭野郎などに、優が側近になったことを報告する。
紬の父である殿はすぐに了承した。さすが娘に溺愛しているだけのことはある。
しかし、やはりこの男は納得していなかった。
「納得いきませね! 姫様の側近は我が息子の佐祐のはず! そんなよそ者に側近をまかせるなど、笑止千万! まずはそれなりの力量を見せつけるべきでは!」
相変わらずうるさいおじさんだ。優がそんな目で見ていると、近くにいた佐祐はクスクス笑っていた。
すると、じっと聞いていた紬は立ち上がり声を発した。
「おい、そこのちょび髭!」
「ちょ、ちょび髭!?」
あの馬鹿。俺が前にいったことを、怒り任せにいってしまいやがった。
おかげでちょび髭は戸惑っている。佐祐は腹を抑えながら笑いを堪えていた。
「さっきからごちゃごちゃと、わらわの意見が聞けぬと申すか!」
「し、しかし、一国の姫様を守るものが、そんな妙な奴ではこちらも不安で納得できませぬ。それなりに。この小童に覚悟があるのか、それを確かめさせていただきたい」
「……認めさせればいいのだな」
「あ、はい」
「ならば、こういうのはどうじゃ」
紬は笑みを浮かべ、大々的に発表する。
「国一番の強者を決する試合をするのは」
「な、なんと!」
その企画に皆ざわざわと騒がしくなる。
「参加者は誰でも良い。一般人でも誰でもな。特別に見学も自由じゃ。せっかくじゃから、城下のものも参加させよう。それで優が優勝すれば、そなたも認めざるを得ぬじゃろう?」
「も、もちろんでございます」
「うむ。詳しいことは後日報告する。以上じゃ!」
紬が満足気に座る。
隣で佐祐はにやっと笑った。
「優殿。どうやらあのときの決着は近いうちに着きそうじゃな。楽しみにしておるぞ」
「……もちろんですよ」
こうして、国一番を決める、日向統一決定戦が始まった。
次の日から、この事を国中に広めるために皆動きに動いていた。
試合会場の設備や、観客席の設立、報告やルール、道具、企画、運営など、やることは大いになった。
なにより、紬はこの大会で上位にいったものは、すぐに中級、または上級武士、もとい商人や農民などは武士になることを約束した。このことが広まり、町を初め、皆気合いが入っていた。
優と紬は城下を歩きながら、皆暇があれば素ぶりをする人たちを眺めていた。
「うわ~、みんな竹刀持ってるよ。すごいな」
「ま、昇格など簡単には行かぬからな。この千載一遇の機会に、昇格しようとするものが多いのだろう。
商人や農民よりも、武士のほうがそれなりに待遇は良いからのう」
「へぇ~。でも、何で誰でも見学することを許したんだ?」
「ん? もちろん」
紬は優の方を向き可愛らしく笑みを浮かべる。
「そなたの力を国中に広めるためじゃ」
「て、まだ俺が優勝できるかわかんないだろ」
「大丈夫じゃ。そうじゃな、優勝するなら、優か、あとは佐祐くらいじゃろう」
「ま、確かに佐祐さんは強いけどな」
二人は一通り町を回り、城へと戻ってきた。
優は自分も練習しようと思い、真剣の代わりに竹刀を持って素振りを始める。
真剣をずっと握っていたせいか、竹刀だとやはり軽く感じる。つい力みが出てしまった。すぐにこの重さに慣れなければ。
優は迅速かつ丁寧に、一つひとつ集中して振っていく。
少し休憩しようと、優はふっと息を吐いて息を整える。
そのときだった。
「どうぞ、優様」
目の前には綺麗な手ぬぐいがあった。
「あ、ありがとう」
優はそれを受け取る。そのとき、初めて渡した人を見たのだが、そこにいたのはとても美しい女性がいた。
歳は紬や優と同じくらいで、同じように黒く長い髪、しかし、どこか穏やかで優しさのある雰囲気を出し、おっとりとした感じの人だった。
綺麗な肌に、大人びた顔立ち、そして女神のような瞳。紬もなかなかの美少女だが、ここにいる人も負けないくらいの美少女だった。
その女性は可愛らしく、ニコッと笑みを浮かべた。
「お初に、優様。わらわの名は霙と申します。優様のお噂はかねがね耳にしております。どうぞ、よろしくお願いつこう奉ります」
霙はぺこりと頭を下げる。
「あ、その、いえ、こちらこそ」
顔を上げた霙は優しく微笑んだ。その笑顔を見て、優の顔は赤くなってしまった。
「それでは、これにて失礼します。今度の催し物、優様の活躍に激励申し上げます」
霙は最後までお淑やかかつ丁寧に振る舞い、去っていった。
「……可愛い人だったな」
そんな言葉をつい呟いてしまう優だった。
「ああ、霙にあったのか」
優は紬に彼女のことを問いかけた。
「あの子この城に住んでるの?」
「霙は上級武士の子でな、わらわも何度か話を交わしたことはある。ま、どうも箱入り娘って感じで、どうも好きになれんがの」
「まぁ、確かに、紬よりもずっとおしとやかだしな」
そこで紬の眉がピクッと動いた。
「なんじゃ? わらわはおしとやかではないと?」
紬が怒りの形相で優を見下してきた。優は何度も頭を下げる。
「ま、霙はマイペースな奴じゃからのう。容姿もそれなりに美人じゃし、男たちから人気もある。秀才でもあり、いわゆる完璧な奴じゃ」
「へぇ~」
「ま、わらわよりかは劣っておるがの。ふふふふふ」
紬が不気味に笑っていた。
それにしても、また会えないだろうか。
そんなことを、優はつい考えてしまっていた。
大会まで残りわずかとなった。
ここで簡単にルール説明をすると、剣道とだいたい同じであるが、武具なし、使うものは竹刀で、年齢制限なし、時間無制限で、相手に一本取れば勝ち。一本というのは、面、小手、胴、突き、どれかに綺麗に当たればいいのだ。場外はないが、審判が目に見えないところまでいけば無条件で失格。方式はトーナメントで、優勝者には賞金もあり、上位に進めば昇格もあり得るという。
紬は優の側近になるための催しだが、殿や大将にしてみれば、新しい戦での逸材の掘り出し物探しに持って来いだった。
優は庭でイメージトレーニングをしていた。縁側には陽姫がいた。
「のう、お兄ちゃん。お兄ちゃんもあの催し物に出るのだろ? 絶対一番になってくれよ。わらわは応援するぞ」
「ありがと。今回は確かに負けられないな。紬の側近にもならないといけないし、佐祐さんとリベンジしなければ」
「リベンジ?」
「再戦のことだよ」
「なるほど」
そのときだ。
「精が出ますね、優様」
その穏やかな声に、優はさっと振り返った。
そこにいたのはやはり、霙だった。
「汗が出てますわ。これをどうぞ」
霙は手ぬぐいを渡す。優は礼を言って受け取った。
「もうすぐですね。心から激励申し上げます」
「ありがと」
優は嬉しさのあまり、顔を少し赤らめてしまう。
すると、突然霙は優の顔を掴み、じっと見つめて来た。
「え? あ、あの、何か?」
「……凛々しい顔をしておる」
「え、あ、その……」
「……優様は、誰かと契りを交わしましたか?」
「え? 契りって……?」
確か、契りは結婚の意味があった気がする。
「べ、別に誰とも……」
「さようですか……」
霙はそっと手を離し、ニコッと笑みを浮かべた。
「楽しみにしております」
そう言い残し、霙は去っていく。
優が呆然としていると、横から陽姫が近づいてきた。
「お兄ちゃんは、霙殿を知っておるのか?」
「あれ? 陽姫ちゃんも知っているの?」
「うむ。何度か遊んだことがあるぞ。とても優しくてな、なんだか心が落ち着くのじゃ」
「へぇ。たしかに穏やかな印象だよな」
そして、ついに統一戦が訪れた。