七話 実践と守護
次の日の朝から、優は庭で素振りを始めるようになった。
もちろん手には真剣が握られている。
まずは真剣に慣れなければならない。掴み心地、重さ、雰囲気、どれも竹刀とは比べ物にならない。
今まで自分がしていたことがママゴトみたいだ。
優はじっと構える。
この真剣の恐怖。これを克服しなければならない。恐怖に勝って初めて、真剣をものにできる。
手のひらに感じる柄からの感触を一部にし、集中力を研ぎ澄ましていく。
周りの音が止み、静けさが取り巻く。心を無にし、邪気が消えていく。
優は目を閉じながら、そっと真剣は振りかぶる。頭の上に構える。そして、そっと開き、素早く振り落とした。
綺麗な風切り音が響き、優の目の前でピタッと振動を殺し止まる。
優は緊張を解き、ふっと息を吐く。
大分慣れてきたが、佐祐に勝つにはまだまだだ。もっと真剣を自分のものにしなければ。
優は真剣を鞘に収め、腰に添える。
そのとき、縁側から音姫が声をかけて来た。
「おい、下僕。稽古もいいが、その辺で飯にするぞ」
「お、おう」
優は手ぬぐいで汗を拭きながら縁側に腰を降ろした。
「どうじゃ、真剣には慣れたか?」
音姫が腰を落とし、顔を覗きこんでくる。
優が持っている真剣は、音姫が所持していたもので、あまり使わないということで、借りたものだ。
「いや、まだまだだな。このままじゃ、何とか動けても、あいつには勝てないな」
「じゃが、竹刀では勝てたではないか。それなら」
「いや、そうもいかないんだな。竹刀と真剣じゃまったく違う。竹刀には実際に刃がないが、真剣には刃がある。その刃が相手と垂直や並行にならなければ、まったく切れないからな」
音姫は納得するが、心残りであることを打ち明ける。
「……なぁ、下僕。一つ聞いてもいいか?」
「ん?」
「そなたに……人を切る勇気があるか?」
その言葉に優は俯いてしまう。核心をつかれ、正直戸惑う。
自分に人を切ることができるだろうか……。
前に陽姫に言った言葉、『戦を無くしてほしい』とは、つまり人を殺すなともとれる。
優自身、人を殺したくもなければ、切りたくもない。
「下僕。別に無理に戦わなくていいのだぞ。気にせず、子供たちと遊ぼうではないか。陽姫の面倒も見てくれ」
優は視線を降ろし、そして頭を振った。
「……悪いな、姫様。ここで逃げるわけにはいかないんだ。俺はどんな条件でも、剣だけは負けたくないんだ」
優は顔を上げて笑みを浮かべる。
「俺よりも強いのは、一人で十分なんだよ」
その素顔に音姫も納得する。
「そうか。じゃが、剣術だけでは体に悪い。たまには気分転換も必要じゃ。このあと寄るところがあるのだが、下僕も来い。きっと、興味深いところぞ」
音姫は着物を翻し、部屋へと入っていく。
二人は城を出、馬小屋へと訪れる。
今から馬に乗るのだが、優は馬に乗ったことがない。音姫にそそのかされ、乗馬しようとするが、少し馬が走るだけで倒れてしまう。
仕方なく、前に優、その後ろに音姫と、格好悪い乗り方で行くことになった。
二人は城下へと向かい、町の中を通り、奥の森の中へと踏み込んでいく。
「ここは……」
優がつい言葉を漏らす。目の前の光景、それは二人が出逢ったあの泉がある場所だった。
「どうじゃ。ここに来るのも久しぶりじゃろ」
「ああ」
優はそっと泉に近づき、そして空を見上げた。
この上から自分は落ち、この時代へと訪れた。空には何もなく、白い雲と輝く太陽があるだけ。いったいどこから落ちてきたのか、皆目見当もつかない。
「下僕は、自分の時代に帰りたいか?」
「……ああ。あの時代で、俺はやりたいことがたくさんあるんだ。絶対帰ってみせる」
「……別に、ずっとここにいてもいいのだぞ。無理に帰らなくても……。わらわの城で暮らせばよい」
「ありがとう。でも、俺はこの時代の人じゃないんだ。……歴史は、変えちゃいけない」
「……そうか」
音姫は寂しそうに俯く。
「でも、だからってすぐには帰んないよ。佐祐にまだ勝ってないし、まだまだこの時代のことも知りたいしな」
そこで音姫の表情がパッと明るくなった。
「そ、そうじゃな。ここが飽きたら帰ればよい。それまでずっとここにいろ」
「おう。そうさせてもらうぜ」
二人は木陰に座り、太陽の光で反射する泉を見つめる。
風の過ぎ去っていく音、それに伴って揺れる木々、飛んでいく草葉、鳥のさえずりと、自然を満喫できる最高の場所だ。
ここまで心が穏やかになる場所は他とないだろう。現代はなんとも愚かなことをしたのだろうか。
「……ここはな、わらわが幼いころから良く来た所でな、嬉しい時も、悲しい時も、苦しい時も、ここにきてはこうして座り、心を癒したものじゃった」
「そうか」
「下僕の時代では、こんなところないか?」
その問いかけに対し、優はうつむきながら少し重い口を開く。
「……俺の時代では、多分、こんな場所はほとんど残されていないな」
「そ、そうなのか?」
少し音姫が驚いて聞き返す。
「ああ。未来はこんな綺麗な場所は残さず、人口の多い国は、自分の住み家、施設、会社などを建設するために、埋め立て、開拓と新しいものを作り、壊し、自然を破壊していく。こんな大自然を残すのは、簡単なことのはずなのに、難しい問題と変わってしまった」
「どうにかできぬのか? せめて、ここだけでも」
優はゆっくりと首を振る。
「多分、ここも埋め立てられ、新しいものに変わるだろうな。この泉も、木も、山も、どんどん消えて行く」
「そうか……」
音姫は寂しげな顔になってうつむいてしまう。すると、突然顔を上げて、後ろを振り返ると小太刀を抜いた。
「なにするんだ?」
音姫は名案を思い浮かんだかのように、木に向かって何かを掘っていた。それを見て優は軽く吹き出してしまった。
「なにやってんだよ。そんなもの掘りやがって」
そこに掘られてあるのは音姫の名前だった。
『音姫のもの。無断での伐採は禁ず』
「そんなこと書いても、いつまでもつわからないぞ」
音姫は爽やかな笑顔を見せ、満足げに腕を組む。
「よい。少しでも残れば、それでな」
優はそっと笑みを浮かべる。
「そっか」
そのとき、草陰の方から物音が聞こえた。ガサガサという音。明らかに風で揺れた音ではなく、雑草を踏み締める音。
優は耳をそば立て、警戒心を極限に高めた。
「ん? どうしたのじゃ、下僕?」
「静かに」
優は音姫の口を紡ぐ。その行為で音姫も警戒し始めた。
優は息を止めじっと周りを見渡す。あまりにも静かで自分の心臓の音が聞こえるほどだ。というよりも、緊張と不安のせいで鼓動が高鳴っているのだ。
どうか自分の予想が外れて欲しい……。
しかし、それは無残にも裏切られた。
木の陰からすっと人影が伸び出てきた。他にも違う場所から出てくる。そこには軽装な服装をし、手には真剣が握られている。
「山賊……」
音姫がぼそっと呟く。山賊となれば、狙いは音姫の持ち物だろう。
優は音姫を庇うように手を広げる。
すると、リーダーらしき男が口を開いた。
「これはこれは、お姫様がこんなところで何をしてらっしゃるのですか? いや、そんなことどうでもいいか。ほら、わかってるんだろ? 無駄な抵抗は止めて、金目のものを出しな」
「生憎、そなたたちにあげるものは持ち合わせていないのでな。目障りじゃ、さっさと立ち去れ」
さすがというべきか、どんな状況でも音姫は強気だな。でも、この状況はさすがにまずい。
相手は凶器を持った山賊が五人。こっちは二人。といっても音姫じゃ相手にならない。実質一人。どう見てもこちらのほうの分が悪い。
逃げようにも、すぐに追いつかれてしまうだろう。馬は山賊の一人がすでに奪い取っている。退路はない。
優はチラッと自分の腰に収められているものと、山賊たちが持っているものを見る。
やるしかないか……。
優は鞘に手を当てると、すっと真剣を抜いた。そして目の色を変え、山賊たちを睨みつける。
「げ、下僕……」
「いいか、俺がやつらを引きつけるから、その間にお前は逃げろ」
「い、嫌じゃ。下僕を置いてそんなこと――」
「いいから言うとおりにしろ!」
「っ……」
突然の優の怒声に音姫は押し黙る。
「今だけはいうことを聞いてくれ。今姫が死んだら、悲しむのは誰だよ」
「うっ……わかった。しかし、……頼むから死なないでくれ」
音姫はぎゅっと優の制服を掴む。優はニッと笑みを浮かべる。
「死ぬかよ。もとの時代に戻るまではな」
「おい、なにこそこそしてる!」
一人の山賊が刀を振り上げ、優に振り落としてくる。優は真剣を上げ、何とか受け止める。
そしてガラ空きになった胴に優は打ち込もうとする。
よし! これは入る。
確信したそのときに目に入ったのは、
「あっ」
自分が手にしているのは真剣。人を殺すことのできる武器。いつも握っていた竹刀とは訳が違う。
切られれば死ぬが、切れば同様に死ぬ。これをこのまま振り抜けば、この山賊は死ぬ可能性がある。
迷いが生じる。優の真剣がぶれ、力も弱まる。
優は固く目を瞑った
自分には……できない。
「なにしてんだ?」
はっと我に帰る優。しかし遅かった。
胴には真剣は当たらず、優はおもいっきり腹を蹴られ、後ろに吹っ飛び仰向けに倒れる。
鈍い痛みが腹からじわじわと襲いかかってくる。優は痛みに耐え、ゆっくりと起き上がろうとする。
そのときだ。
「は、離せ! 無礼者!」
優の目の前に映っている光景は、音姫が山賊のリーダーに腕を引っ張られているところだった。抵抗するが、大の大人に敵うわけない。
「大人しくしろ。抵抗しなければ、命まではとらねーよ」
優は焦るように立ち上がり、助けに行こうとする。しかし、痛みで上手くあるけない。
「くそっ……。おい! その手を離せ!」
「下僕……」
全員が優の方を見る。リーダーは合図すると三人の山賊が優を囲み、鋭い目つきで睨みながら真剣を構える。
優はさっきの自分の甘さに喝を入れた。
もう迷ってはダメだ。確実に死んでしまう。生き残るためには、音姫を助けるためには、……相手を切り、勝つしかない。
「うおりゃああ!」
一人の山賊が刀を振り上げ力強く振り落とす。優はぎゅっと真剣を構え、体を流すように突っ込み、がら空きになった胴に真剣を打ち込んだ。
「うおおおおお!」
優は力強く打ちつけ、確実に入ったことを確認すると切り抜いた。
「うっ……」
山賊は腹を抑えその場にうずくまる。
その間に残っていた二人の山賊が襲いかかってきた。
優は真剣を横に構え、鋭い目つきで睨み、集中力を高める。
一人の山賊の刀が振り落とされる。優は受け止めるように真剣を上げるが、それをフェイクにし、そのまま体を横に反らし、真剣を下げる。
勢いのある山賊の刀は地面に突き刺さる。その隙に優は真剣をくるっと回すように振りかぶり、そのまま山賊の頭におもいっきり落とした。
そしてそのまま素早く残っている最後の一人に近づく、山賊は焦っているにもがむしゃらに切りかかる。
優はいとも簡単に避け、山賊の手に真剣を打ち付け、そして真剣を半回転させ、柄で山賊の首に突き当てる。
「ぐあっ」
全員の山賊はやられ、地面に寝そべっていた。
その光景を山賊のリーダーや音姫は呆然と見ていた。
優はすっとリーダーの方を振り返り、冷酷な目を向ける。
「……離せよ」
リーダーは怖気づくかのように舌打ちをした。
「このままガキ相手に怯んでたまるか!」
リーダーは恐ろしいことに、音姫に向かって刀を振り上げた。音姫は恐怖で動けずにいる。優はすぐに音姫の下に走り出す。
「終わりだ」
リーダーの刀が振り落とさせる。音姫はぎゅっと固く目を瞑った。
「うおおおおお!」
その叫び声で音姫は目を開けた。横から勢いよく飛び出した優が音姫の前に来る。真剣でガードする。
しかし、リーダーの刀はガードをすり抜け、優の目上の額を切られた。
「下僕!」
優はそのまま地面の上に倒れた。傷口からは赤い血が大量に流血している。
「下僕! ……おい、下僕!」
「……最後だ」
音姫は後ろを振り向く。そこには刀を振り上げているリーダーの姿。音姫は優を庇うように覆いかぶさり、ぎゅっと目を瞑った。
そのときだ。
「誰だ、お前! うわっ」
そこでリーダーの手が止まる。そこには、馬を見ていた山賊の一人がやられており、真剣を持っている佐祐が立っていた。
「姫様!」
佐祐が素早くリーダーの前に立つ。そして簡単にリーダーを倒した。
その間に、音姫は何度も優に向かって叫んでいた。
「下僕! おい、下僕! 目を覚ませ! 頼むから、目を開けてくれ!」
優は痛みを堪え、そっと少しだけ目を開ける。
目の前には涙でぐしゃぐしゃになっている音姫の顔があった。何度も自分を呼びつけ、力強く体を揺する。
優は音姫の無事を確認すると、視界はだんだんと暗くなっていた……。
気づけば、優はいつのまにか布団の上で横になっていた。目を開ければ天井が見える。
「気がついたか」
優はそっと声のした隣を見る。そこには佐祐ともう一人知らない男がいた。医療道具などを持っているので、おそらく医者なのだろうと思う。
そこで自分のおかれている状況を理解した。確か、山賊に切られ、そのまま倒れていたはず。
誰かが助けに来て、自分はここまで運び込まれたのだろう。
佐祐は医者に何かを伝え、そのまま医者は部屋から出ていった。
「まったく。無茶しおって。ま、傷なら心配するな。すでに治っておるはずじゃ。……姫様のおかげでな」
音姫のおかげ? 応急処置でもしてくれたのだろうか。
頭には包帯が巻かれ、意外にも痛みが消えて、何ともなかった。まるで完治しているように。
「あ、あの、佐祐さん。音姫、あ、いや、姫様は?」
「心配するな。今は少し疲れて自分の部屋で眠っておる」
佐祐はすっと立ち上がると、部屋から出て行こうとする。そして取っ手に手をかけたとき、ぼそっと呟いた。
「あの山賊たちで、離れた場所で三人が倒れていた。別に傷は無いのだが、何か強い打撃を与えられたかのように。……いつまでも、お主は甘いの」
そういって佐祐は出て行った。
その言葉で、優は佐祐が何を行っているのかわかった。
あの三人の山賊を倒したとき、優は切って倒していない。全て、峰打ちだったのだ。
確かに、自分は甘いかもしれないな……。
そのとき、突然バンッと大きな音を立てて戸が開かれた。そこには息を切らしながら立っている音姫がいた。
「あ、お前、大丈夫だったのか」
すると、音姫は目にいっぱいの涙を浮かべ、ぽろぽろ流しながら、優の前に座るといきなり怒鳴ってきた。
「この愚か者が! どれほど心配したと思っておる! わらわに心配かけるなど、下僕ごときが十年早いぞ!」
「え? あ、その、ごめん……」
まさか怒られるとは思わなかった。
すると、音姫はすっと優に抱きつき、胸の中に顔をうずくめ、肩が小刻みに震えていた。
「音姫?」
「……もう、嫌なのじゃ」
「え?」
音姫は止まらない大粒の涙を流しながら、優の服を力強く掴み、訴えるかのように言う。
「……もう、わらわの下から友が消えるのは嫌なのじゃ。……誰も、死んでほしくないのじゃ。……もう、失いたくないのじゃ」
音姫の声に嗚咽が混じる。
「もうあんな恐怖は味わいたくない……。どんどん消えて行く友の声、存在……。さっきまでいたはずなのに、もういないなど……。こんな寂しさは、もう嫌なのじゃ……」
「お前……」
「もう下僕とは言わん……。もう馬鹿にもせん……。だから……、だから……、わらわのそばから離れないでくれ……」
そのまま音姫は子供のように声を上げながら泣き続けた。
優はそっと優しく音姫を抱き、柔らかく頭を撫でた。
いつも強気な音姫が見せる初めての弱気な姿。それが強く印象的に記憶され、そして初めて……倒す剣道ではなく、守る剣道を学びたいと思った……。