六話 剣術と決意
「稽古?」
朝の食事をしながら、優は音姫に冷静に聞き返した。
「あ、ああ……。その、佐祐がな、姫の下僕になる以上、それなりの武術は持ち合わせなければならないといって……」
どこか歯切れの悪い様子で音姫が説明する。
すると、襖が開かれ、佐祐が頭を下げながら入ってきた。
「お食事中失礼する。優殿。我が名は佐祐と申す。姫の側近として仕えている身で、若頭でござる。是非とも、優殿と手合わせ申し上げたいのであるが」
「で、でも、佐祐。別にこやつは剣術など関係なかろう。優はこの時代のものじゃない。戦にも出ることもなければ、無理に覚えさせることなど……」
音姫は優に剣術を覚えさせたくないのか、慌てた様子で止めようとする。
「いいえ、姫様。申し訳ありませぬが、下僕と言いましても、何かある時は姫様を守りとおさなければなりません。何も備えていないよりも、少しでも剣術を身につけなければ」
「し、しかし、じゃな……」
音姫は少し心配気味に優を見る。
「な、なぁ、下僕。無理にする必要はないぞ。剣術など、覚える必要はない。そ、それよりも、わらわと一緒に町に出かけよう。子供らにまた新しい遊びを――」
「いいよ」
「え?」
優はご飯を食べながら答える。音姫はキョトンとなる。
「剣術、やってやるよ」
「い、いや、でも――」
「そうかそうか。それはありがたい。では、後ほど道場で」
そういって佐祐は部屋から出て行く。音姫はすぐに優に問いかけた。
「よ、よいのか、下僕?」
「ああ。ちょうど体を動かしたかったんだ。長くしないと鈍るしな」
鈍るという言葉に音姫は少し疑問になるが気にせず説得しようとする。
「だ、だがな、おぬしは別にそんなこと……」
「なんだ、心配でもしているのか?」
何気ない優の言葉に、音姫の顔がパッと赤くなり、すぐに腕を組んでそっぽを向く。
「べ、別に心配などしておらぬ。ただわらわは……」
「へへ。ま、見てろって」
優は余裕のある笑みを浮かべてご飯を食べて行く。
この魚上手いな。
食事を終えると、二人は城内にある道場へと足を向ける。
近づくに連れ、活気ある声が次第に大きくなっていく。
「ここじゃ」
音姫が戸を開けると、そこには多くの武士が剣術に励んでいた。
「おお、やってるやってる」
優は呑気に中に入る。音姫は少しおどおどしながら着いて行く。
その姿に前にいた佐祐が気づいた。
「お、優殿。来たでござるな。では、さっそく手合わせ願おうか」
「ええ。いいですよ」
優は制服の上着を脱ぎ竹刀を借りる。準備運動をしているとき、音姫が話しかけて来た。
「お、おい、下僕。本当に大丈夫なのか? 無理せんでもいいぞ。佐祐は道場一の強者で、その腕は誰もが認めるほどで……」
「心配ねーよ。それより、姫様。ちょっと賭けしないか?」
「賭けじゃと?」
「そ。俺が勝ったら、その下僕ってのは辞めてもらうぜ。ちゃんと名前で呼んでくれ」
「なっ、そ、それは……」
「いいだろ?」
優は軽く素振りをしながら含み笑う。音姫は悩んで末、仕方なく了承した。
「……勝ったらじゃぞ」
「へへ。約束だぜ」
門下生たちは端の方に座り、音姫は上座にいた。真ん中にスペースを作り、優と佐祐が対峙している。
剣道と違うのは、どちらも防具をつけていないところだ。
「手加減はせぬぞ」
「本気で来てください」
お互い竹刀を構える。それを確認し、審判は手を上げた。
「始め!」
佐祐は声を上げようとした。
「やっ……ぁ……」
しかし、声が止まってしまった。目の前にいる自分よりも背の小さい少年。しかし、今は遥かに大きく見える。
どこにも隙のない構えと集中で砥ぎすまれた目。始めてまだ一歩も動いていないのに、汗がこめかみを流れた。
なんだこの威圧感。今まで感じたことのないものだ。雰囲気、いや周りの空気が重く、自分に纏わりついているようだ。
「どうしたんですか? 来ないのですか?」
「な、なに?」
そのとき、優の剣先が動く。素早い動きを見せ頭を狙ってくる。佐祐は間一髪で頭を竹刀で守り、当たらずにすんだ。
「いい反射神経してますね」
優はそのままガラ空きの胴に竹刀を動かす。佐祐は後ろに俊敏に下がり間を取る。
「へへ。良い反応ですね」
優は余裕の笑みを浮かべ見下してくる。佐祐は奥歯を噛み締めた。
まさか、これほどまでの腕前とは……。明らかに油断していた。
「すごい……」
音姫も唖然と見ていた。
まさか、あやつがここまでの腕とは知らなかった。体つきから多少の武術は身に着いていると思っていたが、まさかここまでの腕前とは……。
優は軽くジャンプをしてリズムを取り、ふっと息を吐いた。
「それじゃ、決めに行きますよ」
「……なぬ?」
優と佐祐の間が一気に狭まった。優の瞬発力は半端なものではない。剣先が佐祐の喉を襲う。佐祐は首をずらし、その剣先から逃れる。しかし、
「そう来ると思いましたよ」
そこで佐祐は気づいた。剣先の軌道が変わり、下に向けられる。優が狙ったのは喉ではなく……手。
バシッ!
竹刀のぶつかり合う音が響いた。優の竹刀は佐祐の竹刀に当たり、佐祐は竹刀を落した。
「俺の勝ちですね」
優は竹刀を肩に置きながら呟く。
誰もが呆気にとられ、目の前の状況に釘付けになっていた。審判は我に返ると優に手を上げる。
「そこまで! 勝者、優!」
その結果に誰もが息を呑んでいた。あの佐祐が負けたことが信じられないのだ。
音姫はつい立ちあがってしまった。
「あやつ、あの佐祐に勝ちおった……」
優は音姫の視線に気づく。優は笑みを見せると、ブイサインを見せた。
「ま、待て!」
佐祐が優を睨みつけ突然声を上げる。乱れた息を整え、流れる汗を拭うと口を開く。
「まだ勝負はついておらん。次は竹刀ではなく、真剣で勝負じゃ」
「……いいですよ」
優は目を細め、ふと笑みを浮かべた。
お互い再び真剣を握り構える。しかし、そこで異変が起きた。
「な、なんだこれ……」
初めて見る真剣。研ぎ澄まされた綺麗な刃は光で反射し輝いていた。包丁よりも長く、竹刀と同じ長さだが切れ味はまるっきり違う。切られれば……死ぬ。
佐祐は真剣を構え、気迫のある目つきで優を睨む。
前に聞いたことがある。剣道などの試合は、試し合いと書き、自分の力量を知るための稽古である。しかし、一昔前はこう呼ばれていた。
しあいは、死合と書く。つまり、殺し合いだと。
優の手は震えていた。本能がわかった。体が悲鳴を上げていた。負ければ死ぬ。切られれば痛みを伴う。自分の人生が……終わる。
甘く考え過ぎていた。真剣を握ったこともないくせに、容易に承諾し刀を握る。今自分が本物の馬鹿だと気付いた。
竹刀とはまるで違う雰囲気を纏った真剣。現代ではそうそうお目にかかれない唯一のこの時代の武器。
自分が先に進んでいる時代だからと油断していた。その油断が自分の首を締め付け、そして愚かさを物語っていた。
「初め!」
審判の声が響いた。はっとした優は顔を上げた。目の前には真剣を振りかざす佐祐の姿。
優も真剣を上げて防ごうとする。しかし、恐怖のせいか体がうまく動かない。頭で分かっていても身体がいうことを利かない。もう真剣はそこまで来ている。
やられる……。
「うっ!」
優は目を閉じた。死んだ。自分は、ここで死んだ。
しかし、痛みは襲ってこなかった。いくら待っても頭に真剣の刺さる感触は来ない。
そっと目を開けると、そこには自分の真上で止められた真剣があった。
自分を見下し、少し蔑むような目で見ながら、佐祐はすっと真剣を引き、鞘に収めた。
優は呆然としていた。そして生きていることがわかると、どさっとその場に尻もちを着いた。
「大丈夫か?」
音姫が優しく声をかけ駆け寄る。
すると、佐祐が背を向けながら口を開いた。
「お主、どうやら真剣での手合わせは初めてのようじゃな。これは失敬した。じゃが、真剣を持っただけでそこまで弱体化するとは片腹痛い。われらはいつもその恐怖と戦っている。いつ死ぬかわからぬこの身、己の身体が国を守るために、われらは戦っている。それも分からぬ小童に」
佐祐は振り返り、優を睨んだ。
「一国の姫を守る責務が務まるか」
その言葉に優は呆然とする。
「さ、佐祐! そこまでいう必要はなかろう! こやつはな!」
「姫様。あなたも少しは考えて行動してください。勝手にお城を離れ、どこぞと知らない者と会話をし、そして人気のないところに足を踏み入れるのは危険すぎます。もっと自分の身を大切にしてくだされ。姫様の身に何かあったからでは遅いのです。この国が平和に、そして庶民やわれらがこうしていられるのは、姫様次第なんですから」
「うっ……。くっ……」
音姫は何も言い返せず、口を閉ざしうつむく。
「優殿。今問う。そなたに姫様を守る力がおありか? 共にいる権利がおありか? 今のそなたでは、この時代で生き抜くことすらできぬ。そんなお主に、人を守ることはできぬ」
優はうつむき、そして深く考えた。
なぜ自分は姫の側にいる。音姫が下僕として一緒にいるようにしたからだ。
しかし、一国の姫様の側に、こんな得体の知れない不審者を側においていいのだろうか。
それも心配であり、皆が気になっていたことは、この如月優が姫を守れるほどのやつかどうかなんだ。
確かに剣道の腕に自信はある。竹刀を持てば、そこらへんのやつに負けたりしない。
でも、それは現代での話。ここには現代にはないものがある。それが真剣。真剣を当たり前のように持つこの時代で、自分の力は通用するのだろうか。
なければ、姫のそばにいる資格は……一切ない。
音姫は佐祐を睨みながら、浮き出る涙を堪え反論する。
「さ、佐祐。そなたはわらわの味方ではないのか。わらわの考えに賛同できないと申すか?」
「そういうわけではありません。確かに、一国の姫としての責務は重く、その精神的負担はかなりのものでしょう。そう思うからこそ、度重なる無断外出を黙秘し、殿の耳に触れれば私が代弁していました。しかし、姫様がこの国の姫君であることもお忘れなく。改めて……自分がこの国のためにすべきことを考えてください」
最後の言葉に佐祐はずっと重く、深く言い放つ。音姫は拳を固く握り、視線を反らした。
佐祐は嘆息する。
「申し訳ありませんが、姫様、そやつを連れて出て行ってください。稽古はまだ続きますゆえ」
音姫はコクッとうなずくと優と共に道場を出て行く。
佐祐は出て行くまでずっと優を睨みつけていた。
二人は部屋に戻り、縁側に座っていた。
優は未だに放心状態のように気落ちしていた。佐祐の言葉が何度も頭の中で繰り返され、そして自分の今の立場の重みを知らされた。
そのとき、音姫がそっと呟いた。
「……すまなかったな」
「え?」
「佐祐が、あんなこと言って……」
音姫は自分のことのように、申し訳なくうつむく。
「……いや、いいんだ。事実だし。俺はビビってた。自分が死ぬかもしれないって。それにしても、何であの佐祐ってやつは姫にそこまで口答えできるんだ? あんなやつより、姫の方がよっぽど偉いだろ」
音姫はそっと昔を思い出すかのように話した。
「……佐祐はな、私の幼馴染でもあり、唯一の友なのだ」
「え?」
「これでも多くの友はおった。でも戦で死んだのは知っておるだろ。その生き残りが佐祐じゃ。佐祐は絶対に帰ってきた。生きて帰ってきた。……わらわを守るために」
「そうか」
優は笑みを浮かべ、すっと立ち上がり、まだ青く晴れ渡った空を見上げた。
「どうしたのじゃ?」
「……姫様。前から聞こうと思ってたんだ」
「なんじゃ?」
「……どうして、俺を下僕として、側に置くんだ? こんな、どこぞの知らないやつなんかを」
その質問に音姫の顔が微かに朱を帯びてしまっていた。
「いや、それはだな……。あ、その……た、ただ、おもしろいやつだと思ってな。そ、それでじゃ……」
「そっか……。あいつ、俺が姫の側にいるのが気に食わないんだろ? 弱いから」
「え? ま、まぁ、そうじゃな。そういうことになるかの」
「だったら、俺はもっと強くなるぜ。真剣なんて、俺の時代にはないからな。こんな経験滅多にできないぜ」
優は決意の篭った目を見せる。
「あの約束はまだお預けな。竹刀じゃ勝ったが、真剣では何もできずに負けたからな。今度こそ、あいつを負かしてやるぜ」
優はぐっと拳を握る。その決意を見届け、音姫は小さく笑みを浮かべた。
「うむ。期待しておるぞ」
「おう!」