十三話 側近と契り
日向統一戦も終わり、また元の生活に戻ってしまった。
優は見事優勝し、会議の結果、誰も否定することなく、正式に紬の側近として認められた。
ちょび髭も悔しそうにしていたが、優の力量は直に知っているので、認めざるを得なかった。
佐祐は紬の側近から外され、大将の一人として、戦での活躍を期待された。
全てうまくいき、紬は満足気に笑みを浮かべていた。
しかし、解決すべき難題はもう一つあることを、忘れてはいけない。
紬の側近のなった優は、毎日側にいて勤めを果たしていく。
側近と言っても、紬を守るボディガードのようなもので、大して忙しい仕事はなく、また何も無ければ暇になる。
たまに紬からの無茶な依頼がるのだが、ある意味それが一番きつい。
佐祐は傷も何とか癒え、今では元気になり、道場での稽古や大将として大いに張り切っていた。
優もまだ佐祐との決着をつけていない。そのためにも、日々怠ることなく素振りをする。
今日も、優は庭で真剣を握って素振りをしていた。縁側では暇そうにぼーっと見ている紬がいる。
一国の姫が、そんな調子でいいのだろうか。
優は一休みしてようと、手を休める。
そのとき、後ろから声が聞こえた。
「優様」
その声に優は体に緊張が走るのがわかった。
穏やかな口調に、綺麗な声、そんな人は一人しかいない。
優は苦笑いを浮かべながら振り返った。
やはりそこには上級武士の子、霙がいた。
「やあ、霙さん……」
「優様、汗をかいてますわ。さ、これをお使いまし」
「あ、ありがとう」
優は受け取ろうと手を伸ばす。しかし、霙はそうさせなかった。
「いえ。優様が自らする必要はありませんわ。わらわはして差し上げます」
「え? いや、いいよ。そんなこと悪いし……」
「遠慮することはありませぬ。それでは、失礼します」
霙は半ば強引に手ぬぐいで汗を拭く。優は嬉しくもあるが、少し申し訳なくも想い、複雑な心境だった。
霙は満面の笑みを浮かべて、嬉しそうに汗を拭いて行く。
そんな二人の姿を、紬は激怒を抑え、体がぷるぷる震えても耐えていた。しかし、やはり我慢できなかった。
紬は立ち上がり、二人に近づいた。
「おい、優。そなた、何をしておるのじゃ……」
「え?」
そこで優は後ずさりした。紬の表情は笑ってはいるが、怒りのオーラが滲み出ており、目が笑っていなかった。
「いや、その……」
「わらわが優様の汗を拭いて差し上げておるのです」
そこで霙が口を挟んできた。紬の怒りがメーターを飛び越えていく。
「そなたには聞いていない。口を挟むな」
「これは失礼。挨拶も遅れ、お詫び申し上げます。しかし、せっかくの交友を邪魔されたくはありませぬ」
「優はわらわの側近だ。そなたには関係なかろう」
「いえ、大いに関係ありますわ。なにせ、優様は……」
霙は優の腕を掴み抱きついてきた。
「わらわの夫になる方ですもの」
「み、霙さん」
優は慌てて離れようとするがそうもいかず離れない。
紬は今にも怒りが爆発しようとしていた。
「み、霙さん。別に、僕たちは契りを結んだわけじゃ……」
そこで霙が泣きそうな顔になる。
「す、優殿は、わらわのことが嫌いなのか? わらわだと満足できぬのか?」
「いや、そんなことはないけど……」
「なら良いではないか。そこまで恥ずかしがることもないぞ」
「で、でも……」
霙は強引に腕にぎゅっと抱きついてくる。そのとき、霙の胸が腕に当たっている感触があった。そのせいで、優の顔が赤くなるのがわかる。
それに気づいた紬は、そっと自分の方の胸を見る。
霙よりもなかった……。
パカンッ!
紬はグーでおもいっきり優の頭を殴った。
「いってぇ~。なにするんだよ~」
紬は腕を組んでふんと鼻を鳴らす。
「わらわは部屋に戻る。そなたも側近なら来い」
「わ、わかったよ」
「それでは優様。またお会いしましょう」
そういって霙は上機嫌に戻って行った。
「ほら、いくぞ」
「いて! いてててて!」
紬は優の耳を掴んで引っ張りながら、部屋へと戻って行った。
優は紬の部屋での説教を終えると自分の部屋に戻ってきた。なぜ説教されたのかわからないが。
「お兄ちゃん!」
部屋に入った瞬間、陽姫が抱きついてきた。
「うおっ! 陽姫ちゃんいたんだ」
「うむ。お兄ちゃんと遊びたくてな。ずっと待っておったのだぞ」
「そっか。ありがとう。何して遊ぶ?」
「今日は英語を習いたいぞ」
「よし。それじゃ、給仕室にいこうか。あそこで英語の勉強をしよう」
「うむ!」
二人は手を繋ぎながら、給仕室へと向かった。
給仕室に入ると、その場にいた人たちは途端に礼儀正しくなった。
「これはこれは、陽姫様に優様」
みんなは深く丁寧に頭を下げる。以前は挨拶さえされなかったのに……。
姫様の側近になると、多少は偉くなるようだ。出世したな~。
「今日はどういった要件で? 何かお口に合うものを……」
「いや、今日は陽姫の勉強のためにきたんだ。邪魔はしないから、入っていいかな?」
「はい。それはもう、お気が済むまで」
「それじゃ、始めるよ」
「うむ」
優は手ごろなものを掴むと、それの英単語を教える。
「りんごを英語でappleっていうんだよ」
発音に自信はないが、制服のポケットにあったメモとシャープペンで綴りを書いて見せる。
「あ、あぷ……。あぷる……。あっ……ぷ……る」
陽姫は口をぱくぱくさせながら発音しようとしている。意外と可愛かった。
「それじゃ、次ね。これはorangeだよ」
「お、お……おれ……おれんち!」
現代での自分家みたいな言い方になってた……。
「最後はジだよ。もう一回」
「お、おれ……れん……レンジ!」
電化製品が出て来たな……。
そこで優はふと思い浮かんだ。
「じゃあ、orenge rangeって言ってみて」
「え、えと……おれんちれんじ!」
すっごい家だな……。
二人は給仕室を出て優の部屋に戻る。そこで次は英文の勉強だ。
その途中、優はある人物と出会った。
「ふふ。側近の他にも子供のお守りとは、大変ですね」
昼間からお酒を煽っており、縁側に座り込んでいる一人の男。
灰色の浴衣に、目には切り傷、決勝で優が戦った狼牙だ。
狼牙はその実力をかわれ、戦で活躍できるよう、雇われたのだ。中級武士として、この城に住むようになった。
優は少しぶすっとした感じに声をかけた。
「傷はもう癒えましたか?」
「ああ。もうなんともねーよ。それより、お前は未来から来たんだって?」
「……ええ。そうですけど」
「ふふふ。そんなことを、誰が信じるかな」
「信じる信じないは自由ですが、事実です。それでは、失礼します」
「おう。またやりあおうや」
狼牙は再びお酒を煽り、縁側に寝っ転がる。
優たちは部屋の中に入った。
「なんじゃ、あの者。だらしないの」
「気にすることないよ。さ、勉強の続きだ」
「うむ」
そこで陽姫はあることを思い出した。
「そういえば、お兄ちゃんは、姉上のことを真名で呼んでいたな」
「ああ。紬が教えてくれたんだ」
「そうか。なら、わらわの真名も教えてやろう」
「え? 陽姫ちゃんもあるの?」
「うむ。もちろんだ。わらわの真名は衣なのだ。お兄ちゃんは、特別にそう呼んでいいぞ」
「へぇ~。衣っていうのか。それじゃ、そう呼ばせてもらうね」
「うむ。それとな、父上に相談したのだが、お兄ちゃんは、正式にわらわの特別教育係となったのだ」
「教育係?」
「うむ。この国だけでは知れないことを教えてくれるのでな。是非、これからも頼むぞ」
「そっか。うん。わかった。俺で良かったら何でも教えるよ」
「うむ。ありがとう、お兄ちゃん」
そして、今日の勉強を終えた。
日が暮れた夜に、一人の男が部屋の中でそわそわしていた。
「くそ。最近何もなかったのに。とうとう来てしまったか」
「いかがされますか?」
「どうするもこうするも、すぐに殿に報告せねば」
「はっ。それでは、私はもう少し情報を集めてまいります」
「うむ。頼んだぞ」
「はっ」
一人の男は消え、部屋には武士が一人残る。
目の前のろうそくの淡い火がゆらゆらと揺れていた。
「そろそろあるかと思ったが、来てしまったか。姫様は苦しかろうが、仕方ない」
男は部屋から出て、夜空に浮かぶ月の光を浴びた。
「戦じゃ……」