十二話 決着と優勝
佐祐の決勝へと進むための準決勝は、思わぬ波紋を生み、一人の男によって閉ざされてしまった。
その男は、まるで一匹の野生の狼のように、ぬらりと現れては、鋭い牙で獲物を食い殺し、そして勝利の優越感に浸っていた。
優は怒りの篭った目で、じっとその男を睨みつける。
男は不気味に笑みを浮かべながら、優の目を捉え対峙する。
「優! そなたも早く来てくれ!」
佐祐のそばにいる紬が声を上げて呼んでいる。
優は最後まで男を睨み、そして急いで佐祐のもとへと駆けて行った。
佐祐は試合会場から出て人のいない所に寝かされた。
「佐祐! おい、大丈夫なのか! 佐祐!」
紬は焦った声で叫びながら、何度も佐祐の体を揺すっていた。その隣に優もかけより声をかけた。
「佐祐さん。大丈夫ですか? 佐祐さん!」
医者は急いで消毒し、そして止血をして包帯を巻く。
そのとき、佐祐がゆっくりと口を開いた。
「あ……、う……、す、優……殿……」
「佐祐さん」
佐祐は小さく目を開け、優の顔を捉える。
「佐祐さん。俺はここです。何が言いたいんですか?」
佐祐は目に一筋の涙を浮かべ、小さく呟いた。
「……す、……す……ま…………な……い……」
「え?」
佐祐さんはそのままゆっくりと目を閉じてしまった。
「佐祐! 佐祐!」
紬は何度も叫び、体を揺する。
優は唇を噛み締め、ぎゅっと固く拳を握った。
最後の佐祐さんの言葉が胸に沁み込み、滲み出てきそうな涙を堪えた。
優はすっと立ち上がると、佐祐に背を向け歩いて行く。
それに気づいた紬が声をかけた。
「す、優……。どこへいくのだ?」
「……試合場だ」
優は怒り任せにバンッと竹刀を地面に叩きつけた。
「あいつを、ブッ倒してやる……」
怒りの篭った優の目。そして猛獣、虎のような気配を纏いながら、ゆっくりと歩いていった。
日向統一戦はとうとう決勝戦を行おうとしていた。
試合会場はいろんな人で集まり、殿やちょび髭はもちろん、上級武士などや、城下町の人たち、そして紬、陽姫、霙も見に来ていた。
優は目の前にいる対戦相手を見た。
藁帽子で良く顔が見えないが、灰色の着物を着て、腰には竹刀が備えられている。
そしてゆったりとした感じで立ち、獲物はまだかと狙っているその雰囲気は、まるで狼そのもの。
優はぐっと奥歯を噛み締めた。
本来なら、そこには佐祐さんがいたはず。ここで試合をし、どちらが上か決着をつけるはずだった。
なのに、こんなやつに邪魔されて……。
優はぎゅっと竹刀を力強く握る。
そのときだ。
「肩に力が入ってますわ、優様」
その声を聞き、優はさっと後ろを振り返った。
そこにはやはり霙がいた。
「そんな状態では、勝てる試合も落としますよ」
霙は優雅に微笑む。優はさっと背を向けた。
「あいつのせいで佐祐さんはやられた。俺が仇を討つんだ」
すると霙はクスッと笑った。
「さすがは優様。勇敢なお心ですわ」
すると、そっと優の肩に手を置き、優しく抱きついてきた。
「しかし、そんなに力んでは、十分な力は出せませぬ。もっと力を抜いてください」
霙の声が耳元で聞こえる。優の頬は赤く染まり、そして体は緊張していた。
「ふふ。これで大丈夫ですわね」
霙はすっと離れる。優はゆっくりと振り返った。そこにはいじわるそうに笑う霙がいる。
「今のことは、姫様には内密にお願いします。それでは、勝ってくださいまし、優様」
そう言い残し、霙は観客席へと消えて行った。
優は呆然としながらその後ろ姿を見送っていた。
なぜあんなことを……。でも、確かに余分な力は抜けたかもしれない。
そのとき、いきなり後ろから陽姫が抱きついてきた。
「お兄ちゃん!」
「うわっ、陽姫ちゃん! 危ないよ」
優は何とか陽姫を支えるとそっと地面に降ろした。
すると、陽姫は少し目を赤くしながら懇願してきた。
「お兄ちゃん。絶対勝って、あの人を倒してくれ。佐祐殿の仇を討ってくれ」
陽姫の真剣な表情を見て、優は優しく頭を撫でてやった。
「ああ。まかせろ。絶対勝ってやる」
「うむ! 頼んだぞ!」
陽姫は満面の笑顔を見せ、大きく手を振りながら戻って行った。
すると、タイミングを見計らったように、次は紬がやってきた。
「優……」
優は紬に向き直った。紬は少し暗い表情で、視線を下げていた。
「本当なら、佐祐との決勝だったのにな。すまないが、我慢してくれ」
「ああ。わかってるよ」
「あと、この試合に勝てば、そなたはれっきとしたわらわの側近となるのじゃ……」
「ああ。そうだな」
「うむ。だから、そのために試合に勝ってくれ。……本来は、そう言いたいんじゃがな」
紬は除々に目を潤わせ、大粒の涙を流しながら、口を開いた。
「頼む! こんなこと、一国の姫がいうことではないのじゃが、……佐祐の仇を討ってくれ。あやつに勝って、佐祐の無念を晴らせてやってくれ!」
紬は最後は震える声で懇願する。
優は紬の肩を掴み、顔を上げさせた。
「優……」
「大丈夫だ。俺が勝つ」
その自信に溢れた表情に、紬は笑顔でうなずき返した。
「うむ!」
紬は胸を張って優から離れて行く。
優は握られた自分の拳を見つめた。
勝たなくちゃな……。
「両者前へ!」
審判の声が響き、優は顔を上げるとそっと目に出る。それと同時に対戦相手の男も前に出る。
優はじっと睨みつけ、男はへらへらと笑っていた。
すると、男が突然話しかけて来た。
「うらやましいな。そんなに仲間がいて」
優は黙って聞く。
「おっと。自己紹介がまだだったな。俺の名前は狼牙。貧しい家で生まれた汚い男だよ」
「……優です」
優は冷たい口調で軽く自己紹介する。
「へへ。姫様の側近だっけ。いや、この試合で勝ったらか。悪いな、優殿」
狼牙は笑みを浮かべているが、鋭い目つきで睨んでいた。
「勝つのは俺だ」
その目に負けないよう。優もにらみ返した。
「残念ですが、勝つのは僕です」
そして審判が手を上げて声を上げた。
「始め!」
二人は始めの合図で走り出した。
そして激しい竹刀のぶつかり合いが続く。攻め、守り、避け、動き、読み、これの繰り返し。
狼牙もなかなかの腕前で、二人の剣さばきは互角。なかなか一本取れなかった。
二人は離れ、リズムを取り戻しながら睨みあう。
「へへ。やるね。じゃ、これはどうかな」
狼牙は不敵に笑い、半歩足を下げると、すっと竹刀を振り上げた。
その構えは、あの佐祐を苦しめた動作。
そう。剣道でいう上段の構えだ。
「ふふ。これをどう攻略するかな」
優は竹刀を中段に構え、集中力を上げる。
「いくぞ」
そのときだ。二人の間はそれなりにあったにもかかわらず、狼牙の竹刀は長く伸び、優の頭めがけて振り降ろしてきた。
優はすぐに竹刀を上げて防ぐことに成功する。
「やるね。良い動きだ。そうこなくっちゃ」
狼牙は元の構えに戻すと、また遠くから振り落として来る。
狼牙の上段は左手を軸に構え、その左手一本で伸ばして打ってくる。身長があり、手足が長い狼牙にはぴったりの構えだ。
スナップを利かせ、すぐにパッと戻ってきては、素早く再び襲いかかってくる。
優は何とか前に進もうとするが、何度も襲いかかる狼牙の攻撃を防ぐ一方で、なかなか反撃することができない。
そのときだ。
「ほら、がら空きだ」
そこで優は焦りを感じた。
まさか上段からここに来るとは思わなかった。上段は上に構えるので、下からの攻撃は難しい。
にもかかわらず、狼牙は途中で軌道を変え、面ではなく突きをしてきた。
しまった……。
ズバッ!
「くっ!」
優はかろうじて首を反らして避ける。しかし、かすってしまい、首の皮がむけ、血が滴り落ちていた。
「優!」
紬が声を上げる。
優は首の痛みを手で抑えて耐える。出血がひどく、制服の白いシャツが赤く染まっていく。
「へへ。痛そうだな」
狼牙は不気味に笑みを浮かべる。優は息を荒げながら立っていた。
「いいね。その顔。ほら、もっと苦しめよ。もっともがけよ! もっと俺を楽しませてくれよ!」
すると、優はふと笑みを浮かべた。そして竹刀を構え、口を開く。
「そうだな。そろそろ終わりにしよう。これで、決着がつく」
「ふっ。さすがにその傷はひどいだろ。これで俺の勝ちだ」
「確かに出血はひどいさ。でも、最後は間違ってるぜ」
「なに?」
優は集中力を研ぎ澄ませ、狼牙を睨みつける。
「勝つのは俺だ!」
優は力強く踏み込み前に出る。
「片腹痛いわ!」
狼牙は上段から竹刀を振り落とし攻撃をしかける。
優はその攻撃を防ぎ前に出る。そして懐に潜り込んだ。
「ふん。それがどうした。ここからだって攻撃できるんだぜ! そんな近距離で攻撃できるのかよ!」
狼牙は振り上げた竹刀を降ろして来る。その軌道は優の頭に向かっていた。
「優!」
「お兄ちゃん!」
「優様!」
紬、陽姫、霙が叫ぶ。
優は目を光らせ、そして竹刀をすっと振り上げた。
「うおおおおおお!」
優は右足を一歩下げる。そして竹刀をおもいっきり振り落とした。
ズバッ!
二人の竹刀の軌道が終わりへと向けられた。二人とも竹刀を降ろした状態でいる。
そして一歩も動かず、微動だにしない。
紬は呆然としながら、つい呟いた。
「逆胴……」
優の技、それは通常の胴を逆から打つ技。対上段戦に使える技の一つだ。
そのとき、狼牙が先にゆっくりと動き出し、後ろからその場に倒れた。
審判はそっと狼牙の表情を窺う。狼牙は白目をむいて倒れていた。
すると、優は竹刀を落し、ふらふらになりながらも、頭から血が滴り落ちても、その場から倒れることはなかった。
「勝者、優殿っ!」
その瞬間、周りから歓声がいっきに絶頂にまで上げられた。
耳がつんざくほどの観客たちの声に優はようやく我に帰る。
やった……。勝った……。俺は、勝ったんだ……。
優はぐっと拳を握る。そして小さく、拳を突き上げた。
「優!」
その瞬間、後ろから紬がおもいっきり抱きつき、優は激しくその場に倒れた。
「あれ? 優!」
紬はあまりに優が虫みたいに弱く倒れるので慌ててしまった。
「大丈夫か? おい!」
「いって~な。少しは優しくしてくれよ」
「優!」
優の無事を確認し、もう一度強く抱きつく紬。
「良くやった。ほんとに良くやったぞ」
紬は目じりに涙を浮かべながら感激する。
優は目を細め、そしてすっと優しく抱き返した。
「ああ……」
「お兄ちゃん!」
すると、紬の後ろから陽姫が抱きついてきた。
「お兄ちゃん、見事だったぞ! わらわはますますお兄ちゃんが欲しくなった!」
「そ、そうか、ありがとう……」
優は苦笑いを浮かべながら答え、二人を離し、起き上がる。
そのとき、目の前に佐祐さんを見つけた。門下生の肩を借り、こっちを見て、良くやったとうなずく。
「佐祐さん……」
優も強く頷き返す。
「さ、表彰式じゃ。優、前に来い」
「ああ」
紬に呼ばれ、優は前に出る。観客たちが見ている中、紬は一つ咳払いをした。
「おっほん。それでは、優殿。ここに、日向統一戦で輝かしい成績を残したことを、ここに表彰するぞ」
「ありがとう」
優は紬から有難い言葉を頂く。そして周りから満場の拍手が送られた。
優は照れ笑いを浮かべながら軽く頭を下げる。
「おめでとうござます、優様」
霙が柔らかく頬笑みながら近づいてきた。紬は近くでぶすっとしながら無視する。
「ああ、霙さん。ありがとう」
「さすがですわ。わらわはきっと勝つと信じてました」
「そう? ありがとう」
すると、霙はそっと優の顔に触れ、下から見つめて来る。その行為のせいで優の顔は赤くなってしまった。
「え、えと……、霙さん?」
「優殿、わらわは決めたぞ!」
「え? なにが?」
霙はニコッとほほ笑むと大胆なことを言い出した。
「優殿。わらわと契りを結ぶのじゃ」
「ええええ――――!」
その言葉に一番に反応したのは紬だった。
契り、それは結婚の意味。つまり、霙は結婚してくれとポロポーズしたということになるのだ。
優は混乱し、ただ茫然とその場に立ち尽くしていた。