一話 過去へ
「ひ、姫様! 姫様はどこじゃ!」
黒い甲冑と赤い羽織を着た一人の男が廊下を荒々しく駆け回り大声で叫んでいた。
襖の戸を乱暴に何度も開け、この小さな城の住んでいる一人のお姫様を探していた。
「姫様! 音姫様はどこに!」
男が奥の戸を力いっぱい引き開ける。
そこに一人の美しい女性がいた。
桃色の着物にキラキラ光る金箔、そして滑らかでサラサラとした長い黒髪。白い肌に赤い唇。パッチリとした瞳。それは美しく、綺麗な絶世の美女がいた。
「なんじゃ、騒々しい。わらわの前では静かにしろ」
「あ、か、かたじけない。それより、姫様、大変ですぞ!」
男は膝をつき姿勢を低くする。
「なんじゃ」
「それが、今行われている戦なのですが、形勢はこちらがやや不利。このままでは……」
「なんじゃ、そんなことか」
「そ、そんなこととは……」
「そんなこと、私に言われても知らん。父上に報告すれば良かろう」
「し、しかし、殿は隣の町へと不在の身。今この城の主は姫様の他は……」
「……仕方ないのう」
姫はすっと立ち上がり、少し乱れた着物を整え、嘆息する。
「父の不在の時を狙うとは汚いことをするのう。ならば、こちらも考えがある」
「と、いいますと?」
姫は着物の袖で口元を隠しニヤッと笑った。
「不知火を使え」
「い、いいのですか? 殿の許可もなく!」
「負けるよりはマシだ。さっさと終わらせてこい」
「は、はっ!」
男は姫に背を向け走り去っていく。
姫はその場に座り込むと、重いため息を吐いた。
「……つまらん」
「オラッ、優! お前はまた遅刻か!」
教卓の前で先生にこっぴどく叱られているのはこの剣咲高校の二年生、如月優。
勉強は普通より下、顔もいまいち、よく遅刻をして取り柄はない。いわゆるダメなやつだ。
「これで何回目だ! そんなに俺の授業はつまらんか!?」
「いや、先生だけでなく、どれもつまらないんですけど」
優は頭を撫でて笑いながら答える。
「少しは反省せんか!」
ジャージ姿の教師が持っていた竹刀を優に振り落とす。それを優は苦も無く白刃取りの容量で器用に止めた。
「先生じゃ、俺には敵いませんよ」
優はヘラヘラ笑いながら愉快に自分の席に着いた。他の生徒たちも笑いながら優に拍手を送る。それに答え優は手を振る。
優には誰にも負けないものがあった。
それは、昔からある日本伝統の武道の一つ、剣道だ。
授業が終わると、優はすぐに体育館の横にある武道館へと向かった。
これから大好きな部活が始まる。幼いころから始めている剣道ができるからこそ、嫌でも学校に来るものだ。
「お疲れ様です! さあ! さっそく練習しましょう!」
優は元気よく武道館に入り、景気よく挨拶する。礼の心だけは忘れたことはない。
優が鼻歌を歌いながら道着に着替えようとする。
そのとき、キャプテンが優に近寄ってきた。
「悪いな、優。今日の練習は休みだ。先生が急用でいないんだよ」
「え? マジですか?」
「ああ、だからもう帰っていいよ」
「はぁ~」
優はガックリと落ち込む。
「仕方ない。なら、うちの道場でするか」
優は帰る支度をすると真っ先に家へと帰った。
優の家は町一番と言っていいほど広く、古風な瓦屋根の今ではあまり見ない木造建築。
敷地内には母屋だけでなく、隣に道場まであるのだ。ここで週三回剣道の稽古をしているのだ。
小学生ばかりが対象で、優の父が師範をしている。
優は自分の部屋で道着と防具を着ると、残りの道具を持って道場に向かった。
「親父! 俺も練習混ぜてくれ!」
「おっ、優帰ったか。準備できたら自稽古に入ってくれ」
「オッケー!」
優は小手と面を置き、竹刀を持って素振りを始める。
軽くウォーミングアップをし、軽く基本打ちを終えると自稽古に入った。自稽古は軽い試合形式の練習だ。
「ほらほら、もっと声を出せ! 足を止めるな!」
師範の声が道場に響き渡る。他にも竹刀の重なる音や面に当たる音、そしてみんなの気迫が篭った声に活気が湧き上がる。
この如月道場は全国でも有名なところで、数々の大会で優勝、全国制覇も何度もある名門だ。
中でも優は天才と言われ、出た大会全て優勝し、全国一位の称号を持っている。高校二年生ですでに三段。大学生相手や警察官相手にしても引けを取らないのだ。
「おしっ! 優、来い!」
師範が優を呼び自稽古に誘う。
「おっしゃ! 今日こそ勝ってやるぜ!」
優は今まで負けたことがない。それは試合でだが、唯一勝てないのが、この自分の父であり、師範である剣だ。
そして三時間に渡る激しい練習は終わり、皆帰っていく。
優は父の前で正座をしていた。
「ふふ。今日も勝てなかったな」
剣は満足そうににやけ、無精髭をいじる。
「けっ。今度は勝つさ。まだ俺は強くなるんだからな」
剣は剣道八段を持つ達人。剣道連盟でも知らない人はいないくらいだ。
元は警察官で、なかなか偉い地位まで登ったのだが、剣道を教えたいという昔からの願いを叶えるため、退職して道場を開いている。
現役時代は、剣道の世界大会に出場し、個人戦で優勝したこともあるのだ。
「ま、いつになることかな。どちらにせよ、約束は守ってもらうぞ」
「うっ。……仕方ないな」
負けたら倉の整理をする約束をしているのだ。優は引き分け以上でお小遣いプラス千円という条件だ。
「おら、飯ができるまでさっさと終わらせな」
剣は大らかに高笑いする。優はぶすっと唇を尖らせた。
「けっ! その前に道場の掃除だろ」
優は立ち上がる。すると、門下生たちが優の下に集まってきた。
「優兄ちゃん! ちょっと俺の素振り見てくれよ」
「あ、僕も!」
「私のも見てよ」
「ああ、いいぜ」
優は優しく指導をする。優はみんなのヒーローなのだ。いつもこうやって最後は教えている。
優は道場の掃除と着替えを終え、次は倉の整理へと移る。
倉は道場の横にあり、使われなくなったものを置くのだ。
「相変わらず汚ね~な。制服が汚れるぜ」
優はささくれたり折れたりした竹刀を片付ける。そのとき、あるものを見つけた。
「なんだこれ?」
奥の棚の上に置いてあった一つの巻物。埃被っており、随分古くボロボロだ。
「すげえ年季入ってんな。何が書いてあるんだ?」
優は破けないようにそっと開いた。
「ええと、永禄二年、音姫が……ふち……び?何て読むんだ?」
そのとき、巻物が急に光だした。
「え? な、なに?」
目の前が真っ白になり、そのまま優は姿を消してしまった……。
音姫はそっと廊下に顔を出すと、誰かいないかキョロキョロと辺りを見渡す。
誰もいないことを確認すると、ニヤニヤしながらそぉ~と足音を立てないように部屋から出て行く。
そのときだ。
「あ、姫様?」
後ろからいきなり声をかけられ、音姫はびくっと体を震わせ、恐る恐る振り返った。
そこにいたのは家臣であり、音姫の側近でもある佐祐だった。
若く、剣術や馬術に優れ、将来有望な人材だ。音姫の幼馴染でもあるのだ。なかなかの美男子で、女性からの人気もある。
「姫様、どこかお出かけになられるのですか?」
「い、いや、ちょっとな」
「ダメですよ、姫様。部屋を出る時は誰かと一緒でなければ」
「ま、まぁ、みんなも忙しいだろうと思ってな。遠慮してやったのだ。わらわはもう17だ。一人で大丈夫だぞ」
「何をおっしゃいますか。何かあってからでは遅いのですよ。今誰かお傍につかせますので、少々お待ちを」
その瞬間音姫は風のように颯爽と走り出した。
「あっ、ひ、姫様!」
「ふん。馬鹿ものが。わらわは一人がいいのだ。こんなところにずっといたのでは息がつまるからの」
音姫は城から出ると馬にまたがり、城下町へと向かった。
城下町の中を通り、市場の中を進む。
いろんな人が姫様を見て驚いた表情をしているが、中には笑って見過ごす人もいた。子どもたちは愉快に手を振っていた。それに答え音姫も振り返す。
そのまま城下町を通り過ぎると、小さな森の中へと消えて行った。
そのあと少しして、佐祐が馬に乗って遅れて来た。
「あ、そこの商人。姫様を見かけなかったか?」
「ああ、佐祐様。多分いつものところですよ」
そこで佐祐は深く嘆息した。
「またあそこか。仕方ない。帰ってくるまで待つか」
音姫は馬を止めると、そっと地面に降りた。
目の前には綺麗な泉が広がり、太陽の光や周りの木々で美しく反射していた。
音姫はしゃがみ込むと、そっと手のひらに乗せ、そして口元へと運ぶ。
音姫はそっと口元を緩ませ、そしてそっと着物を剥いだ。
足元からそっと忍ばせ、ゆっくりと奥へと伸ばしていく。
太陽光で煌めく真っ白な肌、黒く艶のある長い髪、豊満な胸、そのまま泉の中へと浸していく。
優雅に泳ぎ、水を浴び、体を清めていく。
こうしている時が、唯一心が清らかになる時で、溜めていたストレスが一気に発散していくのだ。
音姫は仰向けになると、体を泉に浮かせながら空を見上げた。
「……わらわは、いつまでこうしていられるのだろうか」
音姫はそっと目を閉じた。そのときだ。
「……ぅぁぁぁぁぁあああああ―――――!」
太陽から一つの影。だんだんと大きくなっていき、泉へと向かってくる。
音姫は声に気付き、その方に目を向ける。
「……え?」
そして……、
ドッボ―――――ン!
大きな水しぶきが立ち、雫がキラキラと輝いていた。
音姫は何とか泉から出、仰向けに倒れた。
「な、なんだったんじゃ、今のは……」
そこで自分の体が重いことに気付いた。それに何か掴まれているような感覚。
音姫はそっと目を開ける。目の前には一人の見慣れない服と髪、そして掴まれている場所は……胸。
優は固く閉じていた目をそっと開けた。そして目の前の状況を把握しようとする。
「あっ」
自分はずぶ濡れ、目の前には綺麗な女の人、なぜか裸、そして自分が掴んでいる場所は……豊満で柔らかく弾力がある触り心地のいい……胸。
二人はじっと、そして呆然と見つめ合っていた。
優は愛想よくしようと笑みを浮かべようとする。というより苦笑い。
音姫は顔をだんだんと赤くしていく。
「無礼者ぉぉぉぉぉ―――――!」
これが二人の出逢いだった――。