私のことを好きすぎる婚約者が、何故か突然婚約解消を求めてきた
「オリヴィア、君との婚約を解消したい!」
目の前でそう叫ぶのは私の婚約者であるアルフレッド。
肩より長い金髪は首の後ろで一つにまとめられ、斜めに流した前髪の下の瞳は、覗き込むと吸い込まれそうなほど深い青色。
伯爵家の嫡男である彼は、頭脳明晰、眉目秀麗、剣術も馬術も学院内では向かうところ敵無し。
まさに非の打ち所がない青年である。
そして。
たった今、そんな彼から婚約解消を告げられた私、オリヴィアはというと。
子爵家の長女で黒髪黒目の地味な容姿。
長い黒髪だけは『美しい』と褒められることがあるが、切れ長の瞳を『性格がきつそう』『冷たそう』と貶されることの方が多い。
大事な話があると放課後のひと気の無い中庭に呼び出された時から、嫌な予感はしていた。
だが、まさか婚約解消を告げられるだなんて、全くの予想外だった。
ところで。
この場にいるのはアルフレッドと私だけではない。
アルフレッドの隣には、一人の少女が立っている。
彼女の名前はリリー、裕福な男爵家の一人娘だ。
艶やかなピンクブロンドに明るい若草色の瞳、手足は華奢なのに胸元は豊かというなんとも可愛らしい容姿で、男性からかなりの人気がある。
リリーはアルフレッドの横で心配そうに彼を見上げていたのだが。
彼が婚約解消という言葉を口にした瞬間、下を向いてほんの少し口の端を持ち上げた。
そう、つまりリリーは今、にやりと笑ったのだ。
「…………わかったわ。婚約は解消しましょう」
「……ひどい……オリヴィアが嬉しそうにしてる……」
『婚約を解消したい』と言われたから、『わかった』と答えただけ。
なのにアルフレッドは、驚いたように目を見開き、瞬きもせずに私をみつめてくる。
僅かに開かれた唇は小さく震え、何かを言おうとして、けれども言葉にならない。
婚約破解消などという衝撃的なことを告げて来たのは彼の方なのに。
そんな顔をされたら、まるで私が彼に酷いことをしたみたいに見えるではないか。
「ひどい……」
「おいこらちょっと待て」
まずい。自分でもちょっと引くほど低い声が出てしまった。
アルフレッドの肩がビクッと跳ねる。
「こわい……」
「何が怖いだふざけるな」
怯える彼に腹が立って、ますます口調がきつくなってしまう。
すると、隣にいるリリーが、堪え切れなくなったように吹き出した。
「リリーも何を笑ってるのよ!」
「だってぇ、こんなの笑わずにいられるわけないじゃない」
そう言って遠慮なくお腹を抱えて笑うリリー。
その横で、アルフレッドがさめざめと泣き始めた。
今までに何度も何度も見た光景。
本当にもう、いい加減にして欲しい。
アルフレッドと私、それからリリーの三人は、いわゆる幼馴染というやつだ。
私達の家はそれぞれの領地が隣同士に接している。
それだけじゃない。
私達の母親は同い年で、学院時代からの友人なのだ。
伯爵家、子爵家、男爵家と嫁ぎ先の身分に差はあれど、嫁いだ後も母達の交流は途切れることなく続いていた。
そして、偶然にも三人は同じ時期に身籠り、生まれた子供は同い年となった。
赤ん坊の頃からの顔見知りだった私達は、7歳で同じ初等学院に通うようになった。
その頃からアルフレッドは美少年として名を馳せていた。
13歳で中等学院に通う頃には、アルフレッドは多くの少女達から注目され、婚約者に立候補する者が後を絶たなかった。
だが、15歳で高等学院に通い始めた頃。
アルフレッドの婚約者になったのはこの私だった。
アルフレッドの婚約者としては、私はあまりに平凡、いや地味過ぎた。
爵位が高いわけでもないし、容姿が美しいわけでも、特別に賢いわけでもない。
なので周りの人々はこの婚約に驚き、様々な憶測が飛び交ったのだが。
なんてことはない、理由は至極単純なことだった。
要するに、アルフレッドが、私を婚約者にと強く望んだのだ。
自分で言うのもなんだが、アルフレッドは私のことが大好きだ。
それこそ、まだオムツも取れていない頃から私のことが大好きで、どんなに泣いていても私が近くにいるだけで泣き止むような赤ん坊だったらしい。
うっとおしくて逃げまわる私をハイハイで追いかけ、ギュッと抱き着いて離れないアルフレッド。
初めて喋った言葉は、『パパ』でも『ママ』でもなく、『オリヴィア』だったそうだ。
そんな風に私のことが大好きでずっと後を追いかけてくるアルフレッドのことを、周囲の大人達は微笑ましく見守っていた。
彼が私に見せる執着を、小さい子供がお気に入りのぬいぐるみを手放さないのと同じようなものだと思っていたらしい。
もう少し成長すれば、他の子にも目がいくようになるだろうなどと、暢気に考えていたようだ。
だが、そうはならなかった。
アルフレッドの私に対する執着は、年を重ねるごとに酷くなっていった。
中等学院の時が特に酷かった。
ダンスの授業で私と他の男子生徒が踊るのを嫌がり、自分以外と踊ったとわかると、その男子生徒に嫌がらせをしに行く。
私が女子以外と話すのを極端に嫌がり、委員会の仕事で放課後に一緒に居残り作業をした男子生徒に執拗に抗議する。
そんなことが続いたため、ふと気づくと私は男子生徒から距離を置かれる地雷物件のようになっていた。
もちろん、私は怒った。
アルフレッドが暴挙に出る度に、烈火のごとく怒り、抗議した。
私は長女だが、5人兄妹の末っ子で、上の4人は男だ。
そんな環境で育った私は、自分で言うのもアレだが、実は物凄く口が悪い。
母や乳母からは『いいですか! 学院ではくれぐれもおとなしくしているのですよ!』と口を酸っぱくして言われているので、人前ではなんとか貴族令嬢らしく振舞ってはいるのだが。
そんな私が真剣に怒れば、兄達でさえ怯むのに。
アルフレッドは、私に近づく男子生徒への威嚇を止めなかった。
いい加減にしてくれ、どうしたら止めてくれるのだと聞いたところ。
アルフレッドは頬を染めながらこう言った。
『オリヴィアが僕の婚約者になってくれたら我慢できると思う』
曰く、婚約者という立場が手に入れば、もう少し心に余裕ができるはず。
それでも他の男子生徒と踊るのは許せないが、少し話をするくらいであれば、婚約者の余裕を見せて我慢してみせる。
全く持ってふざけた主張だが、当時の私はそれでもいいと思ってしまった。
とにかくアルフレッドの執着が酷すぎて辟易としていたので。
少しでも我慢してくれるなら、婚約者でも何でもなってやろうと頷いてしまった。
そして、高等学院入学と同時に私達は婚約したわけだが。
アルフレッドの私の周りの男子生徒に対する威嚇は、ゼロでは無いが多少控えめになった。
だが、喜びもつかの間、新たな問題が発生した。
アルフレッドが、人前でイチャイチャしたがるようになったのだ。
元々、私のことを好きだと言って憚らないアルフレッドだったが、輪をかけて甘い言葉を囁くようになり、事あるごとに手を取り、髪や頬に口づけてくるようになった。
私はそういうのは苦手なので、止めろと言ったら泣きだした。
オリヴィアは酷い。やっと婚約者になったのに、僕ばかりがオリヴィアのことを愛していて、まるで片思いしているみたいだ。悲しい、辛い。
そう言いつつ、捨て犬のような瞳を向けて来るアルフレッド。
仕方が無いので『人前でなければ良し』と言うと、やっと泣き止み笑顔になったはいいが、それ以降、行き帰りの馬車の中は地獄となった。
まあ、それはいいとして。
アルフレッドは、私のことを好きすぎて辛い、と言う。
そう呟く口調があまりにも切なげで、私はついつい、自分もアルフレッドのことが好きだと言ってしまう。
それは嘘では無い。そう、決して嘘では無いのだ。
私はアルフレッドのことが好きだ。
だが、私は極々普通の地味な人間なので、アルフレッドのように派手に気持ちを告げることができないだけなのだ。
そう言うとアルフレッドは満足しておとなしくなってくれるが、悲しいかな、それは長くは持たない。
そして、私の愛情を疑うあまりに不安になるアルフレッドは、定期的に暴挙に出るようになった。
彼が私の愛情を確かめるためにやった出来事の数々を思い返すと、ため息しか出てこない。
わざと家出して心配させたり、他の子を好きになったと嘘で気を引いてみたり。
挙句の果てに、怪しいおまじないに手を出して趣味の悪いネックレスや不気味なぬいぐるみを送って来たり。
お手製の惚れ薬を持って来たときはさすがに拒否したが、あの時はめそめそ泣き出して本当に困った。
――そして、今回のこれだ。
実は、次は何をしでかすのかと警戒していたので、『婚約解消』を言い出すくらいなら可愛いものだとホッとしてしまったのだ。
それが顔に出てしまったのだろう。
アルフレッドは、「ひどい……オリヴィアが嬉しそうにしてる……」と悲し気に項垂れている。
「……で? どうして婚約解消だなんて言い出したの?」
そう問いかけると、アルフレッドは赤くなった目を彷徨わせたあと、観念したように話し出した。
――オリヴィアとよくお喋りしている男爵令嬢が、昨日、近づいてきてこう言った。
『オリヴィア様はアルフレッド様のことがお好きではないのかもしれませんね』
不愉快だったのでその場を離れようとしたのだが、続けて彼女が言った言葉に、ついつい足を止め聞き入ってしまった。
『オリヴィア様に婚約を解消すると仰ってみたらいかがでしょう? もし本当にアルフレッド様のことを愛しているのなら、オリヴィア様は泣いて縋ってくるはずですわ』
『オリヴィア様が婚約解消を受け入れたのならば、それはアルフレッド様のことを心から愛していない証拠ですわ。そうなったら、さっさと婚約を解消して別の女性と』――
「え? 別の女性と、の続きは?」
「わからない。オリヴィアが僕のことを愛していない証拠って言葉が辛すぎて、耳を塞いで走って逃げたから続きは聞いてない」
横に居たリリーがまたもや吹き出し、お腹を抱えて笑い出した。
「もう、笑わせないでよ、あー苦しい」
「笑い事じゃないわよ!」
「いやだって、想像しちゃったんだもの。アルフレッドが走り去った後、呆然と立ち尽くすあの子の顔を! あははは、最高じゃない! いい気味!」
遠慮なくそう言って笑うリリー。
彼女も人前では楚々とした淑女のように振舞っているが、こうして三人でいる時は笑い上戸で毒舌なのを隠さない。
ちなみに、リリーは私の一つ年上の兄、我が家の四男であるジェフリーのことが好きで、小さい頃から猛アタックしていた。
その甲斐あって、現在、無事に兄ジェフリーとの婚約まで漕ぎつけている。
リリーは男爵家の一人娘なので、我が兄が婿入りする形となる。
つまり、リリーは将来私の義理の姉になるのだ。
「ふふっ、あの子ってばアルフレッドのことが好きなのよね。だから、おそらく続きは『そうなったら、さっさと婚約を解消して、別の女性と婚約し直した方がいいと思いますわ。例えば私とか』だと思うけど」
未来の義姉が言った言葉に、アルフレッドが不機嫌そうに眉を顰める。
それにしても、あの子が陰でアルフレッドにそんなことを吹き込んでいたなんて。
でも、言われてみれば、彼女は確かにいつもアルフレッドのことを聞きたがっていたし、『アルフレッド様のように素敵な婚約者がいて羨ましいわ』とも言っていた。
そうか、彼女はアルフレッドのことが好きで、あわよくば奪おうとしたというわけか。
わりと仲良くしていたはずなのに、よもやこんな裏切りに遭うなんて。
「ご、ごめんね……」
自分の人の見る目の無さが情けなくて、思わず大きなため息をついたら、アルフレッドが怯えたように謝って来た。
そうだ、今はあの子のことを考えている場合ではない。
目の前のこの愚かな婚約者をどうにかするのが先だ。
「アルフレッドは本当に馬鹿ね」
「うん……」
「あのね、私は、アルフレッドが私のことを大好きだってわかってるの。だから、婚約解消したいっていうのが嘘だってすぐにわかったの。ここまではいい?」
「うん……」
何を言われるんだろうとびくびくしているアルフレッド。
そんなに怯えるなら、最初から馬鹿な真似をしなければいいのに。本当に仕方が無い人。
「だからね、私もお返しで嘘をついただけよ。ねえ、アルフレッド、私が本気であなたと婚約解消したがってると思った? 私があなたのことを心から愛していないって思ってるの?」
「…………っ!!」
真っ直ぐに目を見つめながらそう言うと、アルフレッドは再び目に涙を溜めて首を振る。
よし、もう一息だ。
「あなたは私の事を信じていないのね。…………悲しいわ」
「ごめん! ごめんねオリヴィア! 信じてる! 信じてるから!! 許して!!」
「本当に? じゃあ、もう私のことを試すようなことはしないと誓う?」
「誓う! 誓うから許して!!」
これもまた、過去に何度も何度も繰り返された会話だ。
今はどんなに反省したように見えても、アルフレッドはきっとまた何かしでかしてくる。
でも、まあ、しばらくはおとなしくしてくれるだろう。
泣きながら抱き着いて来たアルフレッドの背中をよしよしと撫でていると、ようやく笑いの収まったリリーがパチパチと手を叩きながら言った。
「さすがオリヴィア、躾が上手ね。でもこのおバカなワンちゃんは、何度しつけられてもすぐにまた悪戯しだすんだから」
馬鹿な犬ほど可愛いのよ、と言おうとして止めた。
せっかくおとなしくなったアルフレッドが、また騒ぎ出したら大変だ。
「それにしても不思議よねぇ。こんな情けない男が、どうして毎年、学院の『彼氏にしたい男子』ナンバーワンに選ばれるのかしら。ま、見た目は確かに最高なんだけど。中身がこれじゃあねぇ」
まあ、そう言って笑う未来の義姉も、『彼女にしたい女子』ナンバーワンなのだけれど。
とにもかくにも。
私の婚約者が突然婚約解消を求めてきた件は、なんとか無事に終わった。
願わくば、彼がこのままおとなしくしていてくれますように――
最後までお読みいただきありがとうございました。
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