第5話 初陣
森の奥は、静かだった。
風の音もしない。
葉の擦れる気配もない。
ただ、自分たちの足音だけが、やけに大きく聞こえる。
ヒナタが足を止めた。
「……ここから先、ほんとに死ぬぞ」
振り返らないまま言う。
「さっきの雑魚とは別物だ。気ぃ抜いたら終わる」
ミドは小さく頷いた。
冗談じゃない声だった。
セレネも、静かに息を整えた。
ステラは本を閉じて、ようやく両手を空けた。
少し進んだところで、
木々の隙間。
黒い影が、動いた。
大きい。
今までの獣より、ふた回りは大きい。
角。
低い唸り声。
主のはずだった。
ヒナタが、足を止める。
いつもなら。
ここで距離を測って。
踏み込んで。
二、三合で終わる。
それくらいの相手。
――のはずだった。
なのに。
近づいた瞬間。
本能が、嫌な予感を告げた。
空気が重い。
肺に入る息が、少しだけ苦い。
「……なんだ、これ」
無意識に、声が漏れる。
主が、こちらを見る。
目が合った。
その瞬間。
ぞわ、と背中が冷えた。
(でかい、じゃねぇ)
(……濃い)
存在感。
前に戦った主と、同じ種類のはずなのに。
別物みたいだった。
周囲の獣も、妙に多い。
「……数、こんなにいた?」
セレネが小さく呟く。
ヒナタは答えない。
剣を握り直す。
嫌な予感がする。
経験が、警鐘を鳴らしている。
(守りながらは、きついかもしれねぇ)
一瞬。
ミドをどう逃がすか、そんな考えがよぎった。
舌打ち。
「……行くぞ」
それでも前に出る。
地面を蹴る。
斬る。
――硬い。
手応えが、重い。
いつもなら骨ごと断てる感触が、止められる。
「……は?」
主の爪が振り下ろされる。
速い。
今までの個体より、明らかに速い。
ぎりぎりで受ける。
腕に、衝撃。
骨が軋む。
押し返せない。
(重……っ)
ヒナタの足が、半歩下がる。
初めてだった。
この程度の相手に、押されたのは。
「……チッ」
想定が、崩れる。
守りながらじゃ、削りきれない。
長引けば、囲まれる。
背中に、嫌な汗が滲んだ。
――まずい。
そんな言葉が、頭をよぎった。
「ステラ!」
気づいたら、声が出ていた。
「右、三体! 足止めできますか!」
「……できます」
短い詠唱。
地面が隆起し、獣の足を絡め取る。
「セレネ、ヒナタさん優先で!」
「はい!」
淡い光がヒナタを包む。
動きが、少し軽くなる。
ヒナタは主と斬り結びながら、ちらっとこちらを見る。
「……指示かよ」
ヒナタの視線が、一瞬だけ周囲を走る。
足止めされた獣。
回復の光。
動きやすくなった体。
「……悪くねぇ!」
剣が唸る。
だが。
主の爪が、かすめる。
布が裂ける。
血。
セレネの回復が飛ぶ。
それでも。
まだ重い。
守りながら、戦っている。
いつもより、手数が少ない。
(違う)
ミドは、主の動きを目で追った。
右足。
踏み込みの前、必ず肩が沈む。
爪を振る前、わずかに首が傾く。
(来る)
「ヒナタさん! 下がって!」
叫ぶ。
反射的に、ヒナタが後ろへ跳ぶ。
その瞬間。
さっきまで立っていた場所を、巨大な爪が薙いだ。
空気が裂ける音。
「……マジか」
ヒナタが笑う。
「見えてんのか」
「たぶん!」
主が、体勢を崩す。
ほんの一瞬。
隙。
「今だ!」
ヒナタが踏み込む。
腰を落とす。
剣が、低く。
横に。
円を描くみたいに走った。
一閃。
空気が、鳴る。
黒い体が、止まる。
次の瞬間。
霧みたいに、崩れた。
残ったのは。
地面に転がる、角だけだった。
静寂。
誰も、すぐには動かなかった。
「……終わり?」
セレネが呟く。
ヒナタが角を拾い上げる。
「……ああ」
息を吐いた。
「終わりだ」
少しだけ、笑う。
「……四人、悪くねぇな」
その言葉に。
ミドは、胸の奥がじんわり熱くなった。
初めて、
ちゃんと、同じ場所に立てた気がした。
四人で。
並んで。
森の出口へ向かって歩き出す。
足取りは、来たときより、少しだけ軽かった。




