初陣
森の奥は、静かだった。
風の音もしない。
葉の擦れる気配もない。
ただ、自分たちの足音だけが、やけに大きく聞こえる。
ヒナタが足を止めた。
「……ここから先、ほんとに死ぬぞ」
振り返らないまま言う。
「さっきの雑魚とは別物だ。気ぃ抜いたら終わる」
ミドは小さく頷いた。
冗談じゃない声だった。
セレネも、静かに息を整えた。
ステラは本を閉じて、ようやく両手を空けた。
少し進んだところで、
木々の隙間。
黒い影が、動いた。
大きい。
今までの獣より、ふた回りは大きい。
角。
低い唸り声。
主のはずだった。
ヒナタが、足を止める。
いつもなら。
ここで距離を測って。
踏み込んで。
二、三合で終わる。
それくらいの相手。
――のはずだった。
なのに。
近づいた瞬間。
本能が、嫌な予感を告げた。
空気が重い。
肺に入る息が、少しだけ苦い。
「……なんだ、これ」
無意識に、声が漏れる。
主が、こちらを見る。
目が合った。
その瞬間。
ぞわ、と背中が冷えた。
(でかい、じゃねぇ)
(……濃い)
存在感。
前に戦った主と、同じ種類のはずなのに。
別物みたいだった。
周囲の獣も、妙に多い。
「……数、こんなにいた?」
セレネが小さく呟く。
ヒナタは答えない。
剣を握り直す。
嫌な予感がする。
経験が、警鐘を鳴らしている。
(守りながらは、きついかもしれねぇ)
一瞬。
ミドをどう逃がすか、そんな考えがよぎった。
舌打ち。
「……行くぞ」
それでも前に出る。
地面を蹴る。
斬る。
――硬い。
手応えが、重い。
いつもなら骨ごと断てる感触が、止められる。
「……は?」
主の爪が振り下ろされる。
速い。
今までの個体より、明らかに速い。
ぎりぎりで受ける。
腕に、衝撃。
骨が軋む。
押し返せない。
(重……っ)
ヒナタの足が、半歩下がる。
初めてだった。
この程度の相手に、押されたのは。
「……チッ」
想定が、崩れる。
守りながらじゃ、削りきれない。
長引けば、囲まれる。
背中に、嫌な汗が滲んだ。
――まずい。
そんな言葉が、頭をよぎった。
「ステラ!」
気づいたら、声が出ていた。
「右、三体! 足止めできますか!」
「……できます」
短い詠唱。
地面が隆起し、獣の足を絡め取る。
「セレネ、ヒナタさん優先で!」
「はい!」
淡い光がヒナタを包む。
動きが、少し軽くなる。
ヒナタは主と斬り結びながら、ちらっとこちらを見る。
「……指示かよ」
ヒナタの視線が、一瞬だけ周囲を走る。
足止めされた獣。
回復の光。
動きやすくなった体。
「……悪くねぇ!」
剣が唸る。
だが。
主の爪が、かすめる。
布が裂ける。
血。
セレネの回復が飛ぶ。
それでも。
まだ重い。
守りながら、戦っている。
いつもより、手数が少ない。
(違う)
ミドは、主の動きを目で追った。
右足。
踏み込みの前、必ず肩が沈む。
爪を振る前、わずかに首が傾く。
(来る)
「ヒナタさん! 下がって!」
叫ぶ。
反射的に、ヒナタが後ろへ跳ぶ。
その瞬間。
さっきまで立っていた場所を、巨大な爪が薙いだ。
空気が裂ける音。
「……マジか」
ヒナタが笑う。
「見えてんのか」
「たぶん!」
主が、体勢を崩す。
ほんの一瞬。
隙。
「今だ!」
ヒナタが踏み込む。
腰を落とす。
剣が、低く。
横に。
円を描くみたいに走った。
一閃。
空気が、鳴る。
黒い体が、止まる。
次の瞬間。
霧みたいに、崩れた。
残ったのは。
地面に転がる、角だけだった。
静寂。
誰も、すぐには動かなかった。
「……終わり?」
セレネが呟く。
ヒナタが角を拾い上げる。
「……ああ」
息を吐いた。
「終わりだ」
少しだけ、笑う。
「……四人、悪くねぇな」
その言葉に。
ミドは、胸の奥がじんわり熱くなった。
初めて、
ちゃんと、同じ場所に立てた気がした。
四人で。
並んで。
森の出口へ向かって歩き出す。
足取りは、来たときより、少しだけ軽かった。




