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音に聞こえた騎馬兵

 またも投石による攻撃を受けた長宗我部軍は、武将が一所ひとところに集まり対策を練った。


 石はこれから進む山の中腹から投げられたようだ。川辺からの距離は30間(54m)もあり、狙って当てられる距離ではないが、当たれば無視できぬ破壊力があり、1000名もの兵がその前を通れば許容し難い被害となる。矢をっても30間先で高さも16間(29m)あるとなれば効かぬし、槍では話にならぬ。

 とすると騎馬兵による直接攻撃か、騎馬兵なら足軽の30や40を蹴散けちらすくらい造作ぞうさもない。武将たちの考えは収斂しゅうれんしていった。


「各々方、騎馬兵を繰り出せ、小賢こざかしい本村の奴らに目の物見せてやれ」


 武将が集まった場で総大将江森嘉興がこう言ったので、一番手柄は俺だとばかりに、どの武将も騎馬兵を動員した。その総数は70にも上った。


 -9日前、軍議の席-


「山崎景成には騎馬兵60騎を任せる。得物は手槍てやりしくは薙刀なぎなた60本。他に挑発役として馬術にけた目方めかた(重さ)の軽い者20名」


 寛茂は絵図を使いながら説明を続けた。


「城に攻め込むには川辺の道を進み、瓜山の横を過ぎ、山の北東にある登り口に上がる。そこで南に向き直り長さ4町(400m)の坂を16間(29m)登る。この坂を「南坂」と名付ける。南坂が終わると折り返しがある。ここで北に向き直り長さ3町(300m)の坂を12間(21m)登る。この坂を「北坂」と名付ける。北坂が終わると再び折り返しがあり、再度南に向き直り1町ほどのゆるい真直ぐの坂を進むと、右方向へ大きく回る長さ2町(200m)の緩い坂道がある。ここを「大曲おおまがり」と名付ける」


「まず南坂の折り返しに、川原からこぶしより少し小さい石を1000個運んでもらう。騎馬兵の中から投石に長けたものを20名選び石投げ隊とし、石投げ隊20名と挑発隊20名は、この南の折り返しから30間先にある川原の道に向けて石が投げられるようになってもらいたい」


「長宗我部軍が侵攻してきたら、石投げ隊と挑発隊の40騎は南坂の折り返しで待機する。先頭の部隊が投石場所の正面に来たら投石を開始する。ただし騎馬隊の投石は敵に対する挑発が目的だから、投石での戦果は期待していない。それでも山の張り出しで投石の被害を受けた経験から、敵は一旦いったん引き下がるはずだ」


「投石を阻止するため、長宗我部の騎馬兵が50騎ほど川原を突撃して来るだろう。総勢100騎のうち、半数50騎ほどの攻撃となるだろう。これにも投石を行う。

 敵騎馬兵が南坂を登り始めたら、石投げ隊は馬に乗り大曲の中ほどまで戻り待機せよ。挑発隊は石を1個持ち、馬に乗り北坂を10間(18m)ほど進み敵を待つ。自分の5間(9m)前に敵が来たときに先頭にいる者から順に石を敵に投げつけけ出す。

 敵は攻撃を受けながらも南坂から北坂へ折り返し、挑発隊を追い立てるであろう。挑発隊の殿しんがり(最後尾)は敵が追い付くと思うほど近くに引き付けながら大曲へ進む」


「騎馬戦隊は大曲の中ほどで1列に並び待機し、挑発隊が敵を引き連れて来たら順に手槍か薙刀を以て敵の騎馬兵に襲い掛かる。続いて待機していた石投げ隊も同様の攻撃を加える。おそらく敵の馬は余力を無くした順に歩を緩め、道の上に散在しているだろう。そうなれば味方40対敵50の戦いではなく、味方40対敵1の戦いを50回繰り返すことになる。左から打っては進み、右から打っては進むを繰り返す。これで敵騎馬兵を殲滅する」


 命を受けた山崎は早速準備にかかったが、馬術にけた目方の軽い者の人選に頭を悩ませた。もともと侍は戦うために体を鍛え、体力をつけ、技を磨いている。目方の軽い者は数えるほどしかいなかった。人選にきゅうした景成は、武盛に助けを求めた。少しの間考え込んだ武盛は、馬をあやつるだけで戦う役目はないのであれば、まだ戦に参加していない元服前後の若者、兵役を退いた馬術の熟練者、乗馬に長けた馬の世話係をげた。


 翌日景成は騎馬隊の面々に対象を広げて該当者を挙げてもらうと、30名を超える推薦があり、この中から20名を選抜した。


 騎馬隊総出で川原の石を集め1000個ほど南坂の折り返しに運んだ。挑発隊と石投げ隊はそこから川原の道に向かって石を投げる訓練をした。30間(54m)離れた場所に石を命中させるのに多少てこずったが、日を追うごとに精度を上げていった。

 また挑発隊を除く騎馬兵は薙刀や手槍を持って馬を走らせ、馬上の敵や路上の敵に攻撃する訓練を積んだ。


-再度、合戦当日-


 川原の道の両側には大きな石がゴロゴロしていたので、長宗我部軍の突撃隊は道をはずれぬように縦一列で駆け出した。当然山の中腹から石が飛んできた。離れた場所からの投石なので命中した数は多く無かったが、馬に当たると暴れて騎手を振り落とすもの、道を外れて石に足を取られ転倒するものなどがあり、4騎が戦列を離れた。


 突撃隊の先頭が山の登り口まで進んで来ると、石投げ隊は大曲へて向け姿を消した。挑発隊は一旦その場に留まり、突撃隊が南坂を登り始めるのを待った。

 そして突撃隊が南坂を駆け上がってくると、石を1個ふところに入れて馬に乗り、北坂を10間(18m)ほど進んだ。

 突撃隊がどんどん近づいて来て、


「まだだ、まだだ、まだ、まだ、・・・はなて」


 合図とともに先頭にいた者から順に石を投げつけ、馬を走らせた。突撃隊が石の飛んで来る方を見上げると、そこにいたのは足軽の装束をまとった年端としはも行かぬ若造であった。


 挑発隊の5番手の騎手が投げた石は、突撃隊の先頭を走る馬の眉間みけんに命中した。馬は首を下げてひっくり返った。そこへ後続の馬が2騎、3騎と突っ込んだ。更に後続の騎兵2騎がこれをけようと左に手綱を強く引いたので、馬は道を踏み外して山肌を転がり落ちた。また6騎が戦列を離れた。


 先頭の数騎が転倒し行く手をふさいだため、全力で駆け上がってきた長宗我部軍の突撃隊は一気に速度を落として止まった。

 本村軍の挑発隊の殿しんがりには兵役を退いた馬術の熟練者7名がいた。この者達はみずからの役目をよく理解していたので、一度止まった長宗我部軍の突撃隊が追撃を再開するのを落ち着いて待った。敵が止まるという不測の事態を彼らの機転が救った。


 長宗我部軍の突撃隊があたりを見まわして、倒れた人馬や後続の騎馬兵を確認しているときに、北坂にいた挑発隊から石が投げられた。その一つが武士のかぶとに当たった。威力は強く無かったが、後ろから頭を殴られたような衝撃に怒りが込み上げた。

 振り返ると手を伸ばせば届きそうなわずか数間(4~5m)上に本村軍がいた。しかも今度は見るからに年寄りである。ここに来るまで子供と老人にあしらわれて味方が倒れたのか。それは音に聞こえた長宗我部軍の騎馬兵には耐えられない屈辱くつじょくであった。


 功名心こうみょうしんから始まった突撃隊の進行は、怒りの感情へと変わり手綱たづなを持つ手に一層の力が入った。そして体制を整えると追撃を再開した。

 挑発隊は自分たちの真下を敵が通過するの見届けてから馬を走らせた。

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