景成の誘い
高重が炭焼き小屋に寄り付かなくなって、炭を焼く事も無くなり最後に言いつけられた炭焼き窯の掃除が終わると武盛は時間を持て余すようになった。
「お~い、たけもり」
「ん、しそんか」
他のことに気が向いているときには子孫の呼びかけに反応が無かった。どうやら武盛の意識が内向きになった時だけ、子孫との会話が出来るようだった。
「やっと気が付いたか。お前は平家の末裔なのか」
「ご先祖様は源平合戦の折に平家の姫を守り、この地に落ち延びたそうだ。その後ご先祖様がその姫を娶り、代々その血を継いで来たと聞いている」
「なるほど、その姫の血を引くのか」
「それゆえ、いつか俺は平家の無念を晴らしたいと思っているのさ」
「源頼朝が開いた鎌倉幕府は程なく平氏に実権を奪われたけれどな」
「平氏が実権を? 源氏が討伐されたのか?」
「いやいや、そもそも平氏一族と源氏一族が、二手に別れて戦った訳じゃないんだ」
「平氏と源氏の戦いでなければ、誰と誰が戦ったんだ?」
「平家が朝廷内で力を増し皇位継承にまで干渉したので、それに腹を立てた皇族が平家討伐の勅旨を出したんだ。そして概ね京より東の武士たちは、平氏も源氏も無く打倒平家に動いた。源頼朝は坂東平氏の後ろ盾で、総大将の働きができたらしい。のちに源氏の実権を奪う北条氏も坂東平氏だ」
「それでは、京より西はどうなったのだ?」
「うん、概ね京より西の武士たちは、平氏も源氏も無く平家側についた。でも、6年間に渡る戦で、打倒平家側で内輪揉めの戦があったり、平家側の武将が寝返ったりして戦況が変わっていった。確か土佐は最後まで平家側についていたと思うが、壇ノ浦の戦いで敗れて平家が滅びてしまった」
「平家が敗れたあと、源氏はどうなったのだ?」
武盛の暇な時間は無くなった。武盛にせがまれて源平合戦、鎌倉幕府、北条氏執権、承久の乱、元寇、室町幕府、応仁の乱、戦国時代に至るまでの出来事を子孫が知る限り話した。高校受験を終えたばかりの久杜(子孫)には、さして難しい作業ではなかった。
しかし、戦国時代がどんな経緯を辿り、どう終焉を迎えるかについての話は控えた。意気揚々とした人生へ舵を取ったばかりの武盛にその結果を知らせるような事はできなかった。
この小屋に担ぎ込まれてから、4日後に高熱を出していた茂長の様態が安定したが、傷口の3カ所が化膿していた。6日目には少し体を動かせるまでに回復し、それに合わせて膿を絞り出す処置をした。傷を負った時は気丈に耐えた茂長だったが、この時ばかりは声を上げて痛がった。
その翌日から新八の姿がなくなった。
このころ、久杜は武盛の求めに応じて、戦略・戦術について教えていた。
「南にある味方の城を、敵が大軍を以て包囲したとする。この城を救う為に軍を出すとして、どうすれば良いか」
「ここが自分の城とすると南に味方の城か」
頭の中でそんな会話をしながら武盛は土間に木の棒で敵味方の布陣図を描いた。そこにいろいろ描き足し最後に大きく頷いた。
「なるほど、囲魏救趙の計か・・・」
そう呟きながら、ふと顔を上げると目の前に景成がいた。
「これは何か戦の図に見えるが」
「ええ、南にある味方の城を、敵が大軍を以て包囲したとします」
武盛は土間に描いた図を指しながら、たったいま子孫から聞いたばかりの戦術を景成に話した。得意顔で話す武盛に、景成は何気ない素振りで感心して見せたが、心の内では腰が抜けるほど驚愕していた。それは自分では到底思いつかない策略が盛り込まれていたからだ。
新八が小屋を出てから3日後に、十数名の侍を連れて戻って来た。茂長は輿に寝かされ侍達と共に去っていった。去り際に景成は丁寧に謝辞を述べるとともに、幾何かの金品を置いて行った。
本村茂長が去って翌日からまた炭焼きの生活に戻ったが、5日後に山崎景成が炭焼き小屋を訪れた。高重は山崎の姿を見るや否や姿を消してしまった。茂長が亡くなりその責を問われるのではと案じたのだろう。
しかし景成の態度は穏やかで礼儀正しく、初対面の時の威圧感は微塵もなかった。武盛と景成は小屋の中で囲炉裏の傍らに向かい合って座り、景成が話しを始めた。
「拙者が仕える本村氏は桓武平氏の後裔で、古くからこの辺りの領主であり、本村城を居城として治めてきた」
景成は一旦過去の歴史に触れ、源平合戦、鎌倉幕府、北条氏執権、承久の乱、元寇、室町幕府、応仁の乱と簡潔明瞭に説明した。
これは武盛が平家の落人部落出身の者であろうと推測した上で、知識の補完をする心遣いであった。
「今から100年程前に起きた応仁の乱以降、全国に広まった戦国乱世はこの土佐の国にも及び、領主同士の争いが続いている。今は一進一退を繰り返し混沌としていて先が見えぬ状況にある。拙者は武盛殿に我が軍に加わって貰いたいと考え、殿にも許しを得て来ておる。如何であろう武盛殿、本村軍に加わり共に戦っては貰えぬだろうか。目指すは土佐国の平定である」
景成は、武盛が本村軍へ参加するよう促してきた。
武盛は元服を終えたばかりの16歳、久杜(子孫)は2月生まれの満15歳だから数え年齢は16歳、同い年だった。景成から見れば若僧なのだろうが決して見下すようなことはなかった。誠実な態度で接してくれる景成に対して、武盛も子孫も好感を持っていた。また武盛からすれば子孫から聞いた過去の歴史と、景成の話は概ね一致しており、景成への信頼が揺るぎないものになっていた。武盛はうつむき加減になって何か考えているようだったが、例によって子孫と意志を通じていた。
「自分一人の力で何ができるだろうか。子孫はどう思う」
「話を聞く限り容易に土佐国平定を成し遂げられるとは思えないが、失敗しても武盛が後悔しない方を選ぶと良いと思う」
「この地の領主が平氏と言うのも何かの縁だろう、俺は平氏の武将として戦いたい。結果が約束されるような状況ではないが、例え討ち死にしても、部落で50年生き続けるより満足して死ねるさ」
「武盛が望むなら、思い切り暴れてみようじゃないか」
こうして武盛は、山崎景成の客将として本村軍に加わる決断をしたが、回答するまでに3日間の猶予を貰った。
翌日、武盛は落人部落に戻り、父と話をした。
源頼朝が権力を掌握して樹立した幕府は既にない事、落人狩りは三百年も前から行われていない事、今は足利氏が樹立した幕府により政が行われてる事、足利氏の幕府は弱体化していて全国の領主が覇権を争う戦国の世である事を、始めに話した。
次いで、炭焼き小屋でこの辺りを治める領主本村茂長の命を救った件、及び景成から招聘されたことを父親に伝えた。そして景成の誘いを受け入れ本村軍に加わる事について許しを乞うた。
父は話を聞きながら終始不機嫌そうであった。話を聞き終えた後、少し間をおいて徐に口を開いた。
「領主の命を救うと云う行いをして衆目を集める者は、この部落の一員として相応しくない。故に部落からの追放が適当な判断だろう。しかし自ら部落を離れ本村氏の一員となる事を以て追放と見なしても良かろう。部落がこの山奥を離れる危惧は、落人狩り以外にも住む家、食料、地域住民の目など多岐にわたり、武盛がその危惧を取り除けた時にのみ、部落の一員として認め、その先の行動を共に出きよう。それが叶わぬ時は名実共に追放となるが、良いな」
父は山崎景成の話が平家の落人を誘き出す罠ではないかと云う疑いを拭い切れないようであった。軽率に動いて部落の人々を危険にさらす事は、部落の長として絶対に避けなければならないのである。
「成果無きときは部落に戻るな、と言う事ですね、承知致しました。必ずや父上に認められるだけの成果を持って戻って参ります」
武盛は床に両手をつき深く頭を下げた。
その夜は久し振りに父と妹と3人で夕食をとり、枕を並べて寝た。