炭焼き小屋で
久杜は、この不思議な夢の舞台をいろいろと推測していった。
どういう脈絡でこんな夢を見るのだろうか? さっき島田家って言ったな、先祖にまつわるものなのか? うちの先祖は平家の落人だったのか? 時代は源平合戦から18代経っているなら1代の年齢差を20年として360年、16世紀中ごろか? とすれば戦国時代なのか? もしもそうなら打って出るには千載一遇の好機じゃないか。
「では武盛、どのような手順を踏んで天下を目指すと言うのだ」
父の口調は堂々として落ち着き払っていたが、武盛の問いに返す言葉を探しあぐね、咄嗟に思いついた問いを投げかけた。この問いに武盛は狼狽えた。自分の胸の中で日々大きくなる想いを吐き出しただけで、それ以上の目論見など無かったのだ。
しかし、このやりとりを傍観していた久杜の頭の中には「敵を知り己を知れば百戦危うからず」の言葉が浮かんでいた。そして、それが武盛の声に出た。
「始めに知ることでしょう」
久杜の言葉が武盛の口から発せられたとき、武盛は驚いた。答えに窮して狼狽えている隙に、自分が思いつかない答えを自分の口が勝手に話す、という事態を呑み込めず茫然自失となった。
「何を知ると言うのだ」
父は更に問い質した。
「まずは源氏の落人狩りが続いているのか、この地域を取り巻く豪族たちの布陣や力の優劣、そして都の政が誰により、どう行われているのかです。そののち知り得たものにより、進退を考えてはいかがでしょうか」
武盛の話を聞いた父は、目を閉じて若い頃(丁度今の武盛と同じ年頃)に同じような想いを抱いた事を思い出していた。しかし、それではどうすると自問自答しても答えは何も見つからず、うやむやになってしまっていた。20年の時を隔てて、その答えを息子が示してくれたように思えた。さりとて即答も出来ず、その場しのぎにこう答えた。
「言いたいことは分かった。この場で決することはできぬが、考えてみよう」
武盛とすれば無意識のうちに勝手に会話が交わされている状況だった。
「いやいや、気を確かに持て」
そんな思いが頭の中に響き、武盛は我に返った。それと同時に武盛の言動は久杜の思い通りにならなくなった。
状況を理解できないまま話が進んだものの、武盛が望む方へ向かったので、取り敢えず礼を言った。
「あ、ありがとうございます!?」
「夜も更けてきた、そろそろ寝るとするか」
父の言葉に従い、武盛は粗末な布団に潜り込み、枕を引き寄せ体を横たえた。理解を越えた自分の言動に混乱していて、何も考える余裕はなくすぐに眠りについた。武盛の隣には妹と思われる12歳くらいの女の子が寝息を立てて眠っていた。
ふっと久杜が気付いた。
「武盛が使っている木の枕は、俺が今寝ている枕ではないか」
翌朝武盛は、早くから起き身なりを整えて外に出た。そこは木々が生い茂る山奥の森の中だった。日差しは木々に遮られ、陰鬱な森の中に家と呼ぶよりあばら家と言う方が相応しい建物が、10棟ほど目立たぬように建てられている。武盛はそのうちの1軒に入って行った。そこは人が住んでいる様子は無く、作業小屋として使われているようであった。
既に来ている者が3人いたが、声を出して挨拶はせず、ただ目を合わせて互いを確認するだけだった。また狭い小屋の中で会話もせず静かに過ごしているのは、落人部落の習わしなのだろうと久杜は思った。
間もなくもう2人現れ6人は小屋を出た。いずれも15歳から20歳過ぎくらいの男5と女1の6人は、森の中を歩いて行った。
道すがら武盛の隣に並んで来た者がいて、その者と歩きながら小声で話を始めた。武盛は直隆と言う名のこの者に、昨日の出来事を打ち明けた。話が進むにつれ直隆は徐々に不機嫌な態度になった。どうやら直隆の妹は武盛の許嫁らしく、身勝手な振る舞いで妹をないがしろにする事など無いよう武盛に釘を刺していた。
やがて一行は山中の野原に出た。ここに来て漸く視界が開けたが、お椀を伏せたような形の山が周りを囲んでいた。いずれの山も木々が密集して繁げり、多分部落のあるこの山も含め同じような山が幾重にも幾重にも連なっているようであった。
6人は野原で野兎を狩った。ここで一番活躍したのは大樹と言う男だった。年齢は18歳、立派な体躯と並外れた身体能力を持ち、姉のみきと息を合わせて兎を追い込んでいった。みきは23歳、男勝りの体格と運動能力を持っていた。安宣は15歳、一番若く小柄であるが、兎に引けを取らないほどの俊敏性を持っていた。武盛と同じ年頃の直隆は状況を的確に判断する能力が高く、武盛と連携して兎を追い込んだ。善吉は19歳で男の中では最年長らしく、言葉巧みに一同へ指示を出していたが、自分から体を動かして汗を流すことは無かった。
兎を4羽狩り作業小屋に戻ると昼を過ぎていた。そこで獲物を解体して毛皮を干した後に8戸の家に兎の肉を半羽ずつ配った。それが終わると6人はそれぞれの家に戻った。翌日は魚を採りに、その翌日は山菜を採りにと続けられた。
武盛の父親は名を島田定泰、妹はさつきと言った。最初の夜から7日後に武盛は父親に呼ばれ、答えを貰った。要約すると初めのうちは武盛が一人で落人部落を離れ調べを行うこと、炭焼きの重の小屋に住み込み手伝いをすることから始めること、世間の注目を集めぬよう少しずつ人との交わりを広げていくこと、この落人部落との行き来はできる限り慎むことであった。
この話は炭焼きの重にも伝えられていた。炭焼きの重とはこの部落出身の者で、本当の名を長沼高重と言った。10年も前、高重が18歳のころ、足を滑らせ川に転落して流された。怪我をして川辺に打ち上げられたところを地元の爺さんに助けられた。
爺さんは炭焼き小屋で一人暮らしをしていて、その炭焼き小屋に運び込まれた高重は、傷の手当てを受けた。そして傷が癒えた後も爺さんの手伝いをしながらそのまま住み着いた。高重は落人部落の秘密が漏れぬよう多くを語らなかったし、爺さんも寡黙な男だったため、出所を詮索されることもなく、炭焼きの暮らしが遥か昔からそうであったように馴染んでいった。
事故から2年ほど経って、消息を知らせに落人部落に立ち寄ったが、ここで高重が人里から姿を消して捜索でもされれば、落人部落に累を及ぼしかねないとして、炭焼き小屋の生活に戻ることになった。炭焼きの爺さんは既に他界し跡を継いだ高重は、炭焼きの重さんとして川辺の村でも認知されていた。もともと高重は人間関係が不得手だったので有益な情報が入ることもなく、現在は交流がほぼ無いに等しかった。
炭焼き小屋は大きな川から少し離れた山の中腹にあった。炭焼きの手伝いを名乗り村に出入りするためには、まず炭焼きのことを知らなければならなかった。そこで武盛の生活は日々炭焼きと格闘することから始まった。
武盛が炭焼き小屋に来て20日が過ぎたある日、高重は木を切り出しに山へ入っていた。武盛は言いつけられた作業を一通り終えたあと、近くの沼に鯉を釣りに出掛けた。今晩の夕餉の食卓に並べるつもりでいた。釣り糸を垂らして間もなく鯉を1尾釣り上げたので、釣りを切り上げた。荒縄に結び付けた鯉を手にぶら下げ、竿を肩に担いで小屋に戻った。それから夕食のため竈に大きな鍋をかけて湯を沸かしていた。
その時である、大きな音を立てて小屋の扉が乱暴に開けられ、戦支度の武士3人が鬼の形相で入って来た。
武盛は武士の姿を見た途端に、顔面蒼白となり気を失いかけた。それは何度も夢でうなされた、落人狩りに急襲される場面そのものであった。