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新しい領地

 正月もなかばを迎え、少し落ち着いた日の夕方に、寛茂の呼び出しがあり屋敷を訪れた。屋敷に入ると案内されたのは寛茂の部屋ではなく、茂長一家がくつろぐ居間だった。そこには茂長、奥方、寛茂、茂篤、もう一人末の姫と思われる女子がいた。

 どうやら一家団欒いっかだんらんの場と見えたので、部屋の中に入らず開けられた扉の外で廊下にひれ伏し、


「武盛まかりこしました」


 と声をかけた。


かしこまらずとも好い、近こう寄れ」


 と茂長に声を掛けられたが、自分には場違いに思えてためらった。


「武盛ここに来て座れ」


 寛茂にうながされて恐る恐る部屋の中に進み、寛茂が指す場所へ座った。

 茂長が


「今日はそちに礼が言いたくて呼んだのじゃ。まずは盃を上げようではないか」


 軽く盃を交わしたのちに茂長が、山の中で手傷を負い失いかけた命を救われたこと、瓜山城で背水の戦さに勝利したこと、すぐさま本村城を奪い返したこと、長宗我部氏を打ち破り岡豊城を陥落させたこと、戦いに割って入った吉良氏を攻め滅ぼしたこと、これら全てに多大な貢献があったと武盛を称賛しょうさんした。それはまるで正室のひさとその隣にいる姫に武盛を紹介しているかのようであった。


「死のふちから戻った途端、40年かけて出来なかった事が、わずか半年でとげげられた。寛茂、茂篤、武盛、わしは良き息子たちに恵まれた」


 茂長は、そう言って満足そうに笑顔を見せると盃を干した。


 武盛は寛茂や茂篤と同列に息子と呼ばれ、気恥ずかしく思ったが、身近な存在と感じてくれているあかしだと理解した。そうこうしているうちに夕餉ゆうげの膳が運ばれてきた。一家の団欒に武盛が加わり心地よい時間が流れた。

 やがて食事も済み一段落したところで茂長から、


「実は言葉で礼を伝えるだけでなく、礼の印に何かを贈りたいと思っているのだが、計り知れぬ策を巡らすそなたに相応ふさわしい物が思い当たらぬ。欲しい物があれば言ってくれ、手に入る物であれば叶えるぞ。直ぐにとは言わぬからゆっくり考えてくれ」


 武盛は、褒美ほうびを欲しがるのは余りにおこがましく断るべきかと考えたが、主君の好意を断り面目をつぶす無礼を働くべきではないと考え直し、


「ご厚情をたまわり、この武盛にとってこの上ないほまれに御座います」


 と言って頭を下げた。

 一息ついた茂長が腕を姫の方に向けて、


「そうじゃ武盛、これは末娘の世奈じゃ、見知りおくがよい」


 そう言われて奥方の隣にいた姫が伏し目がちに軽く会釈えしゃくをした。武盛は胡坐あぐらをかいたまま両腕を広げ、こぶしひざの外側の床に置くと深く頭を下げた。


 夜も更け武盛は礼を述べたのち、寛茂と共に座を辞した。いつも泊めてもらう客間に案内されると、既に床の用意がされていた。普段なら寛茂は自分の部屋へ戻るのだが、一緒に部屋に入り障子戸を閉めて座ると、武盛をそばまねき小声で言った。


「実は父上が、隠居はせぬが本村家の差配さはい全般を儂に任すと言われたのじゃ。表立って振れは出さぬが心得ておいてくれ。今後は武盛により一層の働きをしてもらたい」


 そう告げると寛茂は部屋を後にした。

 武盛は戸惑ったが、このところの寛茂の実績からすれば不思議はないと思えた。その後まだ慣れぬ酒のせいもあって眠気をもよおし、そのまま床に就いた。



 数日後、加増された領地の屋敷で進められていた改修が終わり、武盛一家が移り住んだ。広い領地の領主に相応しく屋敷も広くなった。以前からこの屋敷で働いていた使用人のうち3人が、知らない土地へ移り住むことをきらい、そのまま働くことになったので屋敷の使用人が5人となった。新しく加わった使用人は、屋敷内の事や領地内の事を知る貴重な情報源となってくれた。


 彼等の話によると、元の領主は本村氏が浅井城を居城としていたころ、傘下の国人の一人だった。本村氏が本山城に撤退する時に、共に平野部を離れこの地に移り領主となったと言う。

 この度は念願が叶って平野部へ戻ることができ、一緒に平野部に移り住んだ農民も、元々は平野部の出身の者が多いと教えてくれた。


 武盛の引越しと同時に元からの領地に住んでいた領民のうち30人ほどが新しい領地に移って来た。それに続いて別の落人部落の住人90名が、元からの領地と新しい領地の両方に分かれて移り住んだ。


 武盛は旧領主からの引継ぎの内容を参考にして、領地全体の取りまとめ役に父を指名した上で、従来の領地から1名、新領地から3名の計4名を取りまとめ役の補佐として指名した。



 ここの領地はいくさの影響や平野部への移住があり、部落から移住した者を加えても領民の数が減っていた。そこで武盛は、農耕馬を買うことにした。農耕馬は軍用馬より遥かに安価だったので、手持ちのたくわえで5頭買うことができた。これを農民に貸し出し作業効率を上げ、本来できる最大量の米を作りたかったのだ。そして農閑期になれば新田を開発する助けにも使うつもりであった。


 また、この地で本格的な養鶏ようけいに取り組みたいと考えていた。子孫はにわとり孵化ふかを、父の実家にあった孵化器で観察した事があったので、それを再現しようとした。山の中腹にある傾斜のゆるやかな土地に、細長い鶏舎けいしゃと孵化小屋を建てた。


 孵化小屋は6畳ほどの広さで、外側は土壁つちかべとして風の侵入を防ぎ、その内側に1尺(30cm)の厚さの稲藁いねわらを詰め込んだ。また普通に張られた床板の上に稲藁を2尺(60cm)積み上げ、その上にもう一枚床板を張った。天井にも厚さ2尺(60cm)の稲藁を詰め込み、外部からの寒さが伝わらないようにした。当然ながら部屋は手狭で、かがんで歩くのがやっとの高さしかなかった。


 部屋の中は半分に仕切られて、奥の半分は卵を孵化ふかさせる部屋として、もう半分の部屋は前室として外に焚口たきぐちのあるかまどと出入口が備えつけられた。


 小屋が出来ると、竈で火を焚き部屋の温度を上げ孵化室の棚に卵を置いた。半刻(1時間)おきに室内の温度に気を配り、全ての卵を少しずつ回転させる作業を行った。

 こうして卵の孵化に最適な条件をさぐる試みが始まった。



 1月下旬、武盛は寛茂や河井達之と一緒に岡豊おごう城にいた。長宗我部氏の旧臣たちと一人ずつ面談して能力や忠誠を見極め、有能な人材を発掘し登用したいと考えていた。

 岡豊城での面談を一通り終えると、場所を吉良きら城に移して同じように吉良氏の旧臣たちとの面談を行った。

 面談の結果、それまで埋もれていた身分の低い臣下たちの中にも、有望な人材を多く見いだす事が出来た。


 その中でも、ある人物が子孫の目に留まった。40歳近い豪士ごうしで名を谷口宗伸たにぐちむねのぶと言った。取り立てて高い能力があるようは見えない、つかみどころがない人物だった。豪士ゆえか、武士にも百姓にも見える。人当たりは柔らかく、相手の主張を受け止めているのか受け流しているのか不明だが、のらりくらりと自分の考えを主張を織り込んでくるような人物だった。安芸軍を岡豊城攻めに駆り立てた善吉のような役割をになうのには、打って付けの人物だと思えた。



 面談を終えたあと、武盛が寛茂に新しい部隊の発足ほっそくについて提案した。


「これは策を練るにあたって一番大事なことなのですが、・・・・」


「始めに知る事だろう。そちがとんでもない奇策をどうやって思いつくのかと不思議に思っていたが、近頃は少しずつ分かるようになってきた」


「いかにも、『敵を知り己を知れば百戦危うからず』です。いままではいくさの前に下調べをして策を練り、たたかうことが出来ました。しかしそれでは突然他国に攻め込まれた場合や、近隣の2国がいくさを始めた時にどう立ち回るかを判断する場合は間に合いません。日頃から他国の様子を知る事が肝要となります」


「あらかじめ間者かんじゃもちいると云うことだな」


「左様でございます。つきましては、計画的に人員を育成し、各地に配置して動向を調べて伝える間者部隊を編成しては如何いかがかと存じます」


「うむ、良い考えじゃ、すぐにやろう。ところで人の当てはあるのか」


「先日面談した谷口宗伸が適任かと存じます。他にも何人か心当たりがあります」


「あぁ、煮ても焼いても食えぬ奴と、わしも覚えておる。確かに敵地に潜入させるには持って来いの人選かも知れぬ」


「なお、この部隊は敵にその存在を知られると、逆手に取られて我が方に不利益となります。若様の直属として、味方にもその正体を知られぬよう致しましょう」



 二人は密かに谷口宗伸を呼び出し、間者部隊の構想を打ち明けた。


 人並外れた武勇も思慮も持ち合わせていない、しかも豪士の生まれである宗伸は、どうせひたいに汗して奉公しても日の目を見る事はないと、なかば世をすねたように生きてきた。

 ところが、本村氏の次期統領とうりょうが自分の才を見出して重く用いると言う。正に『士はおのれを知る者の為に死す』の言葉通り、命がけで奉公する覚悟を決めた。宗伸は寛茂の直属の部下として、俸禄ほうろくは銭100貫と決められた。


 三人が間者部隊の人選を行い、宗伸以下7名の間者と5名の連絡係で、総勢12名の間者部隊が発足する運びとなった。

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