本願寺との関わり
武盛が本村城で寛茂と顔を合わせた時に、岡豊城下で起きた肉食の問題について相談を受けた。
「肉食を取り下げることはやぶさかでないが、本村の方針を誹謗する輩を放置すると、威信に拘ることになる。今後の悪しき前例となっては困る。武盛に何か良い策はないか」
武盛は俯いて考え込んだ。
「おい、子孫に何か考えは無いか」
「う~ん、宗教はなぁ・・・ そう言えば、じいちゃんの通夜の時、お経のあとでお坊さんが『浄土真宗では今まで肉食を禁止したことは無い』と話していたな。そうだ武盛、浄土真宗の寺に相談すると解決するかも知れないぞ」
武盛が顔を上げて問いかけた。
「若様、この付近に浄土真宗の寺はありませんか。何か解決策を貰えるかも知れません」
「浄土真宗か、この辺では聞かぬな。浄土真宗と言えば石山本願寺だな。よし、菩提寺の住職にでも聞いてみるか」
寛茂は掴みどころのない問題に、漸くできた取っ掛かりを、手繰り寄せるために動き出した。
岡豊城陥落から25日後、本村茂長に呼び出され登城すると、長宗我部氏攻略の論功行賞により、所領が900石に加増された。150石から一気に6倍に加増されるのは異例だと思われたが、誰もが当然の評価として祝福してくれた。
あとから聞いた話によると、宿敵である長宗我部軍を撃破したにもかかわらず、武将たちは手柄を挙げたという実感が無いと言う。寛茂と武盛の策に踊らされただけで勝ててしまったので、策を練った二人以外が報奨を受け取るのは気恥ずかしいと言うのだ。
ともあれ現在の所領と本村領の中央を流れる大河まで、地続きの土地が武盛の所領となった。前の領主が平野部へ移封され、年内に一部の領民と共に移り住むので、領民の補充が必要だと教えられた。
下城して屋敷に戻ると武盛は、父に加増を受けたので年が明ければ引越しする事と、新たな領地で農民の補充が必要なので落人部落の受け入れも可能になった事を伝えた。
武盛は事も無げに話したが、父は余りにも早い出世に戸惑っていた。茂長と出会ってからまだ7カ月しか経っていない上、家臣に取り立てられたのは6カ月前だ。
一時的な手柄で領地が増やされても、継続的にそれに見合う働きを若い武盛に出来るだろうか。無理な背伸びをしたため躓いたりして、今の立場や生活を失うのではないだろうか、そんな心配が膨らんでいた。
翌日から武盛は、先日仕込んだ果実酒の蒸留作業に手をつけた。竈の穴に丁度合う大きさの鍋を置き、その中を出来上がった果実酒で満した。その鍋をすっぽり覆う大きさの樽を用意して、底と蓋を取り除くと鍋に被せた。その樽の上に、円錐形の鍋を蓋の代わりに置き、谷川の冷たい水で満たした。
竈で炭を熾し、果実酒が沸騰しない程度に熱していくと、やがて水分と共にアルコールが蒸発しはじめる。蒸発した水とアルコールは樽の上部に置かれた冷たい鍋に冷やされ、鍋肌に水滴となって着く。だんだん水滴が大きくなると鍋肌を伝って下へ滑り落ち、円錐の頂点まで来ると鍋肌を離れ下へ滴り落ちる。これを柄杓で受け止め、さらに柄杓に付けられた竹製の管の中を流れて、樽の外へ取り出された。水滴は一升徳利に溜め込まれて、蒸留酒が完成した。
この作業を出来上がった果実酒が尽きるまで行い、数本の一升徳利が蒸留酒で満たされた。果実酒が尽きると鍋や樽を綺麗に洗い、集められた徳利の蒸留酒を再度鍋に入れ、重ねて蒸留作業を行った。
始めてから3日後、4度蒸留を繰り返してある程度高いアルコール濃度の蒸留酒ができた。それを1合(180ml)ずつ容器に分けると15本になった。その中から5本を消毒液として領民が傷を負った時に使うためにと、父に預けた。
武盛が一生懸命作業して出来上がった消毒液を受け取り、父はふと考えた。武盛はなぜ何事にも一生懸命なのか。その疑問の答えは考えずとも最初から分かっていたはずだ。天下を目指しているのだ。
追手の影に怯え、食べ物の調達に腐心し、陰鬱な山の中で暮らす生活から解放されて穏やかな日々を送っているが、目指したのは今のこの生活ではなかった。自分がそれを一時見失ってしまったが、武盛は真直ぐにそれを目指しているのだ。
目指す天下から比べれば、今の生活は千里の道の一歩目ではないか。そんな武盛のために父として何を為すべきか。食料を生産することと戦に備えること、この2点に注力しよう。
父は自分の置かれた立場や為すべきことを改めて心に刻んだ。
蒸留作業を終えた翌日、武盛は出来上がった消毒液の5本を本村茂長に献上するために登城した。
武盛は茂長に拝謁して、こう説明した。
「傷を負った時にこの液を含ませた布で傷口を拭えば、毒を消すことができましょう。もしも殿が炭焼き小屋近くで傷を負ったさい、これがあれば傷口に膿を持たずに済んだ事でしょう」
完治するまでに傷口の化膿に悩まされた茂長が
「そうか、これがあればまた傷を負っても怖くないな」
そう言って、大いに喜んだ。
拝謁を済ませると、寛茂が待ち構えていた。二人が寛茂の部屋へ入り、向かい合って座るや否や
「そろそろ、吉良と安芸を攻めたいのだが、どう攻める?」
寛茂がそう問いかけて来た。
武盛は少しの間を置いて答えた。
「この度は『戦わずして勝つ』がよろしいかと存じます。戦わずに勝てば兵力を損なわずに済みます」
「戦わずに勝てるものか?」
「吉良も安芸も兵の数を減らし、戦力的には我が方が優位です。よって奴らは攻め込まれると、籠城戦に持ち込むでしょう。籠城戦は攻める側が兵を消耗する戦いになります。城には見張りを付けるだけで、構わずに領内に侵攻するのが良策と思われます。奴らの選択は兵糧の続く限り籠城するか、城を出て戦いを挑むか、或いは諦めて降伏するかのいずれかになるでしょう」
「敵の領内に侵攻して戦い以外の何をするのじゃ?」
「もしも若様が籠城していて、敵にされて嫌なことはどのようなことでしょうか?」
「そうだな・・・・」
二人は互いの考えを出し合いながら2刻(4時間)話し合った。
武盛は寛茂と戦の段取りについて話し合う時間が好きだった。子孫から概略を与えられ、寛茂と話し合いながら詳細を詰めていく。途中で子孫からダメ出しを受けることもあるが、それも最近は少なくなってきた。そうして出来上がった策が的中して味方が勝利を収める快感は、筆舌に尽くしがたい最上のものだった。
「よし、それで儂は吉良から先に攻めようと思うがどうじゃ」
「若様の仰せの通りと思われます。旧長宗我部領内には元親殿の実弟である吉良親貞を担いで、長宗我部氏再興を目論む者も居りましょう。安芸を攻めている最中に隙をつかれぬよう、先に吉良氏を下し、良からぬ芽を摘み取るべきでしょう」
寛茂が『我が意を得たり』とばかりに力強く頷いた。




