戦後時代とのリンク
「伯母さん、忙しいのに迎えに来てくれてありがとう」
久杜は車が動き出すと伯母に礼を言った。
「おや、きゅうちゃん一人前に社交辞令が言えるようになったのかい。いいのよ、それ程忙しいと言うこともないから」
伯母は少し冷やかすように、また少し感心するように答えた。
「でも、そろそろ苗床を作る時期でしょう」
久杜は父の実家が1町(1ha)ほどの田圃を持つ兼業農家なので、春先は忙しいはずではと疑問に思い尋ねた。
「あぁ、田植えは止めて直播に変えたんだよ」
直播と聞いて久杜の目の色が変わった。
「え、直播って田圃に種籾を直接蒔くの? それで米が出来るの? どうやるの?」
矢継ぎ早の質問に伯母は呆れながら答えた。
「やれやれ、きゅうちゃんの知りたがりが始まった。小さい頃から変わらないねぇ」
と言いながら直播について話し始めた。
「水を張る前の田圃を平らに均したら、このくらいの深さの溝を掘り、そこに種籾を蒔いたら、その上から土をかけ・・・・」
伯母は手ぶりを交えながら説明を始めた。
「・・・・うちではお父さんも会社勤めがあるし、今のご時世ご近所の手を煩わせる訳にもいかないし、手間がかからない直播というのは何より有難いのよ」
伯母の話を聞いているうちに、車は父の実家に着いた。
久杜は伯母に指摘された通り、小さい頃から珍しいものに目が無かった。
小学生の頃は伯父が農作業を始めるとその後をついてまわり、飽きもせず一日中その様子を見ていた。トラクターの後ろに付けられる農機具は作業目的により、いろいろ取り替えられ久杜を飽きさせることがなかった。
また納屋の中には祖父の時代に使っていた古い農具が残っていた。当時健在だった祖父は昔を懐かしみながら、久杜に農具の使い方をあれこれと話してくれた。
以前来た時は、飼っていた地鶏の繁殖に用意した孵化器に興味を持ち、朝から晩まで付き切りで見ていた。温度と湿度を管理しながら、定期的に卵を動かし3週間かかって雛が生まれる機器に興味津々で、その時も伯父や従兄弟が質問攻めに遭っていた。
車が家の敷地に入って行くと、祖母が家の外まで迎えに出てきて、声をかけてくれた。
「きゅうちゃん、よく来たね。また随分と大きくなったね」
「おばあちゃん、こんにちわ。お世話になります」
そう言って母から持たされたお土産を渡した。祖母は玄関まで歩く間も孫を気遣ってくれた。
「おやおや挨拶もしっかり出来るようになって。お腹はすいていないかい、お昼は食べたかい」
「新幹線で弁当を食べたので大丈夫」
「そうかい、そうかい、さぁ家に入ってちょうだい」
促されて家の中に入ると、真っ先に仏壇のある部屋に連れて行かれた。
「さぁ、おじいちゃんに中学卒業と高校進学の報告をしなくちゃね」
祖母はそう言いながら、燭台のローソクに火をともした。祖父は3年前に亡くなっていて前回ここに来たのは、一周忌の法要に合わせて来ていた。久杜は年季の入った大きな仏壇の前に座ると、線香に火を付け線香皿の上に置くと手を合わせた。
この家に来ると恒例のこの儀式を久杜は嫌っていなかったが、これでご先祖様と交信が出来ればいいのにと思っていた。
そのあとは日当たりの良い2階の部屋に通された。窓から差し込む春の柔らかな日差しと、親戚の温かな心遣い、そして都会とは違うゆったりとした時の流れ、その心地良さを受け止めるかのように久杜は大きく腕を広げて欠伸をした。その様子を見た祖母が心配そうに声をかけた。
「少し疲れたんじゃないかい。慣れない乗り物の揺れは疲れるからねぇ」
「うん、そうかも知れない」
本当は疲れたのではないが、高校受験、中学卒業と慌ただしかった時間から解放され、ひと時この心地よさに浸っていたいと思ったのだ。
「そこに布団を出してあるから昼寝でもすると良いよ。そうそう枕はどれが良いかねぇ?」
そう言って祖母は押し入れのふすまを開けた。枕棚には厚いもの、薄いもの、円筒形のもの、数種類の枕が並んでいた。久杜が品定めしようと押し入れの中を覗くと枕棚の隅に木材のようなものが見えた。ふと気になって手に取ると見るからに古い木片は、幅30cm、高さ10cm、奥行き10cm位の大きさで、中央が僅かに窪んでいた。
「おばあちゃん、これはなに?」
「これはねぇ、昔の人が使っていた枕だよ。言い伝えでは千年も前からあるんだって」
「せ、せ、せ、せんねん?・・・おばちゃん、この枕を使ってもいい?」
「これに目を付けるなんて、きゅうちゃんも物好きだねぇ。良ければお使いなさい。おもしろい夢がみられるかも知れないよ」
祖母が含むような笑いを浮かべた。
「うん、ありがとう」
「そうだ、一休みしたら何かおやつでも食べるかい?」
祖母が思い出したように尋ねた。
「実はおばあちゃんの黍団子を楽しみにしていたんだ」
そう言われて祖母の顔がほころんだ。
「そうかい、それじゃきゅうちゃんが寝ている間に黍を炊くからね、ゆっくりお休み」
祖母は階下へ降りて行った。黍団子よりおいしいお菓子はあるけれど、黍団子を口にすると昔話の英雄『桃太郎』になった気分が味わえるし、孫のリクエストを受けて嬉しそうに作ってくれる祖母の笑顔も好きだった。
部屋に一人になった久杜は古い木の枕にタオルを巻いて畳の上に置き、横になって毛布を一枚掛けると吸い込まれるように眠りに落ちた。
・・・・・・・・
随分暗かった。目の前にぼんやりと明かりが見えた。どうやら夜だというのに囲炉裏で燃える焚き火だけが灯りらしい。囲炉裏の左側には30代半ばの男が座っている。着ている着物は古い雑巾で作った浴衣のように見えた。当然のように髪はボサボサ、えっあれって丁髷か? そうか夢か、夢を見ているんだな。これは、一体どの時代の夢なんだ。しかし夢にしては座っている床の肌触りや焚き火の煙たさを、生々しく感じる。こんなリアルな夢は初めてだ。そんな考えが頭を巡っているときに夢の中の自分が話し始めた。
「私が元服を迎えられたこと、父上には感謝致しております」
そう言って座ったまま深々と頭を下げた。
「どうした武盛、急に改まって」
武盛と呼ばれた自分は相変わらず格式ばった口調で話を続けた。
「この部落の長でもある、父上にお尋ねしたき儀がございます」
「憚ることは無い。話してみるが良い」
「我々はこのまま身を潜めて、生き続けなければならぬのでしょうか」
「平家一門が人里を避け隠れ住むようになった経緯は存じおろう」
「では父上、ご先祖様はどんな思いで隠れ住むようになったのでしょうか。我々子孫が追手から逃げ隠れ、密かに暮し続けることを望んだのでしょうか。私にはそうは思われません。いっときは逃げ隠れ身を潜めても、いつかは平家再興を掲げ源氏を討伐をして欲しいと、願ったとは思われませぬか。もしも今がその好機であるやもと思うと、私はじっとしていられないのです。如何お考えでしょうか」
ここは平家の落人部落のようであった。先の見えぬ隠遁生活に耐えかねた若者の気持ちが痛いほど伝わって来た。
「うむ、その考えに異を唱える余地はない。しかし、平家の血筋は守り抜かねばならん」
「その憂いを乗り越えなければ、永久に平家再興は叶いません」
「源平の合戦から三百有余年、我が島田家が18代に亘り・・・・・・」
父はそこまで言いかけて言葉を飲み込んだ。部落に隠れ続けるとすれば、いつか落人狩りに襲われるか、疫病や飢饉で絶滅するか、何事も無く今の状態のままか、いずれにしても平家再興に結びつかないのは自明の理であった。
「血筋を守るだけでは片手落ちです、『なぜ父上は天下を目指さないのですか』」
夢の中で武盛がそう言った瞬間、久杜の思考回路に何かが共鳴して響き渡った。