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浅井城占拠

 それから15日経ち稲刈りがひと段落着いた頃、善吉は安芸城下で小間物の行商をしていた。あきないを始めてわずか10日足らずで得意先を数軒作り、その中には安芸氏配下の武士の屋敷もあった。利益を求めない相場を少し下回る値段と、易々(やすやす)と人のふところに入り込める善吉の能力がそれを可能にした。また同じ木賃宿に身を寄せる行商人とも、すっかり打ち解けていた。

 そして得意先や行商人達と、世間話が始まるとこんな話をした。


「どうやら近いうちに本村と長宗我部が、いくさを始めるようだ」


「以前は長宗我部が優勢だったが、瓜山城のたたかいでは本村が圧勝した」


「いまたたかえば僅差きんさで長宗我部優位だろう、しかし長宗我部が勝っても重大な損害は避けられまい」


「長宗我部が岡豊城を失えば、再起はできまい」


「安芸の殿様が土佐の支配者となる好機だ」


 会話の中に少しずつり込み、まるで既成きせいの事実のように人の意識の中に植え付けた。屋敷の下働きは家人に家人は職場の同僚に、行商人は行く先々の得意先に話しを広め、あっという間に城下全体に広まっていた。



 秋の明るい月が東の空に輝きだした夕暮れ時、浅井城に地元の国人たち7名が集まっていた。


 栗山尚忠がにごりの無い澄んだ酒を京の都から取り寄せたので、国岱又左こくたいまたざを始めとした国人達に振舞ふるまうという名目だった。この一帯の支配者気取りの国岱とすれば、国人達を招集する役やその席で上座に座る役は自分だと云う自負があり、その結果浅井城が宴席の場となった。


 既に栗山の家来数人が、酒の入った4斗樽とだる(72リットル樽)をかついで城に入っていて、樽のふたを開けて徳利とっくりに酒を移し各人のぜんに運んで宴は始まった。


 城下全体に稲刈りが済んだという安堵あんどの気持ちがただよっていて、宴席に集った者達の気もゆるんでいた。宴席の誰もが、並べられた酒にさかなに酔いしれて行った。また酒は浅井城の武将達や守備の兵達にも振舞われ、時は過ぎて行った。


 やがて国人達の中から1人、2人と酔いつぶれる者が出てきたいぬこく(午後8時)過ぎ、前触れ無しに武装した250名の兵士が浅井城に押し入った。これは栗山の家来たちが密かに城内から手引きしたためで、またたく間に城内は制圧さた。栗山を含めて国人たちは浅井城内に軟禁なんきんされ、浅井城を警護していた兵達は土蔵にかんきんされた。



 一夜が明け、本村軍の武将が国岱を除く6名の国人達を集め、次のように宣言した。


「この城は本村様の城となった。かつて本村氏はお主ら国人の離反りはんによって、この城を追われた。よって裏切りの報いとして切り捨てても許される所ではあるが、一度はこころざしを同じくした者たちだ。性根しょうねを入れ替え本村氏に従う者は、起請文きしょうもんしたためた上で差し出せば、このたびに限り過去の遺恨いこんを水に流して解き放とう。さもなくば裏切り者としての末路を覚悟せよ」


 起請文は、本村氏の命に従い所領を安堵あんどしてもらう代わりに、本村氏の命にそむいた時は領地没収及び死罪を含めた懲罰ちょうばつに同意すると云う内容だった。

 言うまでも無く全ての国人が起請文をしたためめて差し出した。

 起請文を差し出した国岱以外の国人は各々の屋敷へと戻って行った。

 城に攻め込んだ250名の本村軍はそのまま城を占拠した。兵のうち、本村軍の兵は100名ほどで他は栗山久忠を始めとする、長宗我部ちょうそがべ領内に残る親本村派国人の兵であった。


 長宗我部にくみする国人は解放され自分の領地に戻ると、すぐさま岡豊おごう城へ本村軍が浅井城を占拠したことを知らせた。

 彼らは瓜山城で撃退されたものの、長宗我部軍の力の優位はるぎなく、本村軍は勝てるはずが無いと考えていたのだ。



 長宗我部氏の統領とうりょうである元親もとちかの元に、本村軍が浅井城を急襲きゅうしゅうしたと云う知らせが届いたのは、国人たちが解放された日の昼近くだった。元親は直ちに武将を集め軍議を開いた。現在の状況を説明した上で元親が発言した。


「浅井城を250の兵で占拠した本村の狙いは何だろう。考えのある者は聞かせてくれ」


「我が領内の城を占拠するのに、250の兵とは少なくも無いが多くも無い。実に中途半端な数ですな」


「我々が出陣して浅井城を包囲すれば、本村の援軍が駆け付けるのだろう」


「我が軍が、本村の1000や2000の兵に負ける気はせぬ」


「本村は窮鼠きゅうそですぞ、瓜山でのたたかいをかえりみれば何か策があるはず。本村から寝返った蓮中規正からは何も言って来ぬが・・・」


「我々が本村の援軍に矛先ほこさきを向けた時に、城の兵が打って出て、はさちを狙うのではないか。それなら城の兵の数は納得できる」


「挟み撃ちか・・・」


 そう言うと元親は黙り込んだ。

 長宗我部元親は思いを巡らせ考えを整理してから話を始めた。


「確かに不意に挟み撃ちを仕掛けられ、態勢をくずせば大きな痛手を受けかねない。いろいろ考えても他にこれと言った作戦は思い当たらないが、果たして挟み撃ちを狙って来るだろうか。それともえて作戦を用いずに真っ向勝負を挑んで来るのではないか。いまの本村は我々と力勝負をして、勝算ありと考えているのだろうか」


「瓜山のたたかい以後の本村は、何やら不気味ですな」


「では、こちらが挟み撃ちを仕掛けては如何いかがでしょうか。本村は浅井城の北から平野部に下りて来るでしょうから、西の森に兵をひそめておき、一旦やり過ごしてから背後を突けば良いでしょう」


「それなら浅井城の北側に陣を張り適当に城を攻撃しておれば、本村の奴ら脇目わきめもふらず我らの本陣目掛けて飛び込んで来ましょう」


「加えて浅井城の南にも兵を潜ませれば、城から打って出た兵の背後も突けよう」


 武将たちの意見が出揃でそろったところで元親もとちかが方針をまとめた。


「では、我が領地の東を守る小安城下の兵300はそのまま、南を守る浦戸城下の兵200もそのまま、浅井城下の兵300は招集しがたいとすれば、岡豊城に200を残し、浅井城攻めには1300の兵となるな。吉良城には兵200を残して300を援軍として要請しよう。出陣は可及的速かきゅうてきすみやかに、そう明後日が良いな」


御意ぎょいに御座います」


 武将達との話し合いで、元親の胸中にあった不安も薄れ、軍議を終えた。

 武将たちの話の中に出てきた蓮中規正は瓜山城のたたかいで捕虜となり、本村氏に仕官したものの待遇に不満をつのらせ、密かに長宗我部氏と連絡を取り本村氏の内情を知らせる内通者となっていた。



 遠く離れた安芸城下にも、浅井城を本村が奪い返したという話が伝わってきた。いくさの当事者ではない安芸氏の城下だが、将兵は勿論もちろん多くの町人にまで緊張が走った。



 その翌日(浅井城急襲の翌々日)の岡豊おごう城下では、いくさのための支度があわただしく行われた。

 岡豊城下で合戦の準備が進められている様子は、直隆から本村城に伝えられた。伝令に走ったのは、俊敏に野山を駆けられるあの安宣やすのぶだった。


 本村城下は落ち着いているように見えたが、あちらこちらから荷を背負った馬がかれて行き、本村城から一里半西にある林上城はやしうえじょうに集められていた。

 安宣から、岡豊城下でいくさの準備をしているとの情報がもたらされると、兵達が本村城下を出て西にある林上城に集まり、総勢1100名が一夜を過ごした。

 ここから出陣すると長宗我部領までの行程が一刻半(3時間)以上短縮できるからだ。


 林上城に集まった兵の中に武盛の姿もあり、明日出陣と云う思いに気が高ぶり、寝付けずにいた。気を落ち着けようと、子孫に話しかけても子孫はうわの空だった。

 子孫の頭の中には次元の違う思いが去来きょらいしていた。


長宗我部元親ちょうそがべもとちかと言えば、土佐を統一し、やがて四国全土を制覇する地元の英雄だ。果たして勝てるのだろうか。それとも負けて夢から覚めるのだろうか。今まで見たことも無いおもしろい夢なのに」


 子孫はいくさの行方よりも、もっと夢を見続けていたいという思いでいた。


こうして、土佐の各地にいる様々な人たちが様々な思いを描きながら、長宗我部軍出陣の前日が過ぎて行った。

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