捲土重来
3日目の朝、宿を出て安芸城下を見て回った後、武盛は新八に誘われ安芸の浜へ行き、ここで海に入った。夏は過ぎていたが思ったよりも水は暖かく、武盛はふんどし一つで塩の水を満喫した。
その後は昨日来た道を戻り、岡豊城下で再び留七の家に泊めてもらった。
昨日の朝出がけに本日の再訪を告げていたので、膳の上は新鮮な海の幸が並び、華やかになった。もちろん武盛が海の幸を口するのは初めてで、その旨さに感嘆した。武盛が出された料理に舌鼓を打つ様子を、新八も留七の家族も満足そうに見ていた。
武盛は敵対する領地の領民に接待を受け、喜ぶ自分を不思議に感じた。常に追手を警戒する部落の価値観が、味方以外は敵と思う考えを育み染みついているのだろう。敵方なのに親しみを持てる相手が目の前に現れ戸惑う武盛だった。
4日目、夜明けとともに岡豊城下を出た二人は、国分川沿いの道を西に進んだ。
歩きながら武盛は昨日の飲み食いが頭から離れなかった。その時頭の中に別の疑問が浮かんだ。
「昨夜の食事で、留七殿に散財をさせてしまったのではないだろうか」
「お気遣いは無用です。実は一昨日寛茂様からお預かりした路銀から、十分な謝礼を渡してあります。安芸城下の木賃宿の支払いも同様です」
言われてみれば当然のことに気づいていなかった。しかし寛茂は気付いていて予め手配していた。今更ながら自分の未熟さを思い知らされた武盛だった。
川沿いの道は矢尻丘の南を大きく迂回して矢尻丘の西に出た。
「随分長いですね。では今度は丘の間を抜ける道を行きましょう」
新八はそう言って初日に歩いた山沿いの道に向かい、途中で丘と丘の間にある道へ足を踏み入れた。そこは狭い道で左手は高さ3間(5.4m)もある瓢箪丘の絶壁、右手の矢尻丘の斜面は、駆け上がるのが難しいほどの傾斜があった。狭い道は程なく終わり、扇状に平地が開けた。更に進み、丘を抜けると正面に岡豊城のある小山が見えた。道幅は狭いものの岡豊城までの距離が、一番短いのはこの道らしかった。
丘の間の道を抜けた二人は南にある国分川まで向かい、再度川沿いの道を西に歩き浅井城下に向かった。
丘から2刻(4時間)歩いて浅井城に着いた。城の周りを一通り見たあと、浅井城下にある新八の叔父を訪ね、泊めて貰った。
新八の親は既に無くこの叔父が親戚内の年長者らしかった。叔父は本村軍が勝利した瓜山での戦いの様子を聞きたがった。その話が終わるとこの地域を本村氏が治めていたころの様子を懐かしむように話した。どうやらこの叔父も本村氏の復権を願っている一人のようだった。
5日目の朝、浅井城下を出た二人は南を目指し、1刻(2時間)かからず吉良城下に着いた。城下を1刻(2時間)かけて見て回ると来た道を北に戻り、前日と同様に新八の叔父の家に泊めて貰った。
6日目の早朝に浅井城下を離れ、北に向けて歩いた。一刻(2時間)ほどで道は川沿いの山道となり、巳の刻(午前10時)には川を離れ、東向きの山道へ進んだ。昼を過ぎたころ、この旅の初日に平野部の中央に向かうため、東に進んだ分かれ道に西から辿り着いた。
ここで北に向きを変え、初日に歩いた山道を登り下り、右に左に折れ、夕刻に屋敷に戻った。
武盛が屋敷に戻って3日後の昼過ぎに、寛茂の元を訪ねた。
寛茂は自分の部屋に案内し、二人きりで長宗我部氏攻略について話を始めた。
冒頭に武盛が、こう話した。
「若様、我が軍の戦力で長宗我部軍を倒すのは無理のようです」
「やはり無理か。それでどう攻めるのだ」
無理だと言ったにも拘らず、寛茂は取り合ってくれる素振りも見せないので、武盛は観念した様子で用意してきた図面を取り出した。
「では若様、浅井城の城門が内側から開けられ、我が軍が制圧したとします。長宗我部はどう動くと思われますか?」
「う~む・・・。まずは浅井城を占拠した兵の数で、我が軍の意図を探るであろうな」
こうして始まった話し合いは延々(えんえん)と続き、深夜に一旦中断した。武盛は本村の屋敷に泊まることになり、二人は床に就いた。
翌朝は目が覚めると直に昨夜の続きを始めた。朝食を挟んでは続き、夕食を挟んでは続き、就寝を挟んでは続き、三日目の夕方に漸く終わった。
「おもしろい、実におもしろい。正面から戦えばどちらが勝っても、双方に大きな被害が出る上、おそらくは我が方に分が悪い。伸るか反るかの戦でこそ勝利の道が開けるというものだ」
と寛茂が言った。
その日武盛は自宅に戻り、翌日改めて寛茂と共に茂長に拝謁した。人払いをして3人だけで長宗我部氏攻略の話をした。
話が終わり最後に
「随分と大胆な作戦だ。しかし長宗我部が勢力を拡大しつつある現状では、日を重ねるほど状況は悪くなるばかりだ。攻め込まれ敗北を待つか、長宗我部を打ち破るか、今こそ捲土重来。寛茂、武盛、お主らに本村の命運を預けるぞ」
そう言った茂長の顔には闘志に混じり、悲壮感のようなものも感じ取れた。
この戦に勝てば、父の代に築いた領地を凌駕できる。そうなれば父と比べても遜色ない功績を誇れるようになる。その思いはここ数年戦に負け続けていた茂長の悲願だった。
双肩に掛かる荷の重さを感じつつ寛茂の部屋に戻ると、武盛が寛茂に訪ねた。
「奥方様は長宗我部氏との戦を、憂いておられませぬか?」
「母上は長宗我部が劣勢の時代に、半ば人質として輿入れしたのだ。それが長宗我部の態勢が整った途端に、本村に敵対し数々の戦を繰り広げてきた。夫である父上は勿論、息子である私さえも奪い取ろうとする実家の身勝手に、内心業を煮やしている。母の父上が亡きいま『弟に奪われるくらいなら奪い取ってやる』と言うのが母上の本音だ」
寛茂の言葉に返す言葉が見つからず、武盛は無言で頷いた。
その日、本村の屋敷を辞した武盛は、富国強兵会議で顔馴染みとなった商人の益田屋拓道を訪ねた。奥の間に通され軽い挨拶を交わしたのち、武盛が早速用件を切り出した。
「実は私の配下の者を・・・、この者は商いの経験は無いのだが、旅の行商人として、安芸城下で商いをさせられるだろうか。それも1日でも早くに」
拓道は少し思いを巡らせてから、
「分かりました。ここで5日もあれば、商売の習わしから商品の知識、客の扱いまで仕込んで、立派な行商人に仕立てみせましょう」
そう答えた。武盛は明日連れて来ると言い残して店を出た。
次いで新八の元を訪れ、平野部視察の感謝を伝えた後に、
「岡豊城下で城の動きを監視させるため、住み込みで下働きの男をひと月程働かせたいのだが、適当な場所に心当たりが無いだろうか」
と尋ねた。新八は直ぐに、
「先日、岡豊城下で宿を借りた従兄弟の留七が、お役に立てると思います」
そう答えた。武盛は明日連れて来ると、言い残して所領へ戻った。
屋敷に戻った武盛は、言葉巧みな善吉と、状況判断に秀でた直隆を別々に呼び出し、他言無用と前置きしてから、近く長宗我部氏と戦を始めること、その戦で勝つために各々が為すべき役割を細かく聞かせた。
二人にとって武盛は、部落の生活から解放し人並みの生活を提供してくれ、そしていま平家一族の無念を晴らす最初の一歩を与えてくれる神のような存在であった。それぞれ一も二も無く、武盛の命を受けてくれた。
翌朝武盛は、善吉と直隆を伴い本村城下へ行き、善吉を拓道に直隆を新八に託した。




