敵地視察
日が暮れるころ武盛は所領の屋敷に戻り、明日の早朝からから5、6日旅に出るので、下働きのふみに仕度をするよう頼んだ。また、明日の中食に握り飯を2人分用意する事も付け加えた。
いま武盛の屋敷では父の定泰と妹のさつき、それに万作とふみが加わり5人が暮らしている。親子3人が夕食を済ませ、団欒のひと時に父がこんな話をした。
「この地へ移り住んで部落の者達は一様に喜んでおる。以前と比べると御殿のような家に住み、継ぎ接ぎの無い綺麗な着物を着て、日々欠くこと無く食事ができる生活に満足しているようじゃ」
「部落のあばら家と比べれば随分良くなりましたが、まだまだ立派な家とは言えませぬ。それでも喜んでもらえているのは何よりです。部落の方々が移り住むにあたって、父上がどれほど心を配られたか近くで見てきましたので、さぞかし父上も嬉しい事と存じます」
こう言って武盛が相槌を打った。父は武盛の反応を見て話を切り出した。
「実は、我々が移り住むという話は西の山の部落や滝の上の部落にも伝えていたのだが、我々がこうして満たされた暮しをしていることを知り、彼らもここへ移り住みたいと言ってきているのだが、どうであろうか」
西の山の部落も滝の上の部落も平家の落人部落で、長い年月の中で人が多くなりすぎて別れ住むようになって出来た部落と、山奥に隠れる者同士がいつの間にか存在を認識するようになった部落である。日常的な交流は無く、稀に部落間の協力が必要な時に助け合うだけの関係であった。
「我々と同じ苦労を背負う人を一人でも多く救いたいと思いますし、本村領も一人でも多くの手を必要としております。一方で空き家の数には限りがあり、また人が増えれば父上の負担が更に重くなります。ですから、移り住む時期や人数を父上の裁量で決めていただいては如何でしょうか」
領主の立場にあるとはいえ、人を統率する経験が浅い武盛には、村を取り仕切る作業は荷が重く、父が頼もしい拠り所であった。
「承知仕りました。領主殿」
と言い父は畏まって頭を下げた。父に頭を下げられてばつが悪い武盛が照れ笑いを浮かべると、頭を上げた父の顔も微笑んでいた。互いに顔を見合わせると二人は大きな声を出して笑った。大きな声を出して笑うのは二人にとって初めての事だった。傍らに居た妹のさつきも、つられて大きな声を出して笑った。
こうして長年の鬱屈した心も少しずつ解きほぐされていった。
翌日夜が明けきらない頃に、新八が武盛を迎えに来た。炭焼き小屋で出合ったあの新八である。実際に平野部を見たいという武盛の要望に、寛茂が新八を案内役につけてくれたのだ。新八は本村氏が平野部に勢力を広げていたころ、浅井城下にあった豪士の家の出であり、平野部の事に明るかった。
百姓の身なりをした二人は卯の刻(午前6時)に屋敷を出て、山間の狭い道を南に向かい歩き始めた。登っては下り、下っては登り、右に曲がっては左に曲がり、左に曲がっては右に曲がると云う山道を延々と歩いた。もう午の刻(昼12時)かというころ、道が左右に別れた。
「この東に向かう道は、平野部の中央付近に出る道です。西に向かう道は平野部の西の端に出ます。そこから浅井城までは半里(2km)の道程です。今日は平野部の中央に出て、そこから長宗我部氏の居城である岡豊城を目指しましょう」
新八は東に向く道を歩き出した。日が少し西に傾いたころ、二人は山地の南端まで来ていて、視界が大きく広がった。道はこの山の東側に下りる道と西側に下りる道に別れていた。
新八はここで立ち止まり、
「武盛様、目の前に広がるのが土佐の平野部に御座います。遥か先には海も見えます」
新八にそう言われた武盛は、平らな野は理解できたが、海と云うものを知らなかったので何の反応もできなかった。そんな武盛に気付きもせず、新八は左手の方角に向かい手を伸ばし、
「いま居るこの山地が東に伸びているのが見えます。山地の遥か東から西に向かって川が流れており、国分川と言います。国分川は西に来るほど南へ流れ、その川と山地の間が平野になっております。ここから半里(2km)先まで遡ると、川と山地の間に大きな矢尻の形をした丘があり、その先には瓢箪の形をした少し小さな丘が寄り沿っているのが見えましょう。更に二つの丘から少し離れた先に丸い小山がありますが、その丸い小山が岡豊城のある岡豊山で御座います」
説明通りに足元から東に伸びる平野、その先にある矢尻丘、瓢箪丘、岡豊山が確認できた。新八は手を少し右方向に動かし、
「安芸領はその遥か南にあります」
新八はここで右手に向き直り、
「ここからは見えませぬが、南西の方角2里(8km)ほど先に、嘗て本村様の居城だった浅井城があります。浅井城から南へ一里半(6km)の所には吉良氏の吉良城ががあります。そこから南西に一条領があります」
新八が南西に伸ばした手を体の方に引き寄せ、足元の山の中腹を指した。
「あの木々の間から見える城は仙備城で、元は本村様家臣の城でしたが、今は城主が変わり長宗我部側の城となっております」
新八が説明を終えると二人は山を東側に下り、左手に山地を見ながら平野の縁に作られた道を、岡豊城に向けて歩いた。
やがて矢尻丘と思われる大きな丘が平野の前に立ちはだかった。道は山地と矢尻丘の間にある東に進む道と、矢尻丘に沿って南に向かう道に別れていた。
ここでは山地と矢尻丘の間に続く山沿いの道を進んだ。道は緩やかに上り、やがて緩やかに下った。
四半時(30分)行くと右手の丘は2つに別れた。恐らく矢尻丘は終わり、その先は瓢箪丘だと思われた。
この2つの丘の間にも道があったが、真直ぐ伸びる山地と丘の間を進んだ。更に四半時(30分)歩くと、右手の丘は無くなり平地となって視界が開けた。
「岡豊城はあの山にあります」
そう言った新八の視線の10町(1km)先、平野の中に丸い小山が見えた。道は岡豊城の北側に続いているようだった。
岡豊城のある小山を一回りしたころ夜の帳が下り、新八の従兄弟である留七の家を訪ね泊めて貰った。久しぶりの再会に、従兄弟と新八は互いの無事を喜び合った。そして留七に武盛のことを同じ部落の百姓と紹介した。
出された膳に贅沢な品が並んだ訳ではないが、これもあれもと手元にある食材を総動員して、心尽くしの歓待をしているように感じ取れた。
2日目は岡豊城下を出て安芸領へと向かった。
二人は両側に稲穂が首を垂れる平野を歩いた。新八は従兄弟と会えたからか、どこか柔和な表情をしているように見えた。
武盛は昨夜から気になっている事を新八に聞いてみた。
「親類同士なら、住む土地の領主同士が敵対関係にあっても、不和にならないものなのか」
「そうですね、領主様は雲の上の方ですから、雲の上の都合で誰かと誼を通じても仲違いしても、わしらの毎日には変わりがありません。わしらは自分に与えられた生活を守るために働くだけです」
そう言われて武盛は納得がいかなかった。戦となれば敵味方に分かれてしまう。戦場に出れば直接戦わずとも、味方の誰かを殺そうとする、そんな相手である。
新八は実直な男であり、嘘をつくような事は無いから、本当にそう思っているのだろう。とすると領民は、自分が誰の領地の領民なのかに、こだわっていないのだろうか。
答えは得られなかったが、領主が何を考えるのか、領民が何を考えるのか良く分からない武盛に、これ以上の思考は出来なかった。
昼を過ぎたころ右手に陸地は無くなり、水面が延々と遥か遠くまで続いていた。
武盛が不思議そうに訪ねた。
「これは川ですか、池ですか」
「これは海です。見渡す限り塩の水です」
と新八が答えた。それを聞いて思わず目を丸くした武盛が復唱した。
「これは海ですか! 見渡す限り塩の水ですか!」
その驚く様を見て新八が微笑んだ。
そこから少し行くと左手に山が迫って来た。新八は左手の山を指しながら、
「あの山の頂きには小安城があります。なんでも先祖は壇ノ浦の合戦で武功を上げた源氏の武将と聞いております」
と話した。
源氏の武将は敵にも味方にもいたと子孫からと聞いたが、こやつは紛れもない平家を滅ぼした源氏の末裔だ。武盛は、密かに両手の拳を握り締め体を振るわせた。
二人は、夕暮れに安芸城下に着いた。安芸城の周りを一巡りした後、城下に木賃宿を見つけ、そこに泊まった。




