保障のない未来
下見を終えた父は、所領内にある武盛の屋敷に入った。近所の農民が手伝いに来て食事を始め身の回りの支度を整えてくれた。父と武盛は夕食を共にしながら、この2カ月の話をした。目を細めながら武盛の話を聞いた父は、
「武盛が炭焼き小屋に身を寄せてからの2ヶ月足らずで、随分多くの手柄を立てたものだ。その手柄で所領を下賜されたとなれば山崎様の客将では無く、本村様の家臣となったのだな」
と、確認した。
「いかにも本村家で一番若く、一番所領の小さな家来となりました。その小さな所領ですが、半数以上の農民が長宗我部軍が攻め込んで来た折に他国へ逃げたり、平坦で日当たりの良い農地へ移ったりで人手が不足しております。この機に部落ごと移住して頂きたいのですが、如何でしょうか。今日見て頂いた通り、空き家も米の蓄えもあります」
「皆に諮り決めねばならぬが、すぐにでも移住が必要なのか」
「いまは田植えが進んでいる時期と言うのに、田植えの目途が立っている田は、所領内に残った4軒の農家が維持する全体の4分の1程しかなく、多くの田には水も張ってありませぬ。田植えを終えるには時間も人手も足りないのです。ですから明日にでも来て手伝って頂きたいところなのです」
「そうか、それでは早急に部落に戻り皆の考えを聞くことにしよう」
二人は早めに床に就き、父は翌朝早くに部落へ戻って行った。
武盛は父を見送った後、登城した。
茂長に承諾を得た寛茂が富国強兵会議を始めていて、既に各々の分野に携わる者が招聘され、米担当、野菜担当、家畜担当、武術担当、道具担当と100人を超える規模に広がっていた。この日の会合で、今後は実務作業に移り、各担当が領内で作業の内容と使う道具を調べるよう確認して終わった。
皆が帰り支度をしている時に、武盛が米担当の良平に声を掛けた。
「良平殿、お主に教えて貰いたい事があるのだが」
「これは武盛様、どの様な事でしょうか」
「実は先日本村様に150石の所領を下賜されたのだが、人手と苗が不足しており田植えの目途が全く立っていないのだ。人手の方は補充出来る見込みはあるのだが、肝心の苗が無く困っている。これから苗床を準備して田植えが無事に終えられるであろうか」
「今から苗床を作るとなると・・・150石分の苗なら・・・」
良平は色々と考えを巡らせ、
「これから苗床を作るよりも、良い手立てが御座います。苗床は田植えの途中で足りなくならぬよう、少し多めに用意するものです。ですから田植えが終わると、どこの領内でも余分な苗が出て来るでしょう。そろそろ田植えが終わるころですので、各々(おのおの)の領内で余った苗を融通してもらえれば、滞りなく田植えが済むと思われますが」
その時、この話を近くで聞いていた河井義之が話しに加わって来た。
「父上に話をして、本村領内の方々に苗を融通してもらえるよう、お触れを出してもらいましょう。武盛殿がお困りなら、皆様の力添えが頂けましょう」
河井義之の父とは河井達之であり、父親同様に多方面に気配りが出来る男であり、富国強兵会議の一員でもあった。
義之の提案を受けて良平が続けた。
「それは心強い。武盛様は田に水を張り、代搔きを済ませておくことです」
下城する武盛は、『どのくらいの支援が得られるか』という不安を抱えながら歩いていた。その時蓮中規正とすれ違い、武盛は歩みを止め足をそろえて会釈したが、規正は武盛に目もくれず通り過ぎて行った。
この蓮中規正は瓜山城の戦いの後で本村氏に加わった武将であるが、長宗我部の待遇が不満で、高い待遇を求めて本村氏に仕官したのだった。しかし当人の自己評価ほどの待遇は得られず、長宗我部の方がまだ良かったと心の中で思っていた。そんな規正の心情はどことなく態度にも現れていた。
翌々日の昼前、朝から立ち込めていた霧が晴るころに、部落からの第一陣が到着した。背負子に沢山の荷物を括り付けた20名程が続々とやって来た。武盛は例の無言で目を合わせる挨拶を全員と交わした。
先導してきた父が住まいの割り振りを指示した。おそらく下見した日に見当を付けていたと思われる。一行は荷を降ろし、家の片づけを始めた。
翌日は部落から残りの人々が移動してきて、荷を解き家の整理を始めた。
前日移動してきた人々は家の整理もほどほどに、既に田に出て作業をしていた。従前からいた農民の指導を受けながら田に水を引き、慣れぬ手つきで代掻きを始めた。
その翌日の早朝からは部落の人々が総出で代掻きを始め、間も無く田一枚の代掻きを終えた。
丁度そこへ黒石政紀が30名程の農民を連れてやって来た。
武盛が何事かと政紀に近づくと
「おお武盛殿、苗と人手が足りぬと聞き、この政紀が駆け付けた。及ばず乍らお手伝い仕る」
「これは黒石殿、貴殿のご厚情痛み入ります」
「なんの此れしき。儂らが自分の領地に戻り、田植えを済ませられたのは、武盛殿のお陰じゃ。これはささやかな恩返しのつもりなのだ」
そう言うと連れてきた農民に指示をして代掻きが済んだばかりの田に苗を植え始めた。昼過ぎには持ってきた苗を植え終わり、政紀は去っていった。
政紀と入れ替わりに山崎景成が同じように農民を連れてやって来た。景成も持参した苗を農民に指示して植え、陽が西に傾くころ帰っていった。
翌日からも田植えの応援が続き、代掻き作業が急かされた。黒石の言葉通り本村領内の国人たちが、武盛の功績に感謝の気持ちで支援しているようだった。それは見方を変えると皆が本村氏配下の一員として武盛を認めてくれたと云う事だった。
こうして、始めてから僅か7日で全ての田植えが終わった。
田植えを終えた翌日、武盛は城下へ行き、河井、黒石を始めとして支援してくれた人々を訪ね、田植えの終了を報告し支援に感謝の言葉を述べた。
次に古着屋を訪れ、あるだけの着物を所領の屋敷に持ち込むよう依頼した。
続いて城下の屋敷に戻ると万作とふみを連れ、大量の食材と酒を買い込み、所領の屋敷に届けて貰う手配をした。一通りの用事を済ませると、そのまま3人連れで所領の屋敷に向かった。
武盛の屋敷に部落の者を呼び出し、全員の顔が揃った処に、古着屋が3名の使用人と共に、大きな風呂敷包みを背負ってやって来た。ここで部落の長である父から、1人2着ずつ好きな着物と帯を選ぶよう話して貰った。一同は恐る恐る着物を手に取り品定めを始めたが、やがて嬉々(きき)として自分の着物を決めていった。部落の人々が始めて見せる歓喜の表情がそこにあった。
ボロ雑巾を纏った部落民が小綺麗な身なりの農民に変身したころ、古着屋は人々が選んだ着物の代金を受け取り帰って行った。行き違いに食材と酒が届いた。万作とふみが台所を仕切り、女たちが食事の支度を始めた。男たちは広間の片づけを行い宴席の形を整えた。
部落の新しい門出に、武盛の父定泰が先祖の無念と自分達の決意を胸に刻み忘れる事の無いようにと話し、武盛は皆が意を決して共に歩むことを歓迎する旨の話をして宴が始まった。
それは耐え忍んだ過去との決別であり、何の保障も無い未来への船出であった。




