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本村城奪還

 本村城の奪還は明後日が良いと示した武盛に、今すぐにでも本村城に帰りたい茂長が、その深意しんいただした。


「明後日が良いと申すか、何故なにゆえか」


「本村城の脅威きょういは長宗我部軍だけだったと聞き及んでおります。そこを長宗我部軍が占拠して、瓜山城に攻め込むとすれば城に残す兵は、城下の治安維持の為にせいぜい50名もあれば十分でしょう。それ以外の兵は本日の合戦に参加し、惨敗して逃げ帰ったのです。敗残兵の数は山や森に逃げた兵も併せて250程度で、その半数は手傷を負っていましょう。よって明後日攻め込めば、まともに戦える兵は200に満たないものかと。そこに黒石殿が5、600の兵を率いて顔を見せようものなら敵は震え上がり、戦わずして勝てる又とない機会になるものと存じます。もしも半月以上日を置けば長宗我部軍はりして増援を送り、負傷した兵の傷もえることでしょう」


 その場の全員が揃って大きく2度うなずくのが見えた。茂長は目を輝かせて皆に指示を出した。


「本日の宴はこれまでとする。明日はここの後始末と明後日の戦支度にせいを出すように。本村城攻めの総大将は武盛がす黒石政紀に命ずる。また吉村忠臣を副将に任ずる。明後日、政紀は600の兵を以て本村城を奪い返し、城内にいる者をことごとく捕らえるように、良いな」


「ははっ~」


 席を立ち寝所に戻る茂長の胸中は、慣れ親しんだ我が城に戻れると云う喜びであふれていた。本村氏の命脈を賭けた、乾坤一擲けんこんいってきいくさを息子寛茂にたくしたものの、用意した策がどこまで通用するか懐疑的かいぎてきな見方をしていた。良くて善戦して敗北、悪くすれば一方的な敗北、その後の身の振り方まで思案していた茂長だった。それでも寛茂が思い通りに戦えば、敗れてもいを残さずに済む、それで良いと考えた。

 しかしながら寛茂は、自分の懸念を見事に吹き飛ばして見せた。居城を追われるという自分の犯した汚点まで消し去ってくれる。自分には出来ない事を寛茂なら出来るかも知れない、そんな思いが頭の片隅に芽生えていた。



 山崎景成は瓜山攻防戦の翌朝、本村茂長に拝謁はいえつを申し入れた。長宗我部軍の捕虜に長宗我部軍の亡骸なきがらとむらいをさせるためだった。それは戦の後始末に追われる本村側にとっても、手間がはぶけて好都合だった

 茂長は承諾して、その使いに正室のひさを立てた。


 長宗我部軍の総大将江森嘉興は手当てをほどこされたあと、8畳ほどの部屋に1人で寝かされていた。そして敗北の原因を考えていた。

 無敵の騎馬隊が負けたから長宗我部軍は負けたのか、いや騎馬隊が負けた後も長宗我部軍は優位だった。待てよ騎馬隊は負けないという過信に敗因があるとすれば・・・。いや騎馬隊だけではない、本村軍に負けるはずが無いという思い上がりこそ敗因だ。そんな結論に至った時に、廊下で足音が聞こえた。


嘉興よしおき、入るぞ」


 お付きの者が障子戸を開けると、茂長の正室ひさが部屋に入って来た。


「ひさ様」


「動くでない、そのまま寝ておれ」


 身を横たえていた江森が姿勢を正そうとするのを、ひさが押し止めた。今でこそ敵対する本村氏と長宗我部氏であるが、30年も前は土佐で弱い立場にあり有力な豪族との融和ゆうわを図っていた。長宗我部の姫ひさが本村氏にとついだのも、本村氏に恭順きょうじゅんの意を示すものだった。当然ながら江森にとって茂長の奥方は先代主君の姫君であり、現主君長宗我部元親の姉であった。

 ひさは江森が寝かされたの布団の脇に座って顔をのぞき込んだ。10年前、当時平野部にあった本村の居城に江森が使者としてつかわされ、顔を会わせて以来の対面であった。


「久しいのう嘉興、具合はどうじゃ」


「お久し振りに御座います。姫様におかれましてはお変わりなく恐悦に存じます。この度の醜態しゅうたいを思えば我が身の痛みなど感じるものではありませぬ」


 嘉興が力のない声で答えた。


「勝負は時の運、本村も幾度となく辛酸しんさんめてきたわ」


「姫様の御前では心苦しゅう御座います」


「実はそなたに頼みがあって参った。この度の戦で長宗我部の者どもが多数命を落とした。そちの配下に命じてその亡骸なきがらとむらってやってはもらえぬか。名のある者には墓標の一つも立ててやるがよい」


「誠で御座いますか。かしこまってうけたまわります」


「では、手配をするゆえ、よしなに頼むぞ」


「姫様かたじけのう御座います」


「礼には及ばぬ。わらわには長宗我部の者どもにもなさけがある。そちが元親殿の為に働くのも、わらわの為に働くのも忠義に違いはあるまい」


 そう話すと奥方が立ち上がり部屋を出た。江森は一人になると感涙かんるいにむせんだ。自分の落ち度により死なせてしまった者を弔うというのは、江森ができる唯一の罪滅ぼしだった。もしも亡骸を本村側にゆだねるとすれば、ぞんざいな扱いを受けるのは火を見るよりも明らかだ。同朋の手で弔える、その機会を本村に嫁いだ長宗我部の姫が与えて下さった。その上これは姫様が望み、家臣である嘉興に指示することであって、恩を売るものでは無いとまで言って下さったのだ。


 江森は捕虜の中から武将1人を選び、ひさ姫の思いを話した上で、弔いの代行を命じた。長宗我部軍の亡骸は武装を解かれた上で、「山の張り出し」、「城への登り口」、「南坂の折り返し」、「北坂の折り返し」の4箇所に集められていた。また埋葬場所として山を降りた川の対岸に、わずかに広がる平地を指定された。

 命を受けた武将は配下の武士5名と足軽120人を使い、亡骸を指定された場所に集め穴を掘り埋葬していった。名の分かる者には杭ほどの木の幹を削り、簡単な墓標を作って立てた。日暮れまでに全てを終えて城に戻り、道具を返すと丁寧に礼を言った。



 長宗我部軍撃退の翌々日、黒石政紀は600名の兵を率いて本村城に向かった。出来る事なら、黒石が獅子奮迅ししふんじんの活躍をする様子を、延々と語りたいところではあるが、本村城の前で「降伏せよ!」と怒鳴りつけると、猶予として与えた四半刻(30分)を待つこともなく、長宗我部軍は中から門を開け、黒石隊が入城して終わった。


 城の中には300名近い兵がいたが半数は手負いの兵で、無傷の兵のうちの半数は刀や槍を持つより筆を持つのが似合いそうな者たちであった。



 本村城奪還から3日後、瓜山城から本村城に向かった武盛は寛茂から贈られた馬に乗っていた。前の日一日中練習した甲斐があり何とか乗れるようになっていた。隣には乗馬の指導をしてくれた寛茂がいた。

 寛茂にしてみれば年長者ばかりの重臣の中で気負わずに話ができる存在であり、卓越たくえつした発想力に尊敬の念も持っていた。一方の武盛にしてみると初めて持つ兄のような存在であり、物事に真摯しんしに取り組む態度に尊敬の念を持っていた。


 本村城下に入ると、先に戻った者たちが忙しく動き、活気にあふれていた。初めて見る城下の景色に、武盛は目を奪われた。

 長宗我部軍が駐留中に、かなりの量の兵糧ひょうろうを運び込み、本村城の兵糧がひと月で倍にもなったと河井達之が歓喜した。この兵糧のお陰で、城の修復や、城下の整備が始められた。


 本村城を奪還したあと長宗我部軍の足軽たちが解放された。帰る家がある者は家に戻ったが、帰る家の無い者の多くは、本村城下にとどまり人足として働いていた。瓜山城で圧勝した強さ、敵の亡骸を弔う情のあつさ、従軍するなら本村軍に、そんな思いが人々を本村城下に引き寄せていたのだ。

 また、長宗我部軍の武将に中にも本村配下に加わる者が5名いたが多くは江森をしたっている者達だった。


 子孫の『情けは人の為ならず』の策がこうそうしていた。

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