戦の後始末
黒石隊が敵の槍兵と戦い、戦果を挙げているそのとき、北坂の折り返しの更に先から矢が飛んできた。沢崎隊の矢は、北坂の折り返し付近にいた長宗我部軍の弓兵や騎馬兵を、次々と射抜き倒していった。
-9日前、軍議の席-
「沢崎鞆繫には弓兵150を任せる」
「得物は弓150張、矢は6000本ほど、残り全部だ」
寛茂は絵図を使いながら説明を続けた。
「北坂を折り返さずにそのまま真直ぐ、20間先に林がある。沢崎隊には、ここで待機してもらう。敵の槍兵が黒石隊に向かって行ったら、道の上には騎馬兵と弓兵が残る。これを林から出て射かけよ。ここからは北坂にいる敵も、大曲前にいる敵も狙える。近くにいる敵、つまり北坂の折り返しにいる敵から順に射かけよ」
ここで寛茂は吉村忠臣の方に向いて、
「そして黒石隊と入れ替わった吉村隊は、直ちに沢崎隊の加勢に入り両隊が協力して射って、射って、射捲れ」
次に寛茂は山崎景成の方に向いて、
「敵が形勢不利に気付いて逃げだしたら、再度山崎隊60騎の出番だ。敵兵を追いかけ、できる限り討ち取れ。ただし追撃は川原の道に出るところまでとする。敵の敗残兵は川原の道を戻る途中で、再び高窪隊から投石の雨を浴びるであろう」
「この戦では敵を討ち取るか生け捕る、つまり敗走する兵を少なくして貰いたい。敗走兵が多ければ、すぐに体制を整えられ再度攻め込まれるからだ」
「なお、河井達之には支援の役を担ってもらう。40名の人員を以て、各隊の戦が支障なく運べるよう手助けしてやってくれ」
「以上である。皆の者が武勲を上げるよう期待する」
-再度、合戦当日-
長宗我部の弓兵も、北坂の折り返しに向かい沢崎隊に反撃を加えた。また北坂の途中にいた長宗我部軍の弓隊も、北坂の折り返しの方へ歩み寄り反撃に加わった。長宗我部軍の弓兵と沢崎隊はおよそ20間(36m)の距離で弓を射合った。
吉村隊が加勢に入っても、数の上では長宗我部軍の方がやや有利であった。両軍がまるで意地の張り合いをしているかのように、次から次へと矢を番えては敵を目掛けて放った。
しかし矢の威力がまるで違っていた。本村軍の方がやや高い位置にいたが、それよりも山から平野部へ吹き降ろすの風の影響を強く受けていた。山は北側、つまり沢崎隊の背後から吹く風が矢の勢いを強め、逆に長宗我部軍の矢の勢いを弱めていた。沢崎隊に届く敵の矢に鎧を貫く威力は無かった。長宗我部軍の弓兵は目に見えて減っていった。
気が付くと長宗我部軍の槍兵は逃げ出している。見渡すと挽回しようのない戦況に、弓兵も一気に逃げ始め、遂には全軍が逃げ始めた。敗走に邪魔となると槍や弓を捨てて、我先にと駆け出した。
山崎の騎馬隊60騎がその後を追いかけ討ち取って行った。むろん、このときの山崎隊は全員正規の騎馬兵ばかりである。
長宗我部軍の騎馬兵は一目散に山を駆け降り、弓兵や槍兵は道を外れ山肌を滑り降りたり、南坂の折り返しを真直ぐに進み、山の中に逃げ込んだ。
山崎隊が長宗我部軍を駆逐したあとは、瓜山にいる本村軍が総出で倒れている者の生存確認や怪我人の救護、及び敵兵の拘束などを始めた。
逃げる長宗我部軍は川原の道に出て2町も行くと追手が来ないと気付いた。傷ついた身を寄せ合うように川辺の道を下って行く長宗我部軍、総勢240名。他に山や森に逃げ込んだ兵が6、70名もあるだろうか。惨敗である。川の流れる音、時折聞こえる鳥の鳴き声、そんな中を力なく進んでいった。
山の張り出しに差し掛かかると、最初の投石で倒れた者の他に、投石を阻止しに行った者も多数倒れていた。初戦から惨敗していたのか、江森嘉興はそう思いながら肩を落とした。そこへ突然石が降り注いだ。その数は先刻の3倍もあった。
「ああ、考える気力まで失っていた。投石をした兵たちは無事で、まだ崖の上にいたのか」
石が当たりバランスを崩した馬から落ちた江森は、足の骨を折り動けなくなったところを捕らえられた。山の張り出しを抜けられた長宗我部軍は約180名だったが、無傷で山を降りた者はその半数ほどであった。
長宗我部軍が去ったのち、戦場の片づけに追われた。負傷者の手当て、捕虜の武装解除、戦果の掌握、亡骸の安置など、日が暮れるまで続けられた。
夜になっても瓜山城は、まだ慌ただしさに包まれていた。その中でささやかながら宴席が設けられた。その席に武盛も呼ばれ末席に加えられた。寛茂の配慮である。
冒頭、茂長から武将たちの奮闘に最大級の賛辞が送られた。
次に寛茂が音頭を取り、盃をあげた。
それから河井達之から戦果の報告がされた。本村軍の死者19名、負傷者78名、内重傷者23名。一方の長宗我部軍は死者約340名、捕虜370名、内負傷者210名であった。また敗走した長宗我部軍の兵はおよそ250名であった。
「高窪殿、貴殿は200の兵で倍の数を討ち取ったとか」
「いやいや、黒石殿こそ300の兵で敵の槍兵500を全て退治したとか」
「それにしても沢崎殿の弓に長宗我部の奴ら全く歯が立たなんだ」
「吉村殿と合わせて400は倒したな」
「忘れてならぬのは長宗我部の騎馬隊を殲滅した山崎殿の働きよ」
負けられぬ戦に臨んだ武将たちの興奮は冷め切れておらず、普段は口数の少ないな武将達も饒舌に語り合った。
宴も進み皆の興奮が少し落ち着き始めたころ黒石政紀がこう言った。
「本日の最大の功労者は若様だと思うが、各々方如何でござろう」
「まさに若様の策こそ『地の利は我が方に有り』だった」
「その地の利を説いた武盛殿、このおふた方無くして今日の勝利は無かった」
「黒石殿の言われる通りじゃ、いや、全くじゃ」
「これなら、本村城を取り返す日も近いな」
この言葉に、武将たちの会話を満足げに聞いていた茂長が口を開いた。
「これ寛茂、本村城を取り返す算段はあるのか」
冷静に状況を分析すると、今いる瓜山城は山間の小さな支城で、体制を整えると言っても支配下にある領地も領民も限られていて、どれほど時間をかけても打って出る目途など立てようが無かった。
寛茂は少し考えてこう答えた。
「ここは、影の功労者である武盛の考えを聞きたいと思うが、どうじゃ」
その場の目が武盛に集まり、静まり返った。
武盛はまだ慣れぬ酒に少し頬を赤く染めていたが、真剣な顔つきになり暫し目を閉じたあとで、目を見開きこう言った。
「明後日がよろしいかと」
明後日と聞いた瞬間、その場にいた全員が板の間に胡坐をかいて座ったまま、1寸(3cm)ほど飛び上がったように見えた。それほど一同は仰天したのだ。




