白兵戦
本村軍の騎馬兵を追う長宗我部軍の騎馬兵は、北坂の折り返しであと一間(2m)という近さまで迫った。言うまでもなく敵を引き付ける挑発隊の離れ業だった。
ますます前のめりになって馬を駆ったが、北坂の折り返しを過ぎるころ、長宗我部軍の馬たちを徐々に異変が襲った。ふらつきながら歩き出す馬、歩くこともできず立ち止まってしまう馬、立っていることもできず倒れてしまう馬、これらが続出して、長さ2町(200m)もの間に散らばっていた。
甲冑を纏った長宗我部軍の兵士の重量は21貫(80kg)前後あり、この重さを背中に乗せて坂道を駆け上がるのだから馬の体力は限界を超えてしまった。
なお本村軍の目方の軽い挑発隊は、足軽の装束込みで15貫(56kg)未満であり、馬が駆けた距離は半分にも満たなかった。
挑発隊が大曲の奥に消えて行くのと入れ違いに、山崎景成率いる騎馬戦隊が襲い掛かった。
長宗我部軍の騎馬兵たちは、ふらつく馬から降りて応戦した。しかし太刀を構えても、太刀の届かぬ間合いから本村軍の騎馬兵が、薙刀や手槍で打ち付けてきた。打たれて仰向けに倒れれば槍の穂先が顔に打ち付けられる。堪らずうつ伏せに返れば後頭部を打たれた。
こうして先に進んだ20騎ほどの騎馬兵が討ち取られていくのを、残りの騎馬兵は見ていた。道の上に散在している味方の兵はもはや歩兵であり、戦っても勝ち目が無いと悟った。襲われる前に逃げ出そうと、道を外れて山の急な斜面を滑るように駆け下りた。中には纏った甲冑に動きを阻まれて、斜面を転がり落ちる者もいた。
山崎景成の前には敵の騎馬兵がいなくなった。あまりにも呆気ない決着だった。敵の馬を疲弊させた上で戦うのだから、ある程度は善戦できると思ったが、それが一方的な勝利となった。予想と結果があまりにかけ離れ過ぎていて、まるで夢の中にいる心持ちのまま大曲の森の中へ戻っていった。
森の中には昼食が運ばれていた。これは本来支援部隊の役割だったが、元服前後の若者達や退役した年寄り達が担ってくれていた。景成が騎馬隊として若者や年寄りを登用したことで、自分も何かの役に立ちたいと志願して集まってくれたのだった。
突撃した騎馬隊が全滅する様子は、川原を進む長宗我部軍本隊からも見えていた。長宗我部軍にとっては予想だにしない光景だった。総大将江森嘉興は並ぶもの無しと言われた騎馬戦の猛者であり、受け入れ難い事態だったが、総大将として全軍の指揮を執らなければならなかった。本村軍の騎馬兵は入れ替わり現れたので、江森が一度に姿を見た本村軍の騎馬兵は40騎だった。
「我が軍の騎馬兵およそ70騎に応戦したのは40騎足らずの騎馬兵だけだった。とすれば槍兵や弓兵は、瓜山城内に籠城していると見える。為すべきは正攻法、隊列を整えて進軍し、城攻めを行い、完膚なきまでに叩きのめしてやることだ。騎馬隊の敗因は、坂道を駆け上がり馬が潰れたことにあろう。慌てることなく城に向けて進むとしよう。力の優位は我らにあるのだ」
そう決めると全軍に進軍の指示を出した。各武将が隊を率いて山を登っていった。
半刻(1時間)が経ち、先頭の部隊は北坂を折り返し、傾斜が緩くなった道を進み大曲の入口まで来た。ここまで来る途中で馬を失い逃げ出した約30名の騎馬兵が隊列に戻った。
その時に進行方向右手、山側から矢を射かけられた。このとき北坂の折り返しを過ぎていた兵は200名ほどで、500名の兵はまだ北坂の途中にあった。江森嘉興はまたもや意表を突かれた。
「弓兵が何故ここにいるのか、先ほど我が軍の騎馬隊に射かけなかったのは、初めから40騎で我が軍の騎馬隊70騎と戦う腹積もりだったのか。そんな馬鹿な」
-9日前、軍議の席-
「吉村忠臣には弓兵100を任せる。得物は弓100張、矢4000本だ」
「黒石政紀には槍兵300を任せる。得物は長槍300本だ」
寛茂は絵図を使いながら説明を続けた。
「北坂の折り返しと大曲の間に1町(100m)ほどの勾配の緩やかな道がある。山側は15間(27m)ほどの草むらがあり、その先は疎らな林が広がっている。両隊はこの林の中に待機してもらう。長宗我部軍の本隊が進行してきて、先頭が大曲に差し掛かる直前に吉村隊は林の前に進み弓を射かける。敵の騎馬兵を優先して狙い、騎馬兵がいなければ弓兵を狙って射かけてくれ。敵の弓兵が矢を射返す前に槍兵が槍を構えて進んで来るだろう。その数150、」
と、ここで黒石が話に割り込んだ。
「若、敵は500も槍兵がおりますぞ」
「うむ、兵が2列で道を進むとき1町の間に何人が進めよう」
寛茂が黒石に問うた。
「1列90から100として、2列で200というところでしょうか」
「200のうち騎馬兵、弓兵を除くと槍兵の数は120前後で、組合せのむらを考え併せれば最大で150、これが大曲手前にいる槍兵の数だ」
黒石は納得して続きを聞いた。
「敵の槍兵が吉村隊に向けて攻めかかって来たら、黒石隊は林から出て吉村隊と入れ替わり、敵の槍兵を迎え撃つ。味方は300、敵は150、2人で敵1人に当たるようにせよ。槍の穂が交じり合う間合いになったら、1人が槍を構え敵と対峙したら、もう1人が槍を振り上げて敵の槍を上から叩く、この攻撃を交互に重ねて敵の槍を叩き落せ。叩き落したら突け、槍を振り上げて頭の上から打ち付けよ、打ち付けたら跳ね上げよ。大曲前の槍兵を倒したら北坂から来る槍兵に当たれ。北坂には2町の間に槍兵が分散している。よって一気にまとまった数は来ぬだろう。駆け付ける槍兵を順に倒し続ければ、常に数の優位を維持して戦えるであろう。敵の弓兵は自軍の槍兵が邪魔で矢を射かけることは出来まい。なお、敵に残された騎馬兵は、指示を出す武将達と指示を伝えてまわる伝令ばかりで、黒石隊に向かうことは無いだろうが、もしも向かって来た時には、3人で敵1騎にあたるようにせよ」
-再度、合戦当日-
矢を射かけてきた本村軍の弓隊は100名ほど、しかも15間(27m)の近さであった。矢は次から次へと放たれ、矢に射られて15名ほどの兵が倒れた。
すぐに長宗我部軍の弓兵が弓を構え矢を番えようと準備をしたが矢を射る前に、先頭部隊の武将が槍兵60名に突撃を命じた。槍兵は直ちに槍を構えると吉村隊目掛けて向かって行った。
これに呼応してすぐ後の部隊からも槍兵50名が突撃に参加した。長宗我部軍の槍兵が突撃して本村軍との間に入ったので、弓兵は矢を射ることが出来なくなった。
吉村隊に槍兵が向かって来ると、すぐさま黒石隊の槍兵300名が入れ替わり、長宗我部軍に立ち向かった。両軍は草むらの中ほどで槍を交えた。長宗我部軍は槍兵が数の上で不利と見るや、北坂を進行中の部隊からも槍兵が次々と応援に駆け出した。
戦いの展開は予想通りで、数に勝る黒石隊が、相手の槍を叩き落しては突いたり打ったりして、敵が続々と倒れていった。50名の兵を倒せば後ろから50名の兵が向かって来る、また50名の兵を倒せばまた50名の兵が来た。
150名を超える長宗我部兵が倒れたころ、槍を叩き落とされると咄嗟に体をかわして逃げ出す者が出て来た。初めから逃げ腰で向かって来ているのだった。終いには槍を交えることもせずに逃げ出す者までいた。
敵の槍兵が全て逃げ出すまでに黒石隊は250名に迫る数の敵を倒した。