病気問屋誕生
腹に居た時から、寝相が悪かった第一子(長男)
決して元気な暴れん坊ではなかった。病弱で入退院を繰り返した。主治医曰く、
「一言で言えば『虚弱体質』だね。」
小児喘息と胃腸が弱くしょっちゅう点滴が必要になり入院が必要になった。
出産は順調だったが、妊娠初期と出産後は波瀾万丈だった第二子(長女)
妊娠初期に流産しそうになった。妊娠確認の一週間後少量の出血があり受診し、心音が取れず出血が強くなったら処置をするとの事だったが、その後自然に出血が治まった。出血が止まったので定期検診を待ち受診。
「奇跡‥こんなの初めてなんだけど?」
と医師。心音が復活したのだ。そしてその後は順調に出産にいたった。のだが‥‥先天性心疾患を持って生れ手術が必要だった。
心疾患の病名は最終的に4つ。心臓の検査結果の説明中、X線に写る胸を覆う大きな白い影(片肺を覆い尽くす)が気になって目が離せないでいた。
「さて、心臓に関してはこれで終わりなんだけど‥別の問題があってね‥‥‥この白い大きな影。胸腺腫だと思うけど、通常の胸腺腫は良性で蝶の様な形で小さくて心配ないんだけど、これは大きすぎるし形も典型的ではないから癌の可能性があるので、次にこちらの検査をします。」
奈落の底に落とされた気分だった。息が止まり血の気が引いたが、ショック過ぎて涙は出なかった。いわゆる茫然自失である。
しかし、こちらに関しては精密検査の結果良性で経過観察となり、数年後消滅した。背中(心臓の真後ろ)にも比較的大きないちご状血管腫もあったのだが、こちらも徐々に吸収され平坦になり、小学校に入る頃にはほぼ見えなくなった。
心臓の手術に関しては、生後六ヶ月前には必要との事だったが、それが一歳には、三歳にはとなり結果的には五歳の時に手術をした。
勿論私にとっては可愛い子供達。
しかし、可愛いからと言って子育てにストレスが溜まらない訳ではない。健常児であっても子育ては大変なのであるから。
両家の親たちにとって、特に娘は腫れ物で、お兄ちゃんの具合いが悪くても、私自身の体調が悪くても、預かって貰う事などできず、結果一人で病児を二人抱える事に。(夫はほぼ育児不参加だった。子供や妻の体調不良で仕事を休むなど想像もできないタイプである。まあ、真面目に良く働く人と言う事だ。)
お兄ちゃんが幼稚園に入園した年。
きっかけは花粉症。自分自身の鼻水ごときで病院に行く事をしなかった結果、副鼻腔炎になりそれが悪化し頭痛で下を向けない状態に。耐えきれなくなって娘を連れて耳鼻科を受診し検査を受けると、上顎洞と蝶形骨洞が完全に詰まり鼻炎薬ではどうにもならないとの事で手術をすすめられた。
「子供達、預ける事ができません‥入院は無理です。」
と、返答すると投薬治療になりステロイド薬を服用した。
副鼻腔炎が良くなって来た頃、首が太くなってきた‥
‥肥った?
‥気のせいかな?昨日より太い?
首に触ってみると、
‥?‥ボコボコしてる?‥でも痛くないな?何だろう?
昨日よりボコボコしてる?
毎朝、鏡を見ては気になっていたが徐々に確実に腫れて、とうとう鎖骨の窪みもなくなった。
首の中に“雷おこし”が入っているようだった。その粒粒がデラウェアに育って来た頃、知人が、
「いつもタートル着てるよね?」
と言ったのを切っ掛けに、首を触らせ何だと思うか聞くと
「病院に行って!急いで行って!癌かもよ!痛くないのは駄目なんだよ!リンパ節癌って痛く無いんだよ!私のお母さんはそれで手遅れだったんだから!」
と真っ青になり焦り捲し立てた。その反応に怖くなりやっと病院へ。娘はお兄ちゃんの幼稚園のママ友が預かってくれた。
最初担当した医師は、採血検査、エコー検査、X線検査等をし、おおよその診断をつけたあとこう言った。
「“頸部リンパ節結核”だと思います。教科書でしか見た事が無く治療した事が無いので私では無理です。明日、院長の外来があるので来て下さい。予約はこちらで入れておきます。」
後日分かった事だが、院長は他の医師では手に終えない特殊な難病しか診ないそうだ。
耳鼻科にも継続してかかっていたので同日にかかると、医師が変わっていた。そんな時期だったのだ。新着の医師にリンパ節結核の話をするとカルテを見ながら、
「こんなにステロイド出しちゃ駄目だろう‥‥」
その呟きにどれ程ショックを受けた事か‥。
翌日、院長の診察室に行くと大勢の医師。おそらく都合のついた皆さん。ここは大学病院だったかな?と思ったが後日娘の心臓手術の折に教授回診はこの比ではないと知った。
全員触診。。。まな板の上の鯉な気分。
滅多にいない病気なので勉強の為にご協力を‥と言われれば断れる訳が無い。診察室に入った途端、内線で『入ったよ~』と院長が言い診療中の医師がそそくさと来たこともあった。
院長先生は私に説明してるんだか、お医者様方に説明してるんだか‥暫くそんな日々だった。
間違いなく“頸部リンパ節結核”の診断。
癌ではなかった。肺は健康。最近血行が悪く冷え過ぎで痛いと思い込んでいた足の痛みも結核性関節炎だった。
こうなると、家族や近い親戚、濃厚接触者全員喀痰検査をし感染源の特定を急ぐ。その為夫の実家にも協力を仰いだのだが、その時舅は言った。
「子供もお前も病気ばかり。健康な子が産めない上に自分まで病気かよ。まるで問屋だなぁ~?ああ、そうだ!お前は“病気問屋”だ〜」
病気問屋の誕生の瞬間である。
わっはっは〜
本人は暴言を吐いたと思っておらず、病気問屋とは気が利いた命名と思っていた様子なので、たちが悪かった。
ふくよかな義妹には、
「夏も肥るなんて『蛆虫』だけだ。」
と笑いながら言い泣かした事もある。
「ここに、面白いと思ってる人なんて一人も居ないわよ!?」
と姑を激怒させ言争いになっていたが反省する様子は勿論ない。あくまでもシャレのつもりである。根は悪い人では無いのだが、とにかく無神経で我が強く人の気持ちを思いやると言う事はできない人だ。
頸部リンパ節結核発症の原因は、
①ステロイド薬の長期服用
②ストレスと過労による免疫力低下
発症した側の鎖骨の下に肺胞が石灰化している部分があったので、小児結核にかかった事があリ今回前記の条件が重なった事により再燃したのではないかとの事。因みに小児結核は体力のある子供なら普通に風邪薬と抗生剤で治ってしまうそう。ちょっと咳長引いてるね?で終る事もあるとか。
治療を開始してからが過酷だった。発症していても治療前は痛みがなかったのに、大量の抗菌剤(片手の平いっぱい)の服用を始めると首の中のデラウェアが弾け始めた。すると高熱がでる。最初一週間は39度以上が続いた。その後は断続的に発熱。少し落ち着いて来た頃には発熱する前触れを察知。首がカーッと熱くなり痛み、明日は高熱だな‥と分かる様になった。膿疱が弾け膿が散ると発熱するのである。投薬開始して一週間後の診察時、高熱が続いていると伝えると、
「良かったね~!薬が良く効いている証拠だよ。しんどかったら入院したら良いよ?人にうつす心配ないから大部屋で大丈夫だよ?」
「子供達、預ける事ができません‥入院は無理です。」
「そっか。まあ、高熱がでるのは薬が良く効いている証拠だから、毎日注射にならなくて良かったよ。飲み薬の効果が低かったら毎日注射しなくちゃで、それこそ通院って訳にはいかないんだよ。副反応も強く出るしね。耳聴こえなくなっちゃうとかね~。これが結構高い確率でさぁ〜。じゃあ、このまま飲み薬継続で通院で頑張ろうね。良かった!良かった!」
さらっと怖い事を院長は言った。うん。薬効いて良かった。
自宅療養しながら育児も家事もやった。熱がでている時には手が空いたら寝た。子供達は布団のまわりで遊んでいた。可哀想に思ったがそれが精一杯だった。肺が健康でうつす心配がないのは幸いだったと何時も思っていた。
初診時に子供を預かってくれたママ友が通院の時は連れておいでと言ってくれた。
「私は専業主婦だし、家は男の子しかいないから、女の子と過ごすのは楽しいし、おとなしい娘だから大丈夫だよ!」
ありがとう!ありがとう!本当にありがとう!
娘を迎えに行くといつもヘアスタイルが変わっていて新しい髪飾りを着けていた。女の子の買い物をして来るのを待ったり、髪型を変えたりするのを楽しんでくれていた。私は病院からそのお宅に向かう途中で昼食を3人前買って行き、一緒に昼食を食べてから帰るのがルーティンになった。彼女には本当に助けられた。そんな事があったので、何歳になっても彼女にとって娘は特別らしい。
さて、治療が9か月になる頃、全身が痒くなり始めた。薬剤性肝障害である。まあ、これは薬を止めれば治るのだが、だからと言っていきなり止める訳にはいかないので、これをきっかけに様子を見ながら薬を減らし丁度一年で治療は終わった。
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この件で私は色々学んだと思う。
ステロイドは怖い。
鼻詰まりを甘くみるな。
病院には早く行こう。
手術しろと言われたらなるべく手術しよう。
(セカンドオピニオンの活用も重要)
入院しろと言われたらなるべく入院しよう。
セカンドオピニオンの活用もしよう。
そして、持つべきものは友。
この件で“病気問屋”と言う不愉快極まりない命名をされた私だが、まあこの後も色々しでかし度々入院騒動を起こしてしまうのであった。