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病気問屋の追憶  作者: 夏至生
1/2

出血多量で死ぬ(生還しちゃったけど)

 「寝るな!」

 バシッ! ちょっと痛い‥医師(多分)に頬を叩かれた様だ‥待てよ‥手術中だから手空いてないか‥看護師かな?

「血圧64です!」


ほぼ悲鳴‥若そうな看護師の声‥

「まだ大丈夫!この人元々低血圧だ!落ち着け!」

そうそう‥80きると気持ち悪いんだよ‥でも今は‥‥


「気持ち悪い‥吐く‥寒い‥寒い‥気持ち悪い‥寒い‥」

頭を横に向けられ嘔吐受けを当て、湯たんぽ?かな?蒸しタオルかな?何かで上半身を包まれた‥それでも‥

「寒い‥寒い‥吐く‥」

指示を飛ばす医師の声と看護師がバタバタと動き回る音に包まれる。実際吐いたかどうかは分からない。

とにかく寒くかった。


 「頑張れ!寝るな!」

バシッ!

「‥‥‥‥‥‥」

また叩かれたみたいだけど今度は殆ど痛くない‥

「子供の為に起きろ!」

そうだ‥さっき赤ちゃんの‥‥泣き声が‥良かった‥

「‥‥ぶ‥‥じ‥?」

「男の子ですよ!」

「‥‥‥ぁぁ‥‥ょ‥‥‥」

「今、赤ちゃん綺麗にしてますからね!」

「‥‥‥‥‥‥」

「寝るな!」

先生の声、大きい‥焦ってる‥‥

でも眠い‥寝ちゃう前に赤ちゃん見たかったのに、何処かへ連れてちゃったなぁ‥‥あ、そうか‥綺麗にしてるって言ってたっけ‥‥

「もう少しだ! 後はお腹閉じるだけだから頑張れ!」

「‥‥‥‥‥」

バシッ!

「寝るな!!起きろ!」

安心したら余計眠くなったょ‥

「‥‥‥‥‥‥」

「頑張れ!起きるんだ!」

「‥‥‥」

「寝るな!!」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」


 死ぬな!って言わないんだな‥‥

寝るな!って言うんだ‥

もう寒くない‥

私、死んじゃうのかなぁ‥‥

赤ちゃんは無事で良かった‥

一目会いたかったなぁ‥‥

 この時、この状態でも色々と考える事はできるんだな‥

と、意外と冷静に自分の死を考える自分に実は驚いていた。


「血圧60!」

「60きりました!」


看護師さん、悲鳴あげてる‥

モニターの音って結構良く聞こえるんだな‥


「起きろ!寝るな!」


「‥‥‥‥‥‥」


「意識消失!反応ありません!」


 聞こえてるよ?

‥聞こえてるんだけど、もう何も動かせないよ‥

まだ意識あるよ!聞こえてるよ!って言いたいけど口も動かないし眼も瞼も動かせない‥

 でも、手術室の慌しい物音や医師や看護師の声は聞こえる。医師は処置を続けながら、私にも声をかけ続け、指示も飛ばす。看護師の駆け回る足音やガチャガチャと何かを運ぶ音、モニターの電子音。

 耳って最後まで聞こえるんだな‥‥

意識って何処までが意識なんだろう?

こんなに聞こえてるのに意識ない様に見えるんだ‥‥

‥‥私‥‥‥死ぬんだ‥‥



 そして私は夢を見た。

 夢?臨死体験?

 死に対して聞き齧った知識による潜在意識が見せた夢ではないかと思っている。

それを臨死体験と呼ぶのかどうか私は知らない。


 こんな事態に陥った一週間前に、仲良くしていた近所の農家のお爺さんが亡くなった。小さい時から馴染みがあり、私達家族が実家近くに家を建てて戻って来てからは、家庭菜園について肥料のやり時や収穫時期の見極めとか色々と教えて貰った。そのお爺さんが私の前に立っていた。


「あれ?お爺さん!こんなところで何してるの?」

「これから、あっちに行くんだよ~えみちゃんこそ、こんなところで何してるんだい?」

「私‥死んじゃったのかも?何?この川が三途の川なの?」


 橋や舟は見当たらなかった。川の縁に花も咲いていない。さして広い川でもない。暗い空間に黒く暗い川が流れお爺さんが私の前に立っている。ただそれだけだ。どうやってあっちに行くんだろう‥?


「おい、おい。まだ早すぎるだろう?赤ちゃんはどうしたんだい?」

「産まれたよ!まだ見てないんだけど‥赤ちゃんは無事!私、手術中だったんだよね‥‥でも‥」


 夢の中でお爺さんと話ながら思った。

 私の親戚とかじゃなくて、このお爺さんなんだ‥‥親戚の人に追い返されたって話は聞いた事あるけど‥?一番最近知り合いで亡くなった人だからかな?そう言えば、顔知ってる人で亡くなってる親戚の人とかいないや‥

そんな事を考えているとお爺さんが、


「じゃあ尚の事一緒に行くのは駄目だよ?子供は自分で育てないとな。帰りな!」

と、トンッと私の肩を押した。


 気が付くと私は、両親と夫とその両親に囲まれたベットで目を覚ました。いつの間に皆んな来たのかとその時は一瞬驚いたが、当然病院に呼ばれたに決まっている。

 母は泣いていた。父は心から心配そうな顔をしていた。他の人の表情は記憶にない。

 母が年老いてからも、いつもこの時の話になると涙ぐみ、

「手術室から出て来た時、『死んじゃった‥娘が先に死んじゃった!』って思った。無事ですって言われても、真っ黒で死んでいる様にしか見えなかったの。目を開けて話す迄は生きてるのが信じられなかった。話してやっと本当に生きてる!って信じられたんだよ。」と言っていた。

 先立つ親不孝をしなくて良かった!!


 覚醒してからやっと発した第一声は、

「赤ちゃん、見た?」

「まだ誰も見てないよ‥」

「見に行かないの?」

「大丈夫なの?」

「先に見て良いの?」

「‥‥うん。大丈夫。見てきて。」


 親たちが出て行ってから、夫が私の顔を覗き込み本当に大丈夫かと確認してから出て行った。そして私の周りには誰も居なくなった。

 しばらくしても‥‥実際には大した時間は経っていなかったのかも知れないが‥誰も戻って来なかったので、私は再び眠りについた。当然皆病室にまた来たと思うが気が付かなかった。その後の時間の流れ方は曖昧で記憶も曖昧。何故なら高熱が数日続きベットから出る事が出来なかったから。

 時々看護師が来て私の悪露の世話をしたり、熱を計って坐薬を入れたりして出てゆく。

 羞恥心も何も感じなかった。ああ、誰か触ってる‥と感じながらうつらうつらとしていた。子宮収縮剤を打った後だけは痛みで目が覚めたが。打った事がある人なら分かるが、あれは本当にお腹が痛くなる。出血を早く減らす為には仕方がないんだけど。


 私自身が赤ちゃんに会えたのは3日後だ。乳房の様子を診にきた助産婦に懇願したら、


「あら?まだ誰も連れて来なかったの?」

と、少し呆れてから連れて来て、

「黄疸が出ちゃてるから、保育器に入ってるのよ。直ぐに戻さないといけないから、ちょっとだけね。」

と言いながら、私の枕の横にそっと寝かせてくれた。


 酸素吸入器に導尿カテーテル、手の甲と足の甲から点滴が入っていた為、抱くことは出来なかったが、匂いを嗅いだり頬をそっと突いたりして過した数分は至福の時だった。


「こんにちは。赤ちゃん。私がママよ?」

等と何処かで聞いたフレーズを誰も居ないのを良いことに呟いてみたりした。


 翌日からは、看護師が10分程度連れて来てくれる様になり、母になった実感もわき、乳も張る様になった。

 

 お七夜。今日は命名する日である。だが、待てど暮らせど誰も来ない‥‥寂しい。

 夕刻になり大学生の弟が一人で来た。

「おばあちゃんが昨日死んだ。だから今日は誰も来れないんだ。僕はやれる事無いからそれを伝えがてら見舞いに来た。」

 私の代わりにあのお爺さんの茶飲み友達として出向いたのかも知れない。


 ベットから下りる許可が出たのは出産からニ週間後。張り切って真っ先に新生児室に行った。まだ赤ちゃんは保育器に入っていたが、ガラス越しに暫く眺めたた後、病院内をちょっとうろついた。たったニ週間歩かなかっただけで、翌日は筋肉痛になり驚いて宇宙飛行士みたいだと思った。最終的に一ヶ月弱で退院した。



 ✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳


 さて、私はこの後死ぬのなんて怖くないじゃん! と思う様になった。ちょっと気持ち悪くて寒かっただけだ。

でも今回は出血多量が原因だったからだろう。

 交通事故等による外傷性ショックと違い、手術中なので麻酔が効いており傷の痛みを感じていなかったのも大きいかもしれない。


 今回の原因はお腹にいた息子である。お腹にいるうちから、とんでもなく寝相が悪かった息子はそれはそれは何度も回転し、最終的に妊娠九ヶ月も半ばお腹の中で暴れまくった挙げ句逆子で落ち着いてしまった。みぞおちに頭が来て、肋骨に当たり痛い。毎日逆子体操して頑張ったがもう正常な位置に頭が戻る事はなかった。そして十ヶ月に入った日の定期検診で、エコーで胎児を確認すると、

「変な格好で収まってるなぁ‥臍の緒が首に絡まってる危険もあるし帝王切開するしかないね。産道も軟らかくなってきていて、いつ産気づいてもおかしくない状態で家に居るのは危険だから直ぐに入院しなさい。」

と言われ、手術日も数日後に決め一旦家に帰って用意してあった入院バックを持ち、一人で電車に乗って再び病院に向かい入院した。平日で急だった為頼る人はいなかった。病院に再びついた時、電車で産気づかなくて良かったと思った。(後日、そういう時はタクシーを使えと母に叱られた。)


 しかし、それで安心してはいけなかった。

 入院した翌日は休診日だったのだが‥その晩、誰もが寝静まった頃、息子は突然思いっ切り伸びをして片足を突っ張り、みぞおちを更に頭で押し上げた。手術予定日迄のたったニ日間が待てず、羊膜を強引に突き破り産道に片足を出したのである。後で聞いた話では、もう片方の足はハードル飛びをする様に膝を曲げ後ろに向けていたそうである。

 破水と大出血が私を襲った。当直の看護師が医師の自宅に電話し医師が駆け付け当然緊急手術となった訳だが、万が一用の輸血用の血もまだ届いておらず出血多量で死にそうになったのだ。

 退院前、血液製剤を使った事や術後感染症になってしまった事等についての説明を受けた時、

「本当に危なかった。助かって良かった。本当に助かって良かった。」

と医師は繰り返していた。

「退院おめでとう。君は一生忘れられない患者だよ。」

‥‥‥余程大変だったらしい。

ありがとうございます。先生は命の恩人です。


 情けない事に私はこの後も棺桶に片足を突っ込み、苦しい死に方(また生還しちゃうけど)も体験する事となるのだが、その前にもっと簡単に意識を手放し戻って来てしまう体験もした。

 その為、死は私にとって意外に身近で怖いものでは無くなった。苦しい死に方をしそうになった時には、せめて意識だけでも先に飛んでしまえば楽になるのに‥早く逝きたいと願った程だ。

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