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9邂逅

 妃教育が始まってから三か月が経った。さすがにこれだけの時間をかければ覚える気のない話も頭に残る。

 何より、わたしの学習能力の低さを笑う教育係の鼻を明かしたくて、それなりに本気で学んだ。わたしはやればできる子だった。

 おかげで教育係は、今では罵声の一つも口にすることのできない案山子になってしまった。

 彼女の知識の間違いを指摘した時、彼女があんぐりと口を開いて動きを止め、それから怒りと羞恥に体を震わせる様を見るのはすごくいい気分だった。

 わたしは心が広いから、そのくらいのことで許してあげた。

 ああ、わたしにこっそりと嫌がらせをしていた使用人たちにお灸をすえることにも成功した。

 彼女たちは都会生まれ都会育ちの令嬢たちだった。妃に仕えることができるのだから相応の出自なのだろうと思っていたら、まさか全員子爵以上の貴族令嬢だとは思わなかったけれど。つまり全員わたしよりも本来は地位が上で、そしてわたしのような田舎者ではなかった。

 そう、彼女たちは田舎者ではなかったのだ。だからわたしが部屋に連れ込んだ虫に悲鳴を上げた。

 特に足の多い虫が苦手な者が多かった。ダンゴムシにヤスデ、クモ、ワラジムシ。さすがに毒のあるムカデなんかは連れ込まなかったけれど、それでも十分に成果があった。

 おかげで今日も使用人たちはびくびくしながら部屋の掃除をしている。すでにわたしに罵声を飛ばす余裕はなかった。

 仕返しのせいでわたしの寝所には虫が湧くといううわさがたったけれど、必要経費だと割り切ることにした。

 どうせ王子殿下はわたしのところになんてこない。

 そんなわけでわたしはひとまず妃教育を終え、使用人たちの主におさまり、これ幸いと皆を部屋の外に放逐して自由を謳歌していた。

 人目を忍んで王都に向かい、露店の品に舌鼓を打ったり、自分の武器を購入したり、劇観賞をしたりした。

 当然、魔物の討伐も続けている。

 そう、魔物の討伐だ。精霊に見放された土地と呼ばれている、王都のすぐそばに広がる森。そこには非常にたくさんの魔物がいた。それこそ、動物の倍は魔物がいるのではないかというほどだった。

 動物は気配を隠す傾向にあるけれど、魔物はあまりそうしたことをしない。そもそも魔物は気配が希薄だ。とはいえ足音を殺すこともなく、さらには血の気が多くてしょっちゅうほかの魔物や動物と戦っているから、魔物と遭遇するのは難しいことではない。

 魔物の個体数の異常さが気になりはしたものの、狩人垂涎の土地であるという事実にわたしは思考を放り出した。

 ここは魔物の楽園、それだけわかっていればいいと思う。

 ただ、たくさんの魔物がいれば魔物どうして殺し合い、食らいあうことも多い。強くなった魔物同士が戦えば、その場所の木々が吹き飛び、ぽっかりと空白地帯が出来上がる。勝者は敗者の血肉をむさぼり、急激な速度で強くなる。

 そんな光景を見ながら、わたしは東方に伝わる蟲毒の壺といわれる呪法のことを思い出していた。確か壺の中に無数の毒虫を入れて互いに食らい合わせてより強い毒をもつ虫を作り出す術だ。

 その呪法のように、この土地では無数の魔物が互いに食らいあって強くなっていた。

そうして強くなった個体が、この森には無数にいた。

 その一体、巨大なサイのような見た目をした魔物に見つかってしまった。


 大地を踏み鳴らして進む灰色の巨体は、一見はただの大きな動物にしか見えない。けれどそれが仮初の姿であることをわたしは知っている。

 何しろその体にはあちこちに口があり、肉をつぎはぎしたような手がその周りから伸び、周囲にいるすべてを食らうのだから。しかも食べたものの体積で体が大きくなることもない、明らかに自然法則に反した結果を見せていた。

 無数の腕を伸ばすその姿は毬栗のような藻のような、とにかくひどく気味の悪い姿をしていた。

 わたしは勝手にそれを悪食犀と名付けた。無数の口を持つ魔物の名前としてはピッタリではないかと思った。

 そんな風に気を抜いていたからか、わたしは悪食犀に存在を気取られた。念のため五十メートルは離れた木の上から捕食の光景を観察していたのだから、まさか気づかれるとは思っていなかった。

 無数に伸びる枝をかわして地面に降り立ったわたしは、がむしゃらに逃走を始めたのだが、悪食犀は意外と早かった。

 体から伸びる無数の手が、立ちはだかる木を引き抜いて口に運ぶ。体長二十メートルほどの巨体はそうして足を止めることも衝撃によって速度を落とすこともなくわたしの後を追ってきている。

 一瞬で大木を引き抜くような腕につかまれば死は確実だ。だからこそ何とか距離を取ろうと、あるいは姿をくらまそうと魔法を放ってみたのだけれど、悪食犀には魔法が通用しなかった。体に生える口が空気とともに砂や風を吸い込み、吸収してしまうのだ。

 だからわたしは逃げた。向かう先は起伏の激しい一帯。低いもので数メートル高いものでは三十メートル近い崖が乱立する場所だ。そこは軍隊のような巨大な蟻の魔物たちがはびこっているのだけれど、その段差を利用すれば悪食犀を撒くことができるかもしれない。

 最近あまり全力疾走をしていなかったからか、すぐに体が悲鳴を上げた。背後から伸びる手をよける必要がある緊張感のせいか、体に余計な力が入っている。いつになく体力が尽きるのが早い。

 何よりローブが邪魔だった。この真っ白なローブは姿を隠すにはうってつけなのだけれど、こと戦いにおいてはかなり鬱陶しかった。それでも時折森で騎士たちの人影を見かける以上、ローブを脱ぐという選択はなかった。

 すでにローブの中は汗でひどく湿っていた。蒸されているせいでさらに体力が減っていく。疲労困憊ながら、わたしは何度も目的地にたどり着き、高さ三十メートルはある崖から勢いそのまま飛び出した。

 頭の後ろを悪食犀の手がかすめる。本当に危機一髪だった。このまま逃れられるといいな――そんな希望を胸に宿しながら、私は崖の岩を蹴って速度を殺して着地して。

「……え?」

「……は?」

 そこに、複数の人影を見た。騎士服に身を包んだ集団。その中の一人、指揮を執る人物にはひどく見覚えあった。

 何を隠そう、彼はわたしの夫なのだから。

 精霊に見放された土地の一角。そこで、アヴァロン殿下が蟻の魔物を相手に辣腕をふるっていた。


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