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46わからない人

 夜の闇が、迫ってくるように感じた。

 それはきっと、わたしの心がもたらした幻想。


 場には痛いほどの静寂が広がっていて、今すぐに逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

 胸の前でこぶしを握り、心を落ち着けるように何度も深呼吸を繰り返す。そんなことをしても、とくりとくりと刻まれる脈は、いつもよりも心なしか早いままだった。


 吹き抜ける風は冷たく、体が小さく震える。立ち尽くしていたことに今更ながらに気づいて――


「……あの、そろそろいいですかね?」


 不安いっぱい。おずおずと聞いてきた騎士を前に、思わず閉口した。

 この場には殿下と襲撃者以外にもう一人いたことを、今更ながらに思い出した。


 ――さっきの言葉は、間違いなく彼の耳に入っただろう。わたしが、殿下に暴言を吐き捨てているところを、きっとこの騎士は見てしまっただろう。


 今すぐに口封じをすべきだというほの暗い感情が胸の中に芽生える。ここで消してしまえば、わたしは罪にはとらわれない――なんて、消せない人(アヴァロン殿下)がいるのだから、もはや口封じなど不可能に近い。


 ちらと視線を送った先、なんだか呆けたような顔をしてわたしを見ていた殿下と目があった。その目が何を語ろうとしているのか、少しもわからない。


 パクパクと口を動かすばかりなのは、まだ毒の影響が体に残っているからだろうか。


 なぜだか顔が熱くて、ぱたぱたと顔に手で風を送る。そんなことをしなくても冷たい空気が吹き付けるから、なんだかとても滑稽なふるまいをしている気がした。


 ……久しぶりの戦い、しかも人間との闘いに、まだ興奮しておかしくなっているのかもしれない。


「……あの?」


 相変わらず腰が低い騎士は、その手に持った縄で襲撃者を縛り上げていた。縄の端を持つ彼は、殿下とわたしの間で視線を何度も行き来させ、何かを言いたげな目で訴える。


 やがて覚悟を決めたような顔をした彼は――


「痴話げんかですか?」

「そんなわけないです!」


 告げられた言葉につい勢い余って強く否定してしまって、その騎士はびくりと肩を震わせて後退りする。なんだかとてもかわいそうな気持ちになった。

 まるで人慣れしていない野良犬の子どもをわざと驚かしているような感じ、とでもいえばいいだろうか。


「……それで、何があったんですか?」

「《《そこの男性》》が襲われていたので共闘しました。そちらの方のほうが明らかに不審な恰好でしたから……問題でしたか?」

「あ、い、いえ……問題は、ない、です」


 きっと、わたしのせめてもの抵抗に混乱したのだろう。

 明らかに殿下と過去に接点があったような発言をしておきながら、「そこの男」などとあえて表現して殿下の正体には気づいていないというアピール。

 しばし考えた騎士は、ようやくその意味に気づいたらしく、はっと目を見開いた。


 ――王子殿下が襲われたました、なんていう話を公にするべきではない。


 だから、この場にいる部外者であるわたしは、たとえ形だけでも襲撃された人が王子殿下であると知らないほうがいい。そうすればこの場のことは隠され、あとは殿下の采配によってすべてが進む。

 殿下に、傷がつくことなく。


「……わかりました。偶然そちらの男性が襲われているところに出くわしたのですね。ちなみに、こんな夜遅くに、妙齢の女性がどうして出歩いていたのか聞いても?」

「知人の見舞いの帰りです。ずいぶん話し込んでしまったもので」


 もう、ハンナとの話からずいぶんと時間が経ったように感じる。彼女の過去の話、そして今のわたしにつながる告白からまだ数時間しか経っていないなどとは思えなかった。

 それもきっと、人との闘いに当てられてしまったからだろう。


 本当に、迷惑な王子殿下だ。


 ため息を一つ吐けば、騎士はびくりと肩を震わせ、いいのか、と確認するように殿下を見る。

 果たして、アヴァロン殿下は当然のようにうなずき、わたしの無礼なふるまいを許した。


 のっそりと立ち上がる殿下はまだ体にしびれが残っているのか、やや体をふらつかせる。それでも、支えに入ろうとした騎士を制し、静かな目で襲撃者を見下ろして嘆息した。


「この一件は私が預かる。それでいいな?」

「はい」

「承知しました」


 それでは、と。

 そう歩き出そうとしたところで、手首をつかまれた。


「……痛いです」

「すまない」


 麻痺のせいで加減が利かないのか、殿下の手はわたしの手首を折りそうなほどに強く握りこんでくる。

 顔をゆがめて告げれば、力こそ弱まったものの、殿下が手を放す様子はない。ただじっと、握ったあたりを見下ろして、何か考え込んでいる様子だった。


「あの?」


 話すべきことなどもう何もない。この場では何もなかった――少なくともわたしには関係ないことだと受け入れたのだ。これ以上わたしがすべきことはなくて、だから早くフィナンに合流してあげたかった。

 きっとこの暗闇の中、街をさまよってひどく心細い気持ちになっているだろうから。


 ……王都ならばフィナンが迷子になることはないと思うだけれど、ポンコツなフィナンが夜の王都で道に迷ってすすり泣いている姿が容易に想像できてしまう。

 そういうところが愛らしいと思うから別にいいのだけれど。


 なんて、フィナンのことに思いをはせていたところで、突然強く腕をひかれた。


 こらえきれずに後ろへと体をひねるように倒れこめば、温かいものに額が当たった。


 体が強く、強く抱きしめられる。背中に回った大きな腕、顔に触れる胸筋の厚さ、わずかに聞こえる吐息と心臓の音。


「……無事で、よかった」


 万斛の安堵をもって告げられた言葉が、ガツンとわたしの頭を殴る。

 ぶわ、と顔が熱くなって、だから殿下を突き飛ばすこともできなくて。


 胸に顔をうずめていてよかったなんて、そう思いながら気持ちを必死に落ち着けようとした。


「……あの?」


 ば、と腕が離れる。

 わたしも殿下も、この場で意識があるもう一人のことをすっかり忘れてしまっていた。


 所在なさげな様子を見せる騎士は、「何もなかった、何もなかったんですよね」と自分に繰り返し言い聞かせていた。


 何が、何もなかったのか。そんなことを問うわけにもいかなくて、熱い顔を隠すようにうつむきながら二人に背を向ける。


「……本当に、無事でよかった」


 背後から投げかけられた言葉に、胸がきしむように痛む。


 ――もっと、抱きしめられたままでもよかったかも。


 熱が離れたあの瞬間、心をよぎった言葉を必死に否定するように。

 高らかと石畳を踏み鳴らして、夜の闇の先へとわたしは走り出した。


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