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43知恵者の語り

 これはワタシが仕えていた貴族様が見出した過去の出来事さね。

 はるか昔、まだナイトライト王国なんて影も形もなかったころ、ひとりの精霊がこの世に生まれ落ちたのさ。

 ああ、精霊の数え方はひとり、ふたりとさせてもらうよ。ワタシにとって、精霊は目に見えない隣人だからね。

 その精霊は、けれど他の精霊とは違って、まるで炭を塗りたくられたような真っ黒な姿をしていたというんだ。

 精霊の姿? それはワタシも気になるね。ワタシは勝手にドレスを着た可愛らしい小人を想像しているのだけれど、実際はどうなんだろうねぇ。

 小動物かもしれないし、服を着ているかもしれない。実は光の玉のような存在であったり、綿毛のような見た目をしていたりするかもしれない。

 そんな精霊が周囲にたくさんいると思うとなんだか楽しくなってくるね。

 ……話を戻すと、だ。

 その精霊は、見た目が違うために仲間外れにされたんだ。

 精霊もまた、なんとも人間味あふれるね。あるいは、人間が、精霊味あふれているのかもしれないね。

 それはさておき、その精霊――黒精霊は、一人ぼっちで寂しかったんだ。

 だから、皆に仲間に入れてほしかった。精霊たちの輪に入りたかった。

 けれど、できなかった。

 それは黒精霊が精霊たちと違った見た目をしているからだけではなく、黒精霊が他の精霊に比べて力で劣っていたからなのだそうだよ。

 力の弱い黒精霊は、精霊たちに力で排除された。

 どれほど仲良くしてほしいと願っても、精霊たちは力づくで黒精霊を追いやる。

 日々傷を負い、あるいはその傷は、心に深く刻まれていったのさ。

 そうして、黒精霊は精霊と仲良くなることを諦めた。黒精霊は、別の道を見つけたんだ。

 それが、自分と仲良くしてくれる精霊を生み出すことだったんだ。

 黒精霊にはね、普通の精霊のような力は弱くても、代わりに他の精霊にはない力を持っていたんだ。

 それが、魂への干渉。

 普通の精霊だって命に干渉することはできるけれど、黒精霊のそれは他の精霊よりも一歩世界の神髄に踏み込んだ力だった。

 黒精霊は、その力を使って友達を作ろうとしたんだ。

 ああ、その通りだ。友達を「作る」なんて、まっとうな神経をしていない。友達は自然とできるもの、なんていうのはもちろん、魂に干渉して友達になってもらうなんて、狂っているとしか言いようがないよ。

 黒精霊は、その時にはもう、心に積み重なった傷のせいで壊れていたんだろうね。

 何度も失敗して、それでもめげずに動物や植物の魂に干渉して、自分の友達になってもらおうとした。自分を輪の中に入れてくれる存在に変えようとした。

 完全に一からの試みで、その挑戦には長い年月を要したんだ。それこそ、まだ数の少なかった人間が文明を発展させて、国を作り始めるくらいの時間が経ったらしいよ。

 そしてその術は、この世界に新たな命を作り出した。

 黒精霊の友達になりうる存在。魂の在り方をゆがめられて生まれ落ちたその存在は、黒精霊を受け入れてくれる初めての存在で。


 黒精霊は歓喜して、その術の行使を重ねたんだ。

 なぜ黒精霊は友達の一人で満足しなかったのかって? きっと、劣等感や寂しさでおかしくなってしまっていたんじゃないかね。

 結果として、その行いが最悪の終わりを招くことになったんだ。

 黒精霊が生み出した多くの友達は、魂を変にいじられた存在だった。

 そしてその干渉は、生命としての在り方をゆがめ、生命が生命であるために課された制限を取っ払うものだった。

 ――黒精霊の友達は、互いを食らい、異形と化していったんだ。

 その血は大地にしみこみ、魂への干渉の力をもって、新たな「友達」を生み出す。

 増えては食らいあう友達は異形と化し、やがては黒精霊が引きこもっていた森から世界へと解き放たれた。

 それが、原初の魔物の誕生と、それらがもたらした災厄だったのさ。

 突然の災厄に、人間と精霊は慌てて対応を始めた。

 異形の怪物。互いを食らいあって強くなる魔物との戦いは苦難の連続だった。それでも、人と精霊はやり遂げたのさ。

 魔物を倒し、数を減らし、食らいあって強くなる連鎖に歯止めをかけた。

 そうして人と精霊は、魔物の発生源である土地に乗り込んだのさ。

 黒精霊は、苛烈に反応したという。何しろ、自分の友達を殺してやってきた人間と精霊が、自分の命を狙っているのだからね。

 術の行使の果てに気づけば己も異形の魔物となり果てていた黒精霊は、三日三晩、世界樹の守護者と呼ばれる精霊と、その精霊に愛された人間と戦って、その果てに封印されたのさ。

 世界術の守護者がその身を転じて作った神聖なる樹木に封じることでね。

 けれど、封印は永遠に続くものではない。封印の中では精霊たちへの仕打ちに憤る黒精霊だった存在が暴れていて、いつかはそれが再び地上に解き放たれ、世界を混沌に陥れることは明らかだった。


「だから、世界樹の精霊は、己が愛した人間の血に最後の力を流し込んだのさ。いつか黒精霊が解き放たれた時、今度こそ精霊とともに邪悪なる精霊を撃退するという誓いの証にして、力の源泉。世界樹の紋章を持った人間と共に世界を救うための呪いをね」

「世界樹の紋章……」

 零れ落ちんばかりに目を見開いたフィナンが、ちらちらとわたしを見る。

 そんな彼女に言葉をかける余裕はなく、わたしはただ、茫然とハンナを見つめていた。

 ハンナは、わたしのことを知っている。

 わたしが王子妃クローディアであるということを。

 わたし、建国の伝説として語られるという「世界樹の紋章」と手に負っているということを。

 聞いたことのない話。けれど、その話を嘘だと断ずることはできなかった。

 嘘だと言ってしまいたくても、なぜだかひどく熱を持った右手の甲が、それを阻んだ。

 まるで傷がうずくように、ハンナの語りに世界樹の紋章が反応しているようだった。

 精霊のいたずらと誤解して、隠してきた傷。今だって、街を歩くために手袋で隠している模様。

 わたしを傷物令嬢に仕立て上げた原因。

 これはわたしに、魔物を生み出した黒精霊を倒すためのもの?

「……どう、して」

 わななく唇で問うことができたのはそれだけだった。自分でも驚くほどにかすれた声は、不安に、困惑に、恐怖に揺れていた。

 心もまた、ひどく波立っていた。

 まるで嵐の真っただ中に放り出されたような気持ちだった。

「クローディア、貴女からは彼女と同じ気配を感じるんだよ。魔法が好きで仕方なくて、精霊に愛されていて、精霊信仰というよりも精霊と共に生きることを選んだ、スヴェルトヴィナ王女殿下のよう……」

 知っている。その名前は、確かにわたしの記憶の中にある。

 スヴェルトヴィナ・ルクセント。彼女は、わたしに言わせれば悪であり、わたしの苦しみの元凶の一人。

 何しろ彼女こそ、隣国に嫁いでそこで魔法を暴発させた、狂気の女性。ルクセント王国において嫁ぐ可能性のある王族女性の魔法の使用が禁止されるようになった原因。

 スヴェルトヴィナは、わたしの祖父母の世代の人。ハンナと同世代。

 ああ、そうか。ハンナが仕えていた貴族の主人というのは、スヴェルトヴィナのことだったのか。

 グラグラと揺れる心を静めるべく、目を閉じて深呼吸を繰り返す。

 気持ちが少し落ち着いたところで、まっすぐにハンナを見つめる。

 老いた彼女は、けれど今だけは途方もない生命力をその身の内に宿しているように見えた。まるで、自分は今日この時のために生きながらえてきたのだとでもいうように。

 聞きたいことは山ほどある。ただ、今わたしが問うべきは一つだった。

「……今の、黒精霊の話は事実ですか?」

「スヴェルトヴィナ王女殿下が殺戮の果てに、いさめた精霊に見せられた『夢』だというね。その話を聞いた彼女は、ワタシにすべてを託して自決したよ。だから、事実かどうか、ワタシには答えられない。けれど、今この時、話すべきだと感じたんだよ。きっと、精霊がワタシにそれを求めていたんだろうね」

 今この時。

 それはきっと、黒精霊が引きこもって魔物を生み出していた土地――精霊に見放された土地の奥で、あの魔物が動き出したから。

 おそらくは黒精霊のなれの果てであろうそれは、精霊の封印から解放され、今、再び世界に襲い掛かろうとしているのだろうか。

 ならば。

 だとして、どうして。

 わたしが、戦わないといけないのか。

 どうしてわたしが、世界樹の紋章なんていうものを背負わされているのか。

 叫び出したい気持ちはあって、けれど、脳裏に浮かぶ大切な人たちの姿を思い出せば、自然と覚悟は決まった。

「……精霊が、わたしに求めているんですよね」

「だから、クローディアの手にそれが現れたんだろうね」

 そっと手袋を外して露わにした右手の甲。そこに刻まれた世界樹の紋章は、まるでわたしの言葉にこたえるように、小さく光を放った。

 ように見えた。

 手の甲を左手でなでる。熱の一つも、うずきも、今は感じられない。

 けれど、その時は確かに近づいているのだと、体内をめぐる血潮が、そう告げていた。







 チリンと鈴の音らしきものが鳴った気がして、ハンナは顔を窓の外へと向ける。黒々とした闇を映すガラス窓の先に、何かを見出すように目を細くする。

 腰が痛まないように気を付けながらハンナは上体を持ち上げた。

 すでにクローディアたちが退席して久しい椅子からはもはや熱は失われており、冬の冷たい空気が布団の中にまで迫ってくる。

「……スヴェルトヴィナ殿下、ワタシは確かに、託したよ」

 闇の先に語るように告げる。

 スヴェルトヴィナ・ルクセント。ハンナが仕えた主。

 引っ込み思案で自分のことを言えない女性だった。妾腹の子であり、立場の低かったスヴェルトヴィナは、自分のことを話さない女性として育った。

 だから、彼女は最後の最後まで語らなかった。己の肩にある日現れた、「世界樹の紋章」のことを。

 すでに決まっていた隣国との婚約を破棄しないために、関係を悪化させないために、彼女は口を閉ざした。

 そうして、世界樹の紋章を背負った少女は、己の手を引く契約の相手と巡り合うことなく、精霊のために戦い、精霊のために狂い、精霊のために殉じた。

 目を閉じれば、瞼の裏に血濡れたスヴェルトヴィナの姿が浮かび上がる。破れた肩の布の奥、そこに確かに、伝承に語られる紋章をハンナは見た。

『お願い、ハンナ。きっとまた、紋章を背負った子が生まれるから。今度こそ、その子を支えてあげて。その子を、守ってあげて。ワタシのように、血濡れた道を歩まないように』

 そう微笑んで、スヴェルトヴィナは自らの命を刈り取った。

 スヴェルトヴィナは、生まれつきの狂人ではなかった。

 ただ、環境の彼女の在り方が、スヴェルトヴィナを破滅に導いた。

 世界樹の紋章を背負うがゆえに精霊と近しい在り方をしていたスヴェルトヴィナは、精霊をないがしろにする国の者に憤る精霊たちの激情を感じ取り、飲まれ、凶行に走った。

 その末に、こんな自分は世界を救うには相応しくないからと、次に託した。

「……これで、よかったんだろう?」

 一国の滅亡を知る生き字引。ハンナは、そっと目を閉じて、記憶の中にいるスヴェルトヴィナに尋ねる。

 彼女は、笑ってうなずいた。


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