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42見舞い

 完成したフレッシュ・ボールを籠に入れ、フィナンとともにこっそりと城を抜け出す。

 二度目とはいえまだまだ緊張しいなフィナンが物に体をぶつけて小さな悲鳴を上げるたびにドキドキしながらの脱出だった。

 果たして、見回りの騎士に見つかることなく、私たちは無事に王城を抜け出して城下町に舞い戻っていた。

 時刻はすでに夕方。アヴァロン王子殿下の合流とお茶がなければもう少し早く戻ってこられるはずだったのに、すっかり予定が狂ってしまっている。

 つまり、すべては殿下のせい。

 王都は、いつもとは違った顔をわたしたちに見せてくれる。

 店じまいを目前に控えたけだるげな屋台の店主たち、帰路に着く少年少女が路地から駆け出して自分たちの家へと戻る。

 どこか哀愁を感じさせる声で鳥たちが鳴き、人々の活動音も心なしか物寂しげだった。

「すぐに暗くなってしまいますけれど、戻りませんか?」

「ここまで来たから行くわ。それに、これ以上ハンナへの見舞いを遅らせたくはないもの」

「奥様はハンナ様のことをずいぶん気に入られたのですね?」

 一瞬何を言われているかわからなくて首をひねる。顔を見合わせるフィナンは、「私のほうがわからない」と言いたげな目をしていた。

 ああ、そうか。フィナンはわたしがハンナから「魔女の円卓」への招待状をもらったことを知らないのだ。

 秘密の、魔法使いであるわたしにだけ渡された招待状は、わたしの心を救ってくれた。わたしに新しい交流の場と、魔女たちとのつながりをくれた。

 そのお礼は、本当は見舞いの品程度では足りるものではないと思う。けれどあまり高価なものを買っていってもハンナを困らせてしまうかもしれないし、そもそもわたしの手元にはそれほど大金はない。何しろ、わたしは現在、ごくつぶしの王子妃なのだから。

 妃として最低限の状態を維持するための資金は提供されているけれど、それ以上はない。だからお見舞い用のフレッシュ・ボールの材料費はわたしのへそくり――魔物討伐や薬草採取によって得たお金から出ている。

 昼間と夕暮れではずいぶんと町の装いが違うからか、ハンナの家を探し当てるまでに少し時間がかかってしまった。

 おかげで太陽はだいぶ傾き、茜色に染まり始めていた。

「……今から帰ればぎりぎり真っ暗になる前に帰れますよ?」

「今から帰ったら無駄足でしょう?大丈夫、いざというときは守ってあげるから」

「いざというときなんて来なくていいですよ。それに、守るのは私の仕事です。……そもそも、奥様がどうやって守ってくださるんですか?」

「……それはこう、ちょちょいと?狩りが趣味なの」

「狩り……ネズミやウサギですか」

「魔物よ」

「…………」

 腹のうちを探るような視線はフィナンには似合わない。フィナンはただ、わたしの抱き枕になっていればいいのに。

「抱き枕はもう御免です」

「……声に出てた?」

「それはもうはっきりと」

 じっとりとした視線が突き刺さる。

 いたたまれなくて逃げるように顔を背けて、その先に見覚えのある小ぢんまりとした建物を見つけた。

 ハンナの、魔女の庵だ。

「……こんなところにあったのね」

「あ、ハンナ様の家ですか」

「そうね。もっと明るかったら簡単に見つかったのかしら」

 前のようにフィナンには気づけないような魔法が発動されていたのか。フィナンは少し目をこすって、そうしてようやくハンナの家を認識したみたいだった。

 長時間にわたって人の感覚に干渉する魔法の行使――ずいぶんと気の長い精霊がいると思えばいいのか、あるいはハンナの魔女としての腕がそれほど卓越しているのか、どちらだろうか。

 少なくともハンナは魔女の円卓とのつながりがあって、円卓への招待状を見知らぬ魔法使いに手渡すことが許されるくらいの重鎮ではあるのだと思う。

 フォトス曰く、新しい魔女を円卓に勧誘することが許されるのは、円卓に所属する魔女の中でもごく一部の優れた魔女なのだという。

 その一人が、けれどぎっくり腰で円卓を欠席するというのは、なんだが間が抜けているように思えてならない。

「……ハンナ、いますか?」

『クローディアかい?今鍵を開けるよ』

「いえ、腰を痛めたのなら無理を……」

 カチリと鍵が開く。思ったよりもずっと早くて、ハンナはもうすっかり腰の痛みが引いているのだろうかと思いながら待つ。

 十秒ほど待っても扉を開かず、代わりに、自由に入っておくれという声が室内から響いてくる。

「お邪魔します」

「ハンナ様?」

 家の中に入ってすぐ、続く廊下にハンナの姿はなかった。

 足音は感じられなかった。扉越しとはいえ、衣擦れの音一つ感じさせずに鍵を開けて速やかに退避するのを聞き逃すとは思えない。何より、腰を痛めたという今のハンナにそんな動作ができるとは思えなかった。

「……奥様、これって」

 まさか幽霊か――そう言いたげなフィナンの顔はひどく青ざめている。体は小さく震え、歯がカチカチと音を立てる。

 幽霊が家の扉を勝手に開けた。なるほど、確かに成立しなくはない。その幽霊とやらが存在するのなら、という条件付きではあるけれど。

 それよりももっと簡単な解決方法がある。

「魔法で鍵を開けたのね」

「魔法で、鍵を? そんな、それじゃあ魔法使いは鍵が開け放題じゃないですか」

「ハンナはそんなことに魔法を使う人じゃないでしょ」

「もしかして、ハンナ様と私の知らないところで会っていますか?」

「あの一度だけよ」

 ただ、フィナンとは出会いの価値が違ったかもしれないけれど。

 そうして奥に行くと、ベッドに横たわったまま動けずにいるハンナの姿が現れた。腰を痛めているというのは本当らしく、しおらしく、あるいはばつの悪そうな顔をして出迎えてくれた。

「すまないね、ワタシが出迎えられれば良かったのだけれど」

「病人はじっとしていてください。これ、お見舞いの品です。手作りなのでなるべく早めに食べてください。それと、何か手が足りていないことはありますか?」

「おやまあ、うれしいねぇ。やるべきことは知人がしてくれているから大丈夫だよ。そうさね、せっかく来てくれたのだから、少しワタシの話し相手になってくれるかい?」

「もちろんです」

 ベッドのすぐそばにあった丸椅子に座る。そうしてふと、この椅子に座るフォトスの姿を思い浮かべた。自由にあちこちへ行き来できる彼女なら、腰痛で欠席したハンナへのお見舞いも容易だろう。

 わたしの直感はあながち間違っていない気がしたけれど、わざわざ訪ねるようなことでもないから真相は闇の中。

 なんて、少しテンションがおかしくなっている気がする。

「私は紅茶を淹れて来ますね!」

 黄昏時のお茶会。

 小動物が駆けるような足取りで部屋を出て行ったフィナンを、ハンナは眩しそうに見送る。その目はきっとフィナンの背中に誰かを重ねていて。わたしもまた、フィナンの背中に、幼い頃領地で一緒に駆けずり回った悪友たちの背中を見た。

 けれど、わたしもハンナも何かを語ることはない。ただ小さく吐息を漏らし、顔を見合わせてどちらからともなく笑った。

 ハンナはおかしそうに、わたしは困ったように。

 笑みを浮かべたハンナの顔には深いしわが生まれる。

 しわだらけの肌は、ハンナが経験した苦労の証。

 苦労のない人生なんてない。だから、苦労のしわをいくつも刻みながら、それでも今日、こうして優しい笑みを浮かべていられるハンナに、わたしは心から尊敬していた。それは、魔女の円卓の存在を教えてくれたからではなく、ハンナという女性の在り方にわたしが好感を覚えているから。

 ハンナは、わたしの理想のような女性だ。魔法とともに生き、日常の中に幸せを見つけ出し、心温かく在る。

 そうできればよくて、けれどそうはできない醜いわたしがいるのだ。

「……うつむいていては何も見えないよ」

 どきりとした。顔を上げれば、まるでわたしの事情すべてを見通しているような、慈愛に満ちた目と視線がぶつかる。

 顔を背けることはできなかった。目をそらすこともできなかった。

 優しいまなざしは、けれどわたしの目を引き付けてやまなかった。

「そう、ですね。わかってはいるのですけれど」

「ゆっくりでいいんだよ。ただ、心に嘘をついちゃいけない。……背負い込んだものは、自分でも気づかずに大きくなっていくものだからね」

「そういうものですか」

「そういうものだよ。……ワタシは、もう下すこともできないものを背負いすぎているのさ。だからきっと腰を痛めたんだろうね」

 笑うハンナは、けれどその振動も響くらしく眉根を寄せる。

 とっさに伸ばした手はハンナに止められる。ゆっくりと深呼吸したハンナは、わたしから目をそらして天井へと視線を向ける。

 細めたその目はきっと、在りし日のことを思い出しているのだろう。時に悲しげに、時に幸せそうに、時に苦しそうに揺れる瞳の光は、フィナンが戻ってくるまで続いた。

「……どうかしましたか?」

「いえ、なんでも」

「フィナンは面白い子だね。清涼感ある風を吹かせる子だ」

「あの、私はもう子どもっていう年齢じゃありませんからね?」

「わたしの抱き枕だものね」

「そうそう抱き枕……って違いますよ!」

 真っ赤にして叫ぶフィナンは可愛らしくてむくむくと嗜虐心が膨らむ。

 けれどこれ以上揶揄ってはフィナンに嫌われてしまいそうなので、ここはぐっと抑えておくことにする。

「まあ、フィナンも座ったらどう?」

「そう、ですね」

 ジト目をしていたフィナンは頬を軽くたたいて気持ちを切り替え、部屋の端から椅子を持ってきて、テキパキと皿にフレッシュ・ボールを並べ、三人分の紅茶を注いでから座る。

「それじゃあ、少し古い、古い話でもしようかね」

 遠くを見つめるハンナの淡い桜色の瞳を前に、気づけば背筋が伸びる。

 まるでわたしは、今日この話を聞くためにハンナを訪ねてきた――そんな直感が生まれる。

 それを肯定するように、ハンナは壮大な、そしてわたしにとってとても重要な話を語り始めた。


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