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39気分転換

 王城を抜け出すのは慣れたもの。そもそもお城は侵入こそ難しいものの、脱走にはあまり気を配っていない。何しろ無駄に広い城のすべてを見ていることなんて人員の面でも予算の面でも難しい。だから基本的に見回り以外の見張りは入り口の門付近に重点的に集まっていて、その他の場所ではずさんな警備になっていた。

 そういうわけでフィナンを背負った状態でささっと壁を伝うように下りて王城からの脱出に成功した。

 背中で騒いでいたフィナンは途中でぐったりして、今では諦めた顔で黙ってわたしの後ろをついてきている。

「そういえば、お見舞いの品を買いに行く予定があったわ」

「お見舞い、ですか?」

「ハンナのことは覚えている?彼女がぎっくり腰になったらしいの」

「それは大変ですね。……ハンナさんは独り暮らしでしたよね?」

「そうね。でも魔法で何でもできるからあまり問題ではないという話よ」

 それでも魔女の円卓を紹介してもらった身としては、話を聞いてしまった以上何もしないというのははばかられた。数日、調べ物に時間を費やしている間はすっかり彼女のことなんて忘れていたのだけれど。

「やっぱり甘味がいいかしら」

「そうですね、甘いものは正義ですよ」

「甘い……日持ちのするもの?それとも今日中に食べないといけないようなクリーム系かしら」

「クリームっておいしいですよね。ああ、なんであんなに甘いんでしょうね……」

「それはもちろん大量に砂糖が入っているからでしょ、って今はフィナンの趣味はどうでもいいわよ」

 どうでもよくなんてないですと叫ぶフィナンは、そこから滔々と甘味のすばらしさを語る。

 わたしも甘いものは好きだし、精霊の対価としてかなり大事に思っているけれど、フィナンほど熱くは語れない。

「そういうわけで、クリームは至高の甘味なんですよ!」

「わかるわ!!」

 屋台を見て回る中、語り終えたフィナンの手を行きずりの女性ががっちりと握る。

 突然の接触に目を白黒させるかと思いきや、フィナンは同士を得たと色めき立つ。

「わかりましたか!クリームは素晴らしいんです!」

「そうね、クリームは最強よ」

「……わかりました。見舞いの品はクリーム系にしますよ」

 やったぁ、と手を合わせる二人。いそいそと互いの情報交換を進めた二人はしばらくして別れ、フィナンはうきうきした様子でわたしの隣に並ぶ。

「友達ができました!」

「よかったわね」

「宮廷魔法使いのユズリアさん、覚えました!」

 白髪灰色の瞳の、神聖さすら感じられるような見た目をした美人。おっとりとした見た目とは裏腹に一度口を開くととてつもなくハイテンションになる女性だった。あるいは、甘味のことになると興奮するのだろうか。

 とにかく、一度出会ったら忘れられない人だった。

 新たな出会いにうきうきしたフィナンを連れて向かうのはやっぱり、マドレーヌ・グレシャ。とりあえず甘味を求めるのであればこの店に足を運んでおけば心配はない。

「……今思ったけれど、ハンナへの見舞いに、本当にクリーム系が適切なの?」

「当たり前です!クリームが嫌いな女性なんていませんよ」

「お年を召すとこってりしたものは受け付けられなくなるといわない?」

「ハンナさんはそんな歳じゃないですよ!というか、奥様だって大概ですよね」

「何が大概なの?」

「デリカシーというか、配慮のなさですよ。女性の年齢の話はタブー。そう教わりましたよね」

「さぁ?」

「えぇ?」

 女性の年齢に関する作法なんてわたしは学んでない。

「むぐぁ!?」

 理解できない、と言いたげな目を向けてくるフィナンにいら立ちを覚えて、その鼻先をつまむ。

「はにふふんへふは!」

 くぐもった悲鳴を漏らすフィナンがおかしくて、お腹を抱えて笑った。

「……奥様、視線が集まってますよ」

「だ、だって、仕方ないでしょう?『はにふふんへふは』って……ぷっ、ははははは!」

「そんな風に言ってないですよ。何するんですか、って言ったんです!」

「そう聞こえなかったもの」

 ああ、本当、フィナンがいると気持ちが軽くなる。いじりがいがあるというのもあるけれど、フィナンと話をしているとなんだか気が抜ける。気持ちが軽くなる。

「ありがとうね、フィナン」

「お礼を言われるくらいに私の声はひどかったんですか!?って、コントじゃないんですよ!」

「素晴らしいツッコミね」

「ツッコミじゃないです!」

「ほら、ツッコミを入れているじゃない」

「これは……ああもう、早く行きましょう!?これ以上クスクス笑われるのは嫌ですよ」

 往来でこんな大声で掛け合いをしていれば耳目を集める。

 おかしそうに笑ってくれている通行人の視線から逃げるようにフィナンが歩き出す。

 その背中を追って歩き出し、赤みが引かない耳を見ながら、やっぱりくすりと思い出して笑えて。

「またですか!?」

「最近フィナンのこと、いじりがいのあるおもちゃに思えてきたわ」

「せめて人にしてくださいよ……」

 がっくりとうなだれたフィナンだったけれど、マドレーヌ・グレシャに到着したころにはすっかり期限を直していた。

 そうして二人で材料を選んでいく。

「小麦粉とコラーゲンスライム……って、まさか」

「お見舞いよ。ちゃんと品を作るから安心して。フィナンは何か、中から出てきたらうれしいものを選んでくれる?」

「う、わかりました。大役、責任をもって果たさせていただきます」

 ハイテンションになっているフィナンは敬礼をして店の奥へと歩き去っていく。貴族令嬢から平民の女性、年齢も少女から初老の者までがごった返す中、体をねじ込ませるように入っていく。

 なんでも新商品を発売しているのだという。わたしが求めているのは食材であって完成品ではないのだけれど、まあそれでフィナンがやる気になってくれるのであればいい。

 さすがにその空気の中に入っていく気にはなれなくて、わたしは一口付近の、きれいに小袋で放送された品を見て回った。

 可愛らしいレースの袋に入れられたクッキー。純白のレースに、それぞれカラフルなリボンが結ばれている。

 自分や送り主の瞳と同じ色を、なんて、装身具じゃないのだからと少しあきれる。

 恋人や夫婦は、互いの瞳の色をした宝石や石のついた装身具を相手に送ることで、互いの仲を示すという。首輪は相手の所有を示し、腕輪は相手との絆を示す、だったか。

 あまり興味がなかったので覚えていない。

 それにしても、同じ色でもバリエーション豊かで、見ている分にはすごく楽しかった。青色一つをとっても、夜の黒みがかった空の色や、澄んだ清流を思わせる緑っぽい青や、ルビーを思わせる青があり、あるいは朝焼けのやや紫がかった青もある。

 だんだんと移り変わるグラデーションを追っていくうちに、リボンは青から紫へと完全に変わる。紫――その中の一つ、淡いリボンが目についた。わたしの、瞳の色。

 それに手を伸ばしたのはきっと、つい先日自分が身に着けていたあのスミレの仮面のことを思い出したから。

 記念に持ち帰った植物の仮面は、残念ながら二日で枯れてしまって、今ではもう処分してしまった。

 あの花弁の色と全く同じ色のそれを手に取ろうとして。

「「……あ」」

 手が、重なった。

 ハッと手を引いて顔を上げる。

 申し訳ありません――とっさに口をついて出そうになった言葉は、けれど舌先がしびれたようにもつれることで口内にとどまった。

 記憶の中にある鋭い氷の瞳は大きく見開かれ、困惑に揺れながらわたしを映していた。

 まばゆい銀の髪を一つに結い上げた彼は、さっきまでは全く気配がなかったのに、存在に気づいたとたんに重厚なプレッシャーを与えてくる。

 思わず胸の前で手を握ったのは、彼がこれまでわたしにしてきたことを思い出したから。

 身を守るための防御反応は、けれど、まるで飼い主を見つけた子犬のように笑う笑みを前に無効化された。

「……スミレの乙女!」

「…………」

 また、だ。

 また、彼はその名でわたしを呼ぶ。

 そうして、熱のこもった目で見つめられるたびに、わたしの中でくずぶる怒りの炎が火力を強めるんだ。

 氷の目に、当てられたから。

 この胸の痛みは、きっと、そのせいだ。


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