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38調査

「……様、奥様?」

 はっと顔を上げれば、心配そうに見つめるフィナンと目があった。

「どうしたの?」

「どうしたの、じゃありませんよ。何度もお声かけしても返事がなかったので……大丈夫ですか?」

 大丈夫――とはっきり言えるほどの状態ではなくて、曖昧に笑って本を閉じる。

 書籍から意識が解放されたからか、古書特有のにおいが戻ってくる。周囲には無数の本が詰まった棚が並ぶ。

 王城の図書室、それも古書などを置いている地下にわたしたちは足を運んでいた。

 調べていたのは精霊に見放された土地のこと。そもそもどうして「精霊に見放された土地」などと呼ばれるのか。何か、以前見たあの巨大な魔物に関する情報はないか。魔物が魔物を喰らって強くなったにしては、あの魔物は大きすぎた。突然現れたという言葉がふさわしいほどに。

「……奥様?」

「どうしたの?」

「そろそろお夕食の時間なのでお呼びしたのですが」

「そう、もうそんな時間なのね」

 ちらと横を見れば、右から左へ、読み終えた本が積み上がり、未読の本は残り二冊まで数を減らしていた。

 それだけ調べて収穫ゼロ。今のところ厳戒態勢が敷かれるような状態にはなっていないものの、いつあの魔物が迫ってくるかわからない。そうなる前に対処しなければいけないのだけれど、精霊に見放された土地の情報は少なすぎた。まるで、何らかの問題があって情報が秘匿されているのではないかと思えるほどに。

 それほどに人跡未踏の土地だといえばそれまでのこと。ただ、魔物の発生源だとか、世界の混沌の中心だとか、古書でさえもそんな突拍子のない予測ばかりで正直期待外れ感がすごい。

「ほら、奥様。早く向かいますよ」

「片付けは」

「司書の方が行ってくださいますから。むしろ一度出した本はなるべく戻さないでくれと怒られましたよね?」

 以前本を誤った場所に戻しているところを見られて注意されたのだ。注意した張本人である丸い眼鏡の司書と視線があったので、とりあえず頷いてみれば顔をしかめられた。

「行きますよ」

「わかったわ。だから引っ張らないで。行きたくないと駄々をこねる犬猫か子どものようじゃない」

「子どもは風の子ですから、ほこりっぽい書庫に引きこもったりはしませんよ」

 なんだか最近フィナンが言うようになった。

 母性があると表現するには足りないものが多すぎるけれど、精神的に成長したのならいいことだと思う。権謀術数が渦巻く王城では、図太くないと心を壊してしまうから。

 そういう意味では、いまだに平然としていられるわたしはかなり精神的に強いのかもしれない。だって、王子殿下にいないものとして使われても、こうしてそれなりに平然としていられるのだから……ああ、思い出したら怒りがこみあげてきた。

「ねぇフィナン。わたしって図太いわよね?」

「そうですね。確かに少し太ったかも――痛!?」

 おかしなことが聞こえたから思わず本気でデコピンをしまった。お兄さまでさえ涙目になるデコピンは、手加減してもフィナンを涙目にさせるには十分だった。

「太ってはいないわよ。ただ運動不足でおなか回りのくびれがはっきりしなくなっただけよ」

「それを太ったって言うんじゃ……ひゃ!?」

 せっかく少し溜飲が下がっていたのに、また余計なことを言われた。

 デコピンの形に手を構えれば、フィナンは素早い動きで額を押さえて飛びのく。ここは狭い図書館の中、そんな風に跳べるようなスペースはない。

 ゆえに、フィナンは背中から勢いよく棚にぶつかり、くぐもった悲鳴を漏らした。

 軽く揺れる棚から本が落ちてくることこそなかったものの、重い本がいくつも入った書棚が小さく揺れたのは恐ろしい光景だった。

「……小さくても本棚は揺れるのね」

「今、私の胸を見て言いませんでしたか!?」

「胸じゃなくて背を見て言ったのよ」

「うぅ、わたしはそんなに言うほど小さくありませんよ?ただ、奥様がでかいんですからね」

「失礼な口はこれかしら」

「ひ、ひひゃい……」

 ぐいと頬を引っ張れば、情けない声がフィナンの口から洩れる。まったく、やっぱりフィナンに母性なんて感じられない。

「……お静かにお願いしますね」

「フィナン、言われているわよ」

「奥様のことでしょう?」

「わたくしは、お二人に言っているのですが?」

「「静かにします」」

 ぴくぴくと眉間のしわを痙攣させながら怒気をかろうじて抑えて告げる司書の女性にそろって告げて、わたしたちは読めていない本を手にこそこそと図書室を後にした。


「……また、ね」

 気づけば視線は文章の上を滑っていくばかり。脳は頭に思い浮かんだ人物の顔に気を取られていて本に集中してくれない。

 杞憂に終わればいいけれど、精霊に見放された土地とそこに現れた強大な魔物についての情報は急務。けれど徒労に終わりそうな予感もあって、気を抜けば頭は余計なことを考えてしまう。

 脳裏に浮かび上がるのは、熱を帯びた氷の瞳。身に着けた仮面と同じように、氷の中で炎が燃え盛っているような熱い眼差しを思い出すと、落ち着かない気持ちになる。

 魔女の円卓で出会った青年男性の魔女。ヒョウエンと名乗る彼は、今どこにしてどうしているのか。そんなことばかり考えてしまう。

「どうかしましたか?」

「目が疲れたみたい」

「少し休まれてはどうですか?ここ最近、ずっと本を読んでいますよね」

 ごまかすために告げたけれど、目がしょぼしょぼするのは事実だった。

 今日は気分を変えるために部屋に本を持ってきて調べ物をしていたけれど、それでも集中力は続かず、頭は余計なことばかり考え始める。少し目がかすみ、凝り固まった肩が重い。

 本にしおりを挟んでテーブルの上に置き、軽く伸びをする。

 素早くフィナンが用意してくれた温かいタオルを、上を向いた状態で目元に乗せる。じんわりと目の周りに熱が広がり、流れが悪くなっていた血液が動き出したのを感じる。

「……気分転換が必要ね」

「外出ですか?すぐに許可を――」

「許可なんて取ろうとしていたら日が暮れるわよ」

 すでにフィナン以外の使用人ははけている。今日は室内にとどまると告げたため、彼女たちはわたしの部屋を掃除できなくなり、お役御免となった。

 そういうわけで大手を振って悪だくみができるというもの。頬をひきつらせたフィナンがもしかして、と唇を戦慄かせる。

「もちろん、黙って抜け出すわよ」

「…………はぁ」

「ほら、ため息をついていないで準備しなさい。さすがに使用人の恰好では目立つわ」

「わかりました。一時間ほど時間をください」

「なぜそんなにかかるのよ」

「ここから自室まで移動して、服を着替えるためです」

「面倒だからここで着替えなさい。わたしの服を……サイズがフリーサイズの服を貸すわ」

 ペタンペタンと自分の胸元を触るフィナンは、一人で勝手に絶望してうなだれた。


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