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37夢の終わり

 ふぁ、とあくびが漏れる。

 長く続いた魔女の円卓も終わりが近づき、解散のムードが漂っていた。

 ふと見上げた先、頭上を覆う飴の天蓋はだいぶ闇に溶けるように色を失っていた。それはあちこちの枝にぶら下げられたランプの光が消えてしまい、さらには月が雲に覆われたから。

 光を透かすことのなくなった琥珀の天井は、けれどその美しさを損なっているようには見えない。まるで夜にひっそりと寄り添うように広がる飴の天蓋は、わずかな光を含んだ姿は、優しげな笑みを浮かべているように見えた。

「さて、大仕事ね」

 立ち上がったフォトスがぐりぐりと腕を回す。魔女の円卓の運び屋。彼女は一瞬で目の前から忽然と消え去り、再び現れる。

 その腕に、無数の赤い飴細工の薔薇を入れたバスケットを手にして。

「それじゃあ、始めるわよ」

 広場の端に移動したフォトスに気づいた魔女たちが一斉に立ち上がる。

 ぴしりと背筋を伸ばす彼ら彼女らに倣って、私も直立する。

「今日はこれにて閉幕よ。……次回の開催は未定ね。どうにも精霊に見放された土地の様子がおかしいもの」

 どよめきが一割、うなずきが八割、思考が追い付いていないものが一割。

 わたしは完全に置いてけぼりな側で、ポカンと呆けたように口を開くことしかできなかった。

 精霊に見放された土地――それはルクセント王国の王都近くに広がる、魔物が跋扈する森。魔物が互いに喰らいあうその場所は、そうしてより強い魔物が生まれる苗床になっている。

 そんな精霊に見放された土地に起きた異常。それは王国が脅威にさらされる可能性を秘めていた。

「落ち着きなさい。とりあえずこちらも動くわ。……魔法使いどもの尻を蹴っておいてやるわよ」

「流石は姉御!」

「うるさいわね。さっさと退場しなさい」

 パチン、と指が鳴らされた瞬間、フォトスを姉御と呼んだ青年男性は忽然とその場から姿を消す。

 流れるような動きで籠の中から赤い薔薇を一本虚空へと差し出したフォトスは、私たちに並ぶように告げて笑みを浮かべる。

「列を乱したら遠くに送ってあげるわ」

 ぴし、と勢いよく魔女たちは並ぶ。フォトスよりも老いた者も、わたしよりも幼い少年も、皆が皆、背筋を伸ばして一列になる。

 完全に出遅れたわたしの前で次々と魔女はフォトスの魔法で転移して姿を消す。

 あれだけにぎやかだった広場からは気づけばすっかり人が減り、寂寥が胸にこみあげる。

 吹き抜ける木枯らしに体が震える。その風が、心からも熱を奪っていくように思えた。

「……さて、スミレは王都だったわね」

「はい。……え、もしかしていろんな場所に皆を送ったんですか?」

「当たり前でしょう?全員が全員王都に住んでいるわけでもないのだから」

 ああ、だから精霊に見放された土地に異変があるという話が出たとき、大半の人が落ち着いていたのか。つまり、対岸の火事だということ。てっきりすでに話を小耳にはさんでいたということかと思っていたけれど、違うらしかった。

「まあ、あの阿呆たちは少しは気にするべきだとは思うわね。……精霊に見放された土地の異変は、世界規模の災いにつながりかねないんだから」

「……っ」

「そこまで青くなることはないわよ。スミレはどっしりと構えていればいいの」

 確かに、わたしは後ろで守られる立場だ。王子妃という立場だ。けれど、覚悟を決めた様子のフォトスの目が、自分が戦場に出て対処してみせると語るから。

 たった一夜ですっかり大切になったフォトスに万が一のことがあったらと思うと、胸が苦しくなる。

「……それは、本当なのか?」

 肩が跳ねる。

 慌てて振り向けば、二人きりだと思っていた魔女の円卓の開催地には、もう一人の姿があった。

 わたしと同じようにお決まりの流れについていけなかったらしいヒョウエンは、険しい表情でにらむようにフォトスを見る。

「ええ。嘘を言っても仕方がないでしょ。すぐに国に報告が上がるけれど……魔法で守っているこの開催地のすぐ近くまで、驚異的な能力を有した魔物が接近していたの。それも、多数ね」

「やはりここは精霊に見放された土地の中なのか」

 その言葉にフォトスは答えず、ただ、空へと手を伸ばす。たったそれだけで私が生み出した飴の天井は流動性を取り戻し、フォトスの腕の前で球状に丸まる。

「そろそろ見えるわ」

 気が付けば空はうっすら白くなっていた。そして、その先、明け方のうす暗い空を背景に、闇が動いた。

「……え?」

 それは、山のように大きかった。大きな毛のような何かを揺らす、黒い巨体。ゆっくりと、振動一つなく動くそれを前に、足がひどく震えた。

「あれが精霊に見放された土地を動き回っているの。今のところ、あれに勝てる魔物は無し。あれが何なのかは私も知らないけれど……もし森から出れば、人類はひとたまりもないでしょうね」

「この土地から出ないことを祈るか」

「そうね。……あれに対処するのは困難でしょうね。ましてや、討伐なんてルクセント王国の総力を挙げても難しいんじゃないかしら」

 どこか淡々と告げるフォトスが、私を励ますように笑う。

 朝焼けで燃える東の空、赤色を背景にその巨体は静かに動く。黒々とした塊は、そこにいるだけである種の威圧感を放ち続ける。

 額に汗がにじむ。あれに触れてはいけない――そんな恐怖からか、右手の甲がピリリと痛んだ。

「それじゃあね――頼むわよ」

 最後に聞こえたのは、幻聴ではなかった。

 その言葉の意味を聞くよりも早くフォトスが魔法を発動して、わたしは森の出口へと戻された。

 左右を見て、背後を見る。

 そこには、わたし以外の人影はなく、心臓をわしづかみにされるようなプレッシャーもない。

「夢……じゃない」

 頬をつねれば、痛みが頭を襲う。眠気なんてすっかり吹き飛んで、ただ疲労だけが体に蓄積していた。

 森の外、明るくなり始めたその世界へと一歩を踏み出しながら、ふと、思い出したように背後を見る。

 そこにはうっそうと生い茂る木々があって、その遥か先に、あの巨躯の魔物がいる。

 あの魔物を、どうしてフォトスはわたしたちに見せたのか。

 わたしが、王子妃だから?だから、わたしに対応を期待しているの?

「だったら、どうしてヒョウエンも……?」

 問いかけても、答えは返ってこない。

 ただ分かるのは、今日という日が始まりを告げていて、夢のような時間は終わりを告げたのだということ。

 次の魔女の円卓の開催は未定で、わたしは日常を生きていくことになる。

 息苦しさしか感じられない、王子妃としての日々を。

「……はぁ」

 全部、捨ててしまえたら。

 全部、放り出すことができれば。

 けれど、家族や友人に迷惑をかけるその選択肢を、わたしは選べない。大切な人たちを裏切り、苦しめる側へと天秤は傾き、逆転はしない。

 ただ、もし、天秤を逆に傾けるような激しい思いがあったら、わたしは――

 脳裏に浮かんだ顔を振り払うように頬を叩いて、森の外へと一歩を踏み出す。

 明るい朝日は、完徹したわたしの目にはまぶしすぎた。


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