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36祝福か、烙印か

「熱烈なアプローチだったみたいね」

 スワンに続いて反対の席に着いたフォトスがからかい交じりに告げる。その言葉に反論を返す気力は残っていなくて、何より、その言葉を否定できない自分がいた。

「……彼は」

 誰なのか。

 言葉をぐっと飲みこんだのは、この場では参加者を詮索するのはご法度だから。郷に入っては郷に従え。気晴らしにもなり、わたしよりもずっと魔法に精通した魔女たちとのつながりを得られるこの魔女の円卓の出入りを禁止されないためにも、余計なことをいうわけにはいかなかった。

 それ、なのに。

「彼なら、今日初参加の子ね」

「……話していいんですか?」

「このくらいはかまわないわ。彼の素性には何一つつながらないもの」

 おそらくは彼の素顔を見て、ひょっとすると名前も知っているかもしれないフォトスは、おかしそうに笑う。頭の上から降ってくる笑い声は、わたしの体の中に入り込んで言葉にできないくすぐったさを生み出す。

 首を振ってそのおかしな感覚を追い払いながらも、それでも頭は彼のことを考えてしまう。

 ともすれば子どものように無邪気な魔女の円卓に属する魔女たちの中でも、やや浮いた様子だった彼。それが今日初参加だからというのであれば納得で。

「……ヒョウエンも、わたしのすぐ後に精霊に見放された土地の前にまで来たんですか?」

 わたしがここへきてすぐ、少し忙しそうにフォトスが姿を消したことを思い出した。

 フォトスは真っ赤なルージュの塗られた唇をおかしそうに吊り上げ、けれど肝心なところは語ってくれない。その顔には、けれど心なしか怒りがあるように見えたのは気のせいか。

「もしかして、わたしが後をつけられましたか?」

「さて、どうかしら?」

 笑みは何も語らない。反対に座るスワンの方を見るけれど、彼女もまた何も変わらない。

 ただ余計な勘繰りをしているらしい二人の笑みから逃げるように周囲を見回す。

 甘味研究会の出し物が終わり、その熱もだいぶ冷めたころ。それぞれのテーブルでは魔法談議が繰り広げられ、あるテーブルでは静かに、あるテーブルではけんか腰に会話が弾んでいた。

 その中のテーブルの一つに、大きな男の魔女に肩を抱かれたヒョウエンの姿を見つけた。

 わたしが見ていることに気づかない彼は、どこかぶっきらぼうな様子で食事を勧める。その動きには気品があって、幼少期からの教育をうかがわせた。王侯貴族か、あるいは豪商などの生まれ。

 途端にヒョウエンとわたしとの間に途方もない距離があるように思えた。同じ貴族かもしれない――それは、逆にわたしたちの間に大きな溝があることを意味する。

 ちらと見下ろした先、黒革の手袋が視界に映る。その先にあるのは、傷か、紋章か。

「スミレはもうここには慣れた?」

「……あ、はい。慣れたと、思います」

 心配げに顔を覗き込まれて、慌てて返事をする。何かを探るような瞳は、結局何も告げるでもなく伏せられる。

「そう。……ハンナも来られれば良かったわね」

「ハンナさんは、来ていないんですか?」

「彼女はぎっくり腰をやらかしたらしいわよ」

「家に引きこもっているからそういうことになるのさ。スミレも気を付けなよ。動かなくなればあっという間に足腰にガタが来るからね」

「気を付けますね」

 まだ先にもほどがある忠告だけれど、大事なこと。いつかは体に衰えが来る。そうすれば狩りだって難しくなるかもしれない。そうすると魔法を使う場も――つい魔法のことばかり考えてしまう。

「ハンナは大丈夫なんですか?」

「心配はいらないさ。あの老骨は私以上の魔女だからね」

「そう、なんですか」

「もとは侯爵様の別荘を一人で管理していた女だよ。魔法さえあればぎっくり腰でも生活できるくらいの化け物さね」

「化け物……」

「はは、スワンはこう言っているが、ハンナが倒れたという話を聞いていの一番に駆け付けたわよ」

「なっ、そんなことは言わなくていいんだよ!」

 真っ赤な顔で叫ぶスワン。彼女をからかったフォトスは口元を手で隠してくすくすと笑う。今日会ったばかりだけれど、スワンが弄られているというのは不思議だった。

「んんっ……それで、さっきはどうしてあんな暗い顔をしていたんだい?」

 咳払いして場の空気を換えたスワンはきりりと顔を引き締めて聞いてくる。何の話をしているのかと思って、それからすぐに先ほど手袋を見ていた時のことだと気づいた。

 少しためらって、けれどこれ以上ない識者だと思って、私はそっと右手をテーブルの上に置いた。

「この手のことです」

「手?……もしかして、大きな怪我でもしたかい?」

「ある意味ではそうですね」

「古い傷の治癒は難しいけれど、私なら不可能ではないわよ」

「そういう怪我とは、少し違うんです」

 この傷は、見世物ではない。他人に見せるようなものではない。これは私の人生をゆがめた烙印。今もわたしを苦しめる原因。

「……わたしは、精霊に愛されてなんていないんです」

 魔女たちの賞賛の声。その中にいくつも聞こえたそれは、わたしの心に無数の針として刺さっていた。

 それは名前も知らない魔女たちの言葉で、あるいはスワンの言葉でもあって。

「そんなことはないさ」

「いいえ、だって……わたしの手には、精霊のいたずらがあるんですから」

 そっと、手袋から手を抜き出す。久しぶりに人の目にさらされた手の甲がチクリとうずいた気がするのは、気のせいだろうか。

「これ、は……」

「……だから、今なの?いいえ、あるいは逆……」

 二人が息をのむ気配が伝わってくる。やっぱり、言葉を失うほどに衝撃的なものなんだ。そう思うほどに胸が苦しくなる。

 精霊のいたずらは、精霊による烙印。負のレッテル。対価の甘味を出し渋ったか、あるいは明らかに量が足りない魔法を発動してしまったか、とにかくそうした問題を起こす魔法使いだと精霊たちが共有するための証。

 わたしの手に付けられたそれは、傷と呼ぶには整っていて何かの模様のようにも見えるけれど、精霊につけられた傷であることに違いはなかった。

 この国で伝説に語られる世界樹の紋章だなんて言われて王子殿下と結婚までさせられたけれど、それはきっと間違い。確かに書物に乗っていた「世界樹の紋章」とわたしの手の甲のそれは似ている気がしたけれど、手に刻まれたそれはもっとぐちゃっとしていて、紋章なんて呼べるものではない。

 うつむいて深刻な表情で何かを考えていたフォトスがばねが伸びるように勢いよく顔を上げてわたしの目をまっすぐに見て告げる。

「……精霊のいたずら、ではないわね」

「同感さね。もしそうなら、スミレがこれほど精霊と意思疎通を行えている理由がわからないからね」

 ひとまず隠しなさいと、言われるままに手袋をつけなおす。どこか責めるような視線を二人からもらうけれど、その理由がわからない。

「……ここでは、本名だとか社会的立場だとは抜きにして、詮索もしないものなのだけれどね」

「まあミスだっていうのなら仕方がないだろう?……まったく、おっちょこちょいにもほどがあるね」

「ええと?」

 やれやれと首を振る二人。わたしは彼女たちが何を言いたいのかがわからず、首をひねることしかできない。

 わたしの動揺に気づいたフォトスが、わたしも耳元に顔を近づける。かすかな水音と吐息がなまめかしいと、場違いなことを考えて。

 ――王子妃とお呼びした方がいいかしら?

 言葉に、思考のすべてが停止する。

「……スミレ?」

「あ、ええと……わたしは、スミレです」

「そうね、そういうことにしておくべきね」

 どうして身バレしたのだろうかと考えて、うつむいてハッと気づく。

 世界樹の紋章を宿した女性の発見と、王子殿下との婚約は、市井に伝わるほど大きな話だったのだろう。その情報さえあれば、わたしの手にある「精霊のいたずらにも見える何か」を目にしたところで、わたしの情報にたどり着いてしまう。

「……ああ、確か魔法は禁止って話だったね」

「ええ、バレたら面倒なことになるでしょうね」

 ああ、スワンは貴族家の使用人斡旋の伝手があると話していたっけ。フォトスは……わからないけれど、いくらでも貴族と伝手がありそう。あるいは、フォトス自身が貴族だと言われても違和感がない。

 二人は、田舎貴族のわたしよりずっと王族の事情に精通している。つまり、わたしのことをバラせる伝手があるということ。

 命綱を握られる感覚というのは、こういうものなのだろうか。

「内緒でお願いします」

「言いやしないよ。ああもう、大層な爆弾を抱えさせてくれたもんだね」

「そうね。実に重いものを背負うことになったわ」

 そう言いながらも、スワンとフォトスは顔を見合わせて笑う。

 その反応は想定外にもほどがあって、わたしは目を回すばかりだった。

「ええと?」

「私たちは魔女なのさ」

「時に、悪い行いをする物語の魔女と同一視されて差別されるくらいにはね。実際に悪い魔女として追われるようなことをしてしまった者もいるけれど」

 だからこそ詮索は無しで魔法を語る場なのだと二人は告げる。

 そういうものだから、と気負いない様子を示す二人を前にして、目頭が熱くなった。

 この傷も、わたしの立場も、王族に属する身でありながら魔法を禁止されていることも、彼女たちは気にしない。

 ここにいるのは魔法好きのバカばかりなのだと、笑いながら告げる。

「精霊は人間の思考では及ばないことを考えているものなのさ。だからこそ、理解できない精霊の行いを、人は『いたずら』と評すようになったわけだね。だが、精霊の行為には必ず意味があるのさ。たとえ、私たちには理解できなくとも」

「スミレがそれだけ魔法を使うことができている時点で、それは精霊のいたずらなんかじゃないわね」

 だから安心していいと、彼女たちは、わたしが求めていた言葉をくれる。説得力とともに、わたしの心にあった重いものを溶かしてくれる。

 ああ、本当に胸が温かい。

「祝福と、そう呼ぶにふさわしいものだろうね」

  スワンが言うようにこの傷が祝福だと、まだわたしの心は何のためらいもなく受け入れることはできない。だって、この傷があるから、わたしは苦しい思いをしているのだから。

 氷の王子と呼ばれる殿下と結婚し、いびられ、毒殺未遂にあって、魔法の使用を禁止されて。

 それでも、これがあったからこそスワンやフォトスたちに出会うことができたというのなら。

 少しは、この傷に価値を見出してもいいのかもしれない。

「ほら、泣くんじゃないよ」

 甲斐甲斐しく世話をしてくるスワンの厄介になりながら、わたしは子どものように泣きながら笑った。

 楽しくて、おかしくて、うれしくて。

 胸がいっぱいになって、笑った。


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