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31門番の試練

アヴァロン視点です

 精霊に見放された土地の入り口。

 広大な森は夜に沈み、木々が生い茂る先には底なしの暗闇が広がっている。

 ざわめく木々の葉擦れの音は、遠くから響く魔物の咆哮と重なってひどく不気味に響く。

「本当に、ここに来たのか?」

 スミレの乙女を追って森に来たのはいい。ただ、部屋から移動している間に彼女の姿を見失ってしまった。

 最後に見下ろした彼女の位置からそれほど遠くないとは思うものの、どれだけ闇の先に目を凝らしても、スミレの乙女の背中は見つからない。

「……ここから、どうすればいいんだ?」

 完全にノープラン。ただ、彼女を追わないといけないという強迫観念と、彼女と会いたいという焦燥だけが自分を突き動かしていた。

 これではまるで、恋に狂った男だ。

 思い、そして苦笑が漏れる。

 何が、まるで、だ。

「実際に、恋に狂っているのだろうな」

 氷の王子などと呼ばれていても、一皮むけば私はただの男だった。

 たった一人の女性に心奪われ、恋焦がれ、一目でも彼女を見たいと思い、彼女に自分を見てほしいと思う。あの涼やかな声が響くたびに胸は高鳴り、息が苦しくなる。耳の奥、残響だけでそれなのだから、彼女を前にした時の歓喜はもう、言葉にできない。

 ああ、私がこれほどまでに君を愛しているのに、君はどうして、私から遠ざかろうというのか。

 嘆き、近くの幹に背中を預ける。

 森の入り口。そこは別世界との境界線のように明暗がはっきりしている。

 月光が照らす、王都が見える平穏な世界。そして、魔物が跋扈する死と戦いの世界。

 その、血濡れた世界に彼女がいるかもしれない。

 そう思えば、いてもたってもいられない。

 この広大な森の中、一人の女性が見つかるはずがない――冷静な頭が訴える。

 きっと見間違いだ。あるいは、彼女は私と入れ違いで王城に戻っているのではないか。そうして、誰か、私以外の男のところに、いるのではないか。

 血の味がするほどに強く奥歯をかみしめて。

 こみ上げるどす黒い感情を、必死にのどの奥に押し込む。

「……クソッ」

 思わずこみ上げた汚い言葉が、するりと歯の間から滑り落ちる。

 自分の醜さが、自分のふがいなさが、自分の甲斐性のなさが――とにかくすべてが嫌で仕方がなかった。

 こんな男だから、スミレの乙女は私を見てくれない。私がどれほど思っても、彼女はなびかない。

 自由な風は、けれど私の知らぬ鳥かごの中で、今日も翼を窮屈そうに畳んでいるのだ。

 こんな、危険な森の中にいるのではなく――

「……?」

 風が、吹いた。冷たい、中秋の風。

 森の奥から吹き付けるその空気は、木々のにおいと、土のにおいと。

 そして、人間のにおいを運んできていた。

 とっさに、腰に下げた剣に手が伸びる。

 人が、いる。

 それがスミレの乙女である可能性など、意識から抜け落ちていた。

 突然に現れたように感じられた誰か。そんな、魔法使いよりもなお恐ろしい力を秘めた存在を前に、心臓が唸る。

 がさりと。

 茂みが揺れる音に、柄を握る手の力が強くなる。

 敵か、味方か。

「今日は新顔が多いわね。残り香がないと見落とすところだったわ」

「……お前は、何だ?」

 のんきな声で、女が告げる。

 美しい体格をした女だった。余裕の少ない真っ白なローブは体に張り付き、その輪郭を浮かび上がらせる。ローブと同じか、あるいはそれ以上に無垢な白の仮面が目元を隠す。

 癖の強い黒髪と、闇を濃縮したような同じ色の瞳。白い肌の上にひかれた真っ赤なルージュがやけに目についた。

 亡霊か、魔物か、あるいはと。

 考える私をよそに、女は少し不思議そうに首をひねる。

「……そう、招かれざる客なのね」

「招く?……少し前に、このあたりに来た女性を探しているのだが、心当たりはあるか?」

 もし、この女がスミレの乙女を招いたというのなら。

 彼女の行方を知っているということ。

 彼女の正体について、何か知っているかもしれないということ。

 仮面の奥、細められた目は私もすべてを見透かすよう。すべてを吸い込む闇の瞳が、私の心を揺さぶる。

 気を抜くな。油断するな。この相手を前に、不用意な言動は死を招きかねない。

 そう、思った。

「……知り合いを探しているの?」

 女が問う。肝心なところは濁したその言葉は、何かを伝えるには足りないものが多くて、けれど、私が求める情報を知っていることを示唆していた。

 この女は、スミレの乙女が近くに来たことを否定しなかった。

「ああ。戦友で、命の恩人で、私の……知人だ」

 好いた相手だ。

 喉まで出かかった言葉を必死に飲み込む。

 どうしてあったこともない相手に告白しようとしているのか、まるで相手の掌の上で遊ばれているような感覚に、首の後ろがちりちりとした。

 何か、されているのか。あるいは、この場の空気感がそうさせるのか。

 死の世界の入り口に立つ女は、静かに何かを考えていた。

 まだ、剣は抜かない。

 敵対が決まったわけではない。

 その気になれば武力も権力も、すべてを使って目の前の女からスミレの乙女を聞き出すことも考慮に入れながら、彼女の選択を待つ。

 吹き抜ける冷たい風に、木々が揺れる。

 ざわり、ざわりと。

 その音は、何か、形のないものが私のところに迫ってきているように錯覚させる。

 形のないもの――私を飲み込もうとする怪物。

 それは、私が積み上げてきた王子としてのすべてを崩す恋という怪物かもしれなかった。

 私の想いを打ち砕く、真実という折れない剣かもしれなかった。

 あるいは、私の怯えかもしれなくて。

 長い時が経ったように錯覚するほどの緊張感の中、女は小さくため息をこぼした。

「……いいわ。私はただ、門番として貴方を見定めるだけね」

「門番か。お前は何を守っている?」

「すべてを知りたければ試練を超えて見せなさい」

「…………いいだろう」

 負けはしない。

 スミレの乙女のためだと思えば、全身に力が沸き起こる。

 キン――剣を抜く音が、やけに大きく聞こえて。

 ぎょっと見開かれた女の黒目が視界に映る。

「ちょ、ちょっと、何で剣を抜いているのよ?」

「試練だといっただろう?お前に勝てばいい、という話だったよな?」

「違うわよ。どうして試練という言葉だけで戦おうという発想になるのよ」

 そうか。試練で、門番。立ちはだかる正体不明の存在となれば戦闘は必至だと思ったのだが。

 誤解したまま突っ走ろうとした居心地の悪さに肩をすくめ、剣を鞘に戻す。

「……貴方、見かけによらず武闘派なのね」

「いや、これでも文官肌だな。剣は必要があったから覚えただけだ」

「もし文官気質だったら真っ先に戦闘を考えないわよ」

 女の「ミステリアス」という仮面がぽろぽろと剥がれ落ちていく。そこには仕事に疲れて酒場でテーブルに突っ伏すような、どこにでもいる女が立っている。

「改めて、私はフォトス。今から貴方に試練を課すものよ」

「私は……そうだな、ローだ。で、試練はなんだ?」

 焦るなと、どこかじっとりとした視線が突き刺さる。

 だが、焦らずにはいられない。こうしている間にもスミレの乙女が森の奥で、この招待不明の女の仲間たちとともにいるかもしれないと思うと心がざわめいて仕方がない。

 彼女は、無事だろうか。安全なところにいるのだろうか。

 緊張感が体を満たす。

 絶対に失敗は許されない。試練を乗り越えるために、私は全力を尽くすと前のめりになって――

「試練は――パーティーに添えられそうなお菓子を用意することよ」

「…………は?」

 空耳がした。菓子?パーティー?

 私の耳がおかしくなった、ということはないはず。

 一言一句聞き逃すまいと集中していたし、木々のざわめきは落ち着いていた。

「ふざけて、いるのか?」

「まさか。もともと、気が乗った子たちによって迷い込んでしまう者がいるくらいだもの」

 菓子……自然と手は外套のポケットに触れて。

 そこでがさりと揺れるものの存在を全身が感じ取る。

 取り出したそれは、美しい紙包装がなされた掌サイズの箱。

 王都の有名だという店から取り寄せた菓子。

 使用人に毒を盛られたなどという彼女が少しでも安心して食べられるものを送りたいと思って用意していたこれを、今、スミレの乙女ではない人に渡すのか?

 葛藤は、けれどすぐに消える。

 スミレの乙女のもとにすぐに向かうべきだという心の声に軍配が上がる。

「これでいいか?」

「マドレーヌ・グレシャね。もしかして、知っていたの?」

「この試練のことを指しているなら、知っているわけがない」

「そうね。先ほどはずいぶんと間抜けな顔をしていたわね」

 近づいてきた女がひょいと私の手から菓子箱をひったくる。

 ビリ、とおもむろに包装を破る。

「おい、何を」

「試練は、門を通るための対価の用意という意味もあるのよ」

 スミレの乙女のための包装は一瞬にして無残な姿へと変化し、ためらいもなく箱が開かれる。

 白く、金粉があしらわれた涙型のチョコレートが四つ、姿を現す。

「……それじゃあ、行くわよ」

「行くって、どこへ」

 女の手が、私の腕に触れて。

 一瞬にして、視界が切り替わる。

 森の入り口から、幻想的な村へ。

 村と、そう呼んでいいのかもわからない。

 木々の葉が光っているように錯覚させる、緑のランプと、橙色のかぼちゃのランタン。

 ねじれた木々と、切り株のローテーブルとイス。そのテーブルを囲むのは、目の前の女と同じようにローブと仮面を身に着けた者たち。

 老若男女、およそ二十かそこら。

「……なんだ、ここは」

「ようこそ、魔女の円卓へ」

 女は私の目元に仮面を当てて、どこかおかしそうに告げる。

「氷の中で燃える炎なんて、おかしいわね」

 勝手に私につけさせた仮面の評価をする女の手もと。

 私が手渡した菓子箱の中からは、菓子は忽然と姿を消していた。


 そうして私は、魔女などと名乗る異様な集団の中に放り出された。


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