30魔女の円卓
精霊に見放された土地。
その呼び名とは裏腹に、そこでは決して魔法が使えないということはない。
ただ、その土地は人が住むのが難しい大自然で、人々は自然と魔物への畏怖と恐怖を込めて、精霊に見放されたような土地だと口にする。そこには凶悪な魔物が跋扈し、互いに争い、食らいあい、より凶悪な魔物が誕生する最悪の連鎖が起きているのだと。
その実態を知らずとも、多くのものに伝聞する情報は、力を持たない市民を震え上がらせるには十分なもの。
そんな土地の入り口に差し掛かって。
ふわりと灯った光に、わたしは思わず息をのんだ。
「……紙が、光ってる?」
森の入り口に差し掛かっても手掛かりはなくて。最後の頼みの綱とばかりに開いた鞄の中に光がともっていた。
鞄の中にしまっていた紙片。それは魔女ハンナから手渡された、手のひらの上に収まるほどの紙切れ。
それがまるで月光を取り込んだように、淡く光を帯びていた。
そっと、手の上にのせて持ち上げる。
蛍のような光。ずっと過ごしていたレティスティア領の森にある美しい湖で毎年みられる幻想的な光景を思い出し、郷愁の念に駆られてほんの少しだけ泣きそうになった。
その涙はすぐに引っ込み、わたしは好奇心の赴くままに改めて紙面の観察を始めた。
やや質の悪い、縦三センチ、横七、八センチの紙。浅黄色なのは漂白をされていない、木の色がついた低品質の紙だから。
表面には「魔女の円卓」、裏面には「月の満ちた日の夜、精霊無き世界へ」と書かれているだけ。そのインクには特に特殊性は感じられない、と、そう思って。
「……なんか、甘い?」
目を皿にしてすぐ近くで見ていると、ふわりと、やや酸味を帯びた甘い匂いがチケットから漂ってきた気がした。
もう一度嗅いでみて。やっぱり、そのチケットから甘い香りがしていた。
甘味――おそらくはインク。
そこまで考えて、ある予感と衝撃が、わたしの体を突き抜けた。
「まさか、甘味をインク代わりにして文字を書いて、遠隔で精霊に魔法を発動してもらっているの?」
まずは、紙に甘味で文字を書く。きっとその時に精霊に頼んで、紙に張り付いていてもらう。
そして、紙が所定の場所に来たら精霊に魔法を発動してもらって、紙面を光らせる。
甘味のインクを代価にして。
「そんなこと、考えたこともなかった」
けれど、その有用性は計り知れない。
例えば狩りの時、あらかじめ甘味を設置して条件を指定して魔法をお願いする。そうして魔物を引き寄せて、その条件を達成すれば。
わたしが考えることなく勝手に発動された魔法が獲物を襲うことになる。
追われる身としての緊張も、恐怖を抑えながら必死に頭を振り絞る必要もない。甘味を取り出すのに手間取ることもない。ただ、目的の位置に相手を引き寄せ、しかも、相手が予期しないところから奇襲のように攻撃できる。何しろ、相手に背を向けた状態で、逃げながらの攻撃になるのだ。
「……精霊が、この攻撃を受け入れてくれればだけれど」
俄然、魔女の円卓というこの案内に興味がわいてきた。
ハンナの言葉では、魔女とは魔法を戦い以外に使う者たちのことで。
けれど魔女たちの知見は、主に戦いに魔法を使うわたしにとっても役に立つことは明らかだった。
こんなことを考え付く、あるいは知っている魔女たちは、いったいどんな人たちなのか。
そわそわして落ち着かなかった。
「……ええと、ここからどうすればいいの?」
紙片はまだ、変わらずに光を帯びている。ただ、逆に言えば光っているだけ。それも、インクの甘味がなくなれば終わる。現に、裏面の文字はじりじりと減り、インクが精霊のおなかに収まっているようだった。
紙面についたインクをぺろぺろとなめているのだろうかと思い、そんな精霊の姿を思えば笑みがこみ上げる。
とりあえず、光っている紙片を持ち上げ、左右に動かしてみる。
光の強弱の変化はなかった。つまり、この方法じゃない。
次はどうすれば――と、そこまで考えて。
がさりと茂みが揺れる音に、わたしは息をのんだ。
ここまで近づかれて、気づかなかった。
「いらっしゃい。若人よ」
現れたのは、真っ白な仮面で顔の上半分を隠した女性だった。のっぺりとした、顔に張り付くような仮面。鼻の上までを覆っているそれに開けられた目穴からは、髪と同じ黒色の、まるで黒真珠を思わせる瞳が覗いていた。さらされた口元には真っ赤なルージュが引かれ、鼻梁やあごのラインは彼女の顔立ちの美しさを強調する。
「さ、行きましょうか。私たち魔女の円卓へ」
手を出して、と言われるままに彼女へと手を伸ばす。
真っ白な、シミはもちろん日焼けしている様子もない白い手をつかめば、一瞬にして視界が切り替わる。
「……え?」
「さ、ついたわよ。ここが魔女の円卓の会場よ」
瞬きを繰り返す。夢でも見ているのかと思って頬をつねる。
「……痛い」
「そりゃあそうよ。だってこれは現実なのよ。たとえ、夢のような世界であったとしても、ね?もちろん幻惑じゃないわよ?」
くすくすとおかしそうに笑う彼女の声に顔が熱くなる。
生温かい視線から逃げるように周囲を見回す。
そこは、曲がりくねった巨木がいくつも立ち並ぶ森のどこか。けれどそこに闇はなく、無数のカボチャランプと、積みあがったお菓子と、木々の枝にかけられた緑色のガラスで覆われたランプが、怪しく世界を照らし出す。
切り株の形をしたテーブルとイスには、黒目黒髪の彼女と同じように仮面を身に着けた人たちの姿があった。その中には、おそらくはハンナらしい姿もあった。
「ここでは現実の身分も立場も顔も、すべて隠してただ一人の魔女として交流できるのよ。だから、あなたにも仮面を用意するわね」
「あ、はい」
圧倒されるわたしは、ただうなずくしかできなかった。
「精霊さん、どうか私の頼みを聞いて。この子に見合った、美しい仮面を、顔を隠し、神秘性をもたらす仮面を、作り上げてくださいな」
歌うように告げる彼女が甘味を取り出す。それはきれいなバラの形をした飴細工だった。
青いバラ。それに歓喜するように、精霊たちが動き出した――のだと思う。
あっという間に、私たちの目の前、虚空で仮面の細工が始まる。
地面から伸びたひょろりとした植物。つる草のように伸びたように見えるそれは、下の植物を栄養にして成長する、無数の植物の連なり。
てっぺんの花瞬く間に開花して、小さな花弁を揺らす。淡い、紫の花。
「スミレね。家屋や石畳の隙間に根を張る、小さくも力強い花」
その花を巻き込むように菫の草葉がうごめき、絡み合い、そうして黒髪の女性とよく似た、目元を隠す植物の仮面が出来上がる。
ふっと飴のバラが消えたのと同時に、スミレの仮面が彼女の手の中に納まる。
「あなたの目と同じ色ね」
「そう、ですね。……精霊は、この目を見てスミレで仮面を作ったということでしょうか?」
「どうかしら。さすがの精霊も、目の色だけでスミレを連想することはないんじゃないかしら。誰かに、スミレ色の目だ、とか、スミレに関連した呼び方をされたことはないの?」
「……ああ」
いる。わたしのことを、スミレの乙女なんて呼ぶ男の人が。
わたしなんてどうでもいい存在としか思っていないはずなのに。
スミレの乙女と呼ぶその声には、深い思いと熱がこもっていて。
陰鬱とした気持ちを吹き飛ばすように首を振り、差し出された仮面を受け取り、身に着ける。
しゅるる、と目元で仮面が動いて、スミレの茎で編まれたひもが仮面を頭に固定する。
「ありがとうございます」
「精霊にとっても楽しい魔法になったみたいね。……ああ、自己紹介がまだだったかしら」
少し恥ずかしそうに頬を赤らめて、彼女はこほんと咳払いをする。
「初めまして。私はフォトス。名前の通り、この魔女の円卓の運び屋をしているわ」
「ええと、わたしは……スミレ、です」
「そうね。その仮面も相まって、あなたにぴったりの名前だと思うわ」
おそらくは本名を口にしないで正解だった。
楽しそうに笑うフォトスを見ていると、わたしのほうも笑顔になる。
「あの、そういえばさっきの魔法って……」
「ごめんなさいね。あなたで最後だとおもっていたのだけれど、まだお客さんが来たみたい。ここでは基本的に何をするかは自由よ。どこかのテーブルに加わって魔法談義をしてもいいし、会場に飾られた甘味を使って魔法の練習をしてもいい。あるいは甘味の作り手として時間を過ごすのもいいわ。みんな、新しい人に飢えているから、すぐに歓迎されるでしょうね」
「そう、なんですか」
「ええ、今もぎらぎらと目を輝かせているわ」
いわれてテーブルのほうを見れば、たくさんの魔女が会話を止めてわたしたちの方を見ていた。ひらひらと手を振る人達は、当然のころながら男性もいれば女性もいて、年齢も、まだ十歳にも届かないかもしれない子から、髪が真っ白になって腰が曲がったお年寄りまで幅広い。
「改めて、ようこそ魔女の円卓へ。歓迎するわ、スミレ」
ここは、わたしを受け入れてくれる。わたしが誰であるかも、立場も、何もかもを気にすることなく。
胸の温かさに、自然と笑みがこぼれた。




