26魔女の庵
魔法のための甘味を買い求め、「太りますよ」などとフィナンに苦言を言われながら王都の散策を続ける。
一番必要な予定を済ませてしまった以上、あとは実に気楽な時間。アヴァロン殿下のことも妃という立場も忘れて、今はただ羽を伸ばしていよう。
そんなことを思ったから、ふと、視界の中にわずかな違和感があることに気づいた。
違和感というよりは、やけにしっくりくる感覚、と言えばいいのだろうか。そう意識してしまえば、視線が街並みの一角から離れようとしなかった。
一見するとただの家屋。蔓が外壁の一部を覆って青々とした枝葉を伸ばすレンガ造りの建物。そのレンガも、長年の風雨にさらされたせいかあちこちが欠け、そこに蔓が根を張り、今にも崩れそうに見えた。
そんな崩壊目前の建物は、街並みからやや浮いて見えた。まるでそこだけ、ずいぶん昔のまま時が止まってしまっているよう。隠れ家的、といったような感じだろうか。
そんなことを思いながら足を止めていれば、先に進みかけたフィナンが不思議そうに振り返り、わたしの視線を追って先を見る。
「……どうかしましたか?」
「少し気になるお店……建物?を見つけたの。寄ってみましょう?」
「気になるお店、ですか?」
きょとんと眼を丸くしたフィナンは、わたしと視線の先を行き来する。けれどその古びた建物は大して気にならないのか、一体どれのことかと聞いてくる。
「あれよ。あの、蔓が絡みついている、古い建物。こういうのを、趣があるというのかしら。森の中、朽ちかけた秘密基地でも見ている気分ね」
「蔓の、絡みついた……?」
「……?あれよ、あそこの」
指をさして示すも、フィナンの眉間のしわが深まるばかり。一向にその建物を見つけられない様子で、何かがおかしいと、ようやく思えてきた。
フィナンとわたしの違い。そう考えて真っ先に浮かぶのは魔法の有無。
もしそうであれば、あの場所に向かうのはあまりよろしくない。
「そこの貴女。ワタシの店に何か用かな?」
そう考えて踵を返そうとして、けれどそれよりも早く掛けられた声に、心臓が縮み上がる思いをした。低くしわがれていて、それでいてよく通る不思議な声。
その声は思いのほか近くから聞こえて、首が痛みそうなほど勢いよく声のした方へと顔を向ける。
果たしてそこには、紫紺に金糸で装飾の施されたローブを身に着け、フードを深くかぶって顔を隠した一人の老婆がいた。老婆、と思えるのはその背丈と杖、そして腰が曲がった様子から。
片手に持つバスケットには深緑のワインボトルと市場で買ってきたらしい野菜やパン。カツン、と杖が打ち鳴らされ、わたしの意識は混乱から立ち直る。まるで魔法でもかけられたように頭の中が冴えていた。
「ええと、初めまして。わたしはクローディアです。それから、この子はフィナンといいます」
「この子って……」
どこか憮然とした様子だけれど、人見知りの幼子のようにわたしの体に隠れる位置にいるのだから仕方がない。まるでその老婆を恐れているようなフィナンの反応が少し気になった。
「ワタシはハンナというしがない薬師だよ。こんなところで立って話というのもなんだから、お店においで」
顔を見合わせるわたしたちは、結局好奇心が勝ってハンナに着いていくことにした。まるで何かに惹かれているかのように、進む足取りはお店が近づくほどに軽くなる。
接近したことが理由か、緑に包まれた建物まで残り五メートルほどのところで、フィナンが驚いたように息を漏らした。それに気づいたからか、ハンナはちらとわたしたちの方を見て、フードの下でにやりと笑った。
「やっぱりワタシのお客のようだね。ようこそ、〈魔女の庵〉へ」
外壁に埋没するようにくすんだ扉を開き、ハンナはわたしたちをいざなう。足を踏み入れる中、わたしの脳裏にあるのは「魔女」という単語への不思議な高揚だった。
扉の先、むわりと香るのは森の、あるいは草木のにおい。
店内は外とは打って変わってきちんと手が入れられていて、目に優しいレンガ色の壁を背景に、たくさんの薬草が吊り下げられて乾燥されており、あるいは何やら不気味な動物の体の一部、目や腕などが瓶詰めにされて壁一面に並んでいた。
「……不思議なお店ですね」
「取って食おうなんてしないから言葉を選ぶ必要はないよ。不気味だと思ったならそう言ってくれればいい」
「……ええと、不気味、ですね」
フィナンが少しためらいながら告げれば、ハンナは実におかしそうに笑い声をあげる。その声に驚き、怯え、再びフィナンは引っ付き虫のようにわたしの背中に隠れる。
どうでもいいけれど、普通はフィナンが前に立つところじゃない?なんて思いながら、改めて店内を見回す。
標本のような精密な動物の模型に、見覚えのあるハーブ、かと思えば液体の中で浮かぶ何かの眼球と目が合って、漏れかけた悲鳴を必死に飲み込む。
視線を感じてそちらを見れば、ハンナが実におかしそうにわたしを見ていた。多分、反応を面白がっているんだろう。
「……いい趣味ですね」
「だろう?」
悪趣味だと、そんな意味を意にも返さず、ハンナは心から笑って見せた。
「ところで、ここは薬屋なのですよね?」
「そうさ。見ての通り、なんでも作っているよ」
残念ながら、材料だけ見せられてどんな薬を扱っているかわかるほど、わたしは薬に詳しくない。野山に咲いている止血用の薬草程度であれば知識はあるけれど、あとは食べられる植物に知識が偏っている。現に、こうして見回してわかるのは、食用の植物が一割、毒草が七割、正体不明の植物が二割といったところ。わからないものは希少なものか、あるいはわたしの琴線に引っかからない毒にも薬にもならない、食べられない植物なのだと思う。
なんて、そんなわたしの評価を察してか、ハンナは裏から持ってきたティーセットを乗せたお盆を近くの台の上に置き、正体不明の植物のいくつかを先が曲がった棒でとって見せる。
「こいつは煎じて飲むと咳止めになるんだよ。こっちは爪の補強用さね」
「爪の……女性向けですか?」
「いいや?男女ともに商売相手さ。男連中は武器を扱うような奴らが多いな。戦闘で爪が割れないように補強をするわけだ。これが意外と定期的な収入になるのさ」
詳細なレシピは秘密だと笑い、ハンナはお茶を注ぐ。紅茶ではなく、どこか毒々しくも見える濁った緑の飲み物。頬を引きつらせるフィナンをよそに、わたしは差し出されるままに口をつけて。
「おいしい」
「そうだろうさ」
思わずこぼれた言葉にフィナンから困惑の視線が突き刺さる。
「フィナンも飲んでみるといいわ。少し癖があるけれど、むしろその癖がいいわ」
「本当に、ですか?」
先ほどのフレッシュ・ボールの一件が尾を引いているのか、フィナンは懐疑的な目を向けてくる。
「本当においしいわ。まあ、個人の好みに左右されるところはあるでしょうけれど」
迷いに迷った末、フィナンはえいや、と覚悟とも勢いともつかぬ様子でお茶を口に含み、固まった。
すん、と表情を消したフィナンは、涙目になりながらなんとかお茶を飲み干し、じろりとわたしをにらむ。
「美味しくなかった?」
「…………これは薬ですよ」
「そう?それなりにおいしいと思うけれど」
「奥様の味覚っておかしいんですね」
何やら不愉快なことをしみじみと言っているけれど、それがハンナの味覚の否定につながっていることには気づいていないらしい。もっとも、当のハンナはといえば、再びお茶に口をつけるわたしを化け物でも見るような目で見つめてくるフィナンを観察しながら声を押し殺して笑っていた。




