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24フィナンと王都散策リベンジ

『スミレの乙女!』

 その、激しい熱をはらんだ声が聞こえた瞬間、わたしの頭は真っ白になった。

 逃げなきゃ――思考よりも早く、わたしは走り出していた。けれど、音が告げる。相手が現れる方が、わたしが逃げ切るよりも早いと。

 どうして逃げているのかもわからずに、わたしは千々に途切れる思考を必死に掻き合わせて打開策を探った。

 果たして、わたしはアヴァロン殿下に見つからなかった。

 それでも、庭園がもはや安息の地ではなくなったことは確かだった。わたしの無聊を慰めてくれた花々を、わたしが再び愛でるようになるのはいつのことか――

「ありがとう、もういいわ」

 薔薇棚をなす蔓薔薇の、中。作り上げた空洞に身を潜めていたわたしは、ポケットに収めていた飴を取り出して精霊に捧げる。

 飴は一瞬にして虚空に消え、蔓薔薇はわたしが隠れたとき同様、音もなく動き出して出入り口をこしらえる。

 そうしてわたしが脱出した後には、もう先ほどの穴はなくなり、元のように隙間なく枝葉が茂る薔薇棚がそこにあるばかりになっていた。

 座り込んでアヴァロン殿下が過ぎ去るのを待っていたため、スカートが土で汚れてしまった。部屋に戻って着替えを考えながら、今日は何をしようかと考える。

 そのうちに、アヴァロン殿下に関することなど、すっかり頭から抜け落ちていた。


「リベンジと行きましょうか」

 もちろんそれは、アマーリエとのお茶会、ではない。結婚式準備で忙しい彼女の家に、アポ無しで、あるいは当日早朝に使いを出して押し掛けるなどという礼儀のないことができるはずもない。彼女は歓迎してくれるだろうが、そのあたりの線引きはしっかりやっておく必要がある。

 代わりに、わたしはフィナンを連れて街を歩くことにした。

 フィナンはわたしの使用人で、抱き枕で、あとは王城の中で数少ない信用のおける相手だ。

 立場が低いのが少し難点だけれど、毒殺未遂を内々で処理したことによって、彼女の中のわたしの株は上がっている、はず。きっと、よほど理不尽な命令でもしない限り、フィナンはあらゆるわたしの言うことを聞くだろう。家族を、守るために。何しろ、王子妃という一応は王族の末席にいるわたしを毒殺しようとしたのだ。本来は一族郎党皆殺しの可能性だってあった。

 しないけれど。

 絶対にしない。そんなことをしても意味がないし、下手なことをすれば、ただでさえ瑕疵物件として女性としての経歴に傷がついている身としては、余計なことなどできるはずない。ここで水を得た魚のごとくやりたい放題しては、それこそ婚約破棄だとかいう騒動に発展しかねない。

 ふと、気づいてしまった。もしかして、婚約破棄を目指すというのは決して悪くはないのではないだろうか。何しろ、アヴァロン殿下は妃であるはずのわたしのところに顔も見せに来ない。初夜だって現れなかった。わたしの顔さえ覚えていない。結婚式だって次期国王であろう彼の正妃のものにしては形式的すぎる。

 ひょっとしたら、意中のお相手がいらっしゃるとか?精霊のいたずらを身に受けたわたしを、何を思って妃にしようと決めたのかはわからないけれど、仕方なくそうしたというところなのだろう。例えば占いとか、国王陛下がそう決めていた、とか?魔法を使っちゃいけない王族に取り込むのに、精霊のいたずらという、精霊に対価のお菓子をしっかり払わずに嫌われていると受け取れる傷を負っているわたしは、都合がよかったのかもしれない。

 まあ、そんなことはどうでもいい。最近アヴァロン殿下のことで無駄に頭を悩ませているし、少しはリフレッシュさせてほしいものだ。本当に、どうしてこんなに彼のことで悩まなければならないのか、理解に苦しむ。

「それじゃあ行きましょうか!」

「え、あ、待ってください!どうして私たちは腕を絡めているのでしょうか!?」

「それはもちろん、フィナンがわたしの抱き枕だからよ」

「だっ……ってお昼寝するわけではありませんよ」

「フィナンの声で『お昼寝』って言うの、なんだかかわいいわね。こう、響きがすてきよ」

「ええと、恥ずかしいお褒めの言葉をありがとうございます」

「その羞恥を隠そうと必死な顔もいいわよ」

「ありがとうございます!」

 やっけぱちに叫ぶフィナンの顔は真っ赤。心なしか目元がうるんでいて、そわそわと落ち着かなさげに瞳を動かす。

 それにしても、抱き枕っていうところにはもう反論しないのね。最近では彼女の腕を抱きしめて布団に連れ込むこともあるから、慣れてしまったのかもしれない。別にやましいことはない。ただ、時々無性に人肌のぬくもりが欲しくなるだけなのだ。

 王城は伏魔殿だ。権謀術数が渦巻くそこで孤独でいるというのは、ひどく怖いしつらい。あるいは、実家で暮らしていたころ、時々気づけばベッドに入り込んでいたお兄さまの熱を感じているのがすっかり当たり前になってしまっているのかもしれない。

 その刷り込みに少しだけ恐怖を覚え、きっと気のせいだと自分に言い聞かせる。

「どうかしましたか?」

「何もないわ。さ、行きましょう!」

 フィナンの腕に胸を押し付けるようにして抱き、わたしは王都を歩いていく。あわあわと唇を震わせる羞恥フィナンは眼福だった。

 今日は変装して平民の装いになって外出中。それ自体は問題ないし、わたしだってそれなりに普通に町に足を運んでいるのだから構わないのだけれど、こうして街を歩くわたしたちで、フィナンの方がわたしより隠し切れない気品を感じる気がするのは気のせいだろうか。

 集まる男や、通りすがりの衛兵の視線が向かう数や頻度、それから時間を考えると、間違いなくフィナンが高貴な身分で、わたしがその無茶ぶりのために決してお嬢様を見逃さないようにと命令された使用人、といったように思われているのだろう。

 確かに、それも間違いではない。フィナンは子爵家令嬢、それも話に聞く限り、かなり裕福な家の生まれらしい。まあ、子爵令嬢ながらに王城に娘を行儀見習いとして放り込める伝手やら財力やらがあるのだから、それも当然だろう。田舎の貧乏貴族家の生まれであるわたしには、たとえ逆立ちしても王城で使用人として働く未来を勝ち取るなんてことは難しい。そんなものに興味もないけれど。

 これでも、一応使用人としてやっていけるくらいの力はあるのだ。お茶会のセッティングくらいはできる。まぁ、貴族家の派閥だとか対立だとか、組み合わせによって呼んでいい悪いなんて言うのはさっぱりわからないし興味もわかないから、やっぱりわたしは令嬢として落第なのだろう。

 正直、別にそれでよかった。まっとうな令嬢として生きられるとは思っていなかったし、そんな窮屈な生き方は嫌だった。狩りができて、できれば結婚してからも続けられればという願望は、結局今の結婚生活ではかなっているわけだし、だとすればこのまま生活を続けてもいいのかもしれない。

「そういえば、今日はどこか目的地があるのでしょうか?」

「甘味の調達よ」

「甘味……とおっしゃいますと、もしや」

 ぴと、とフィナンの唇に人差し指を当ててニッコリ笑う。あまり食べているところを見せていない甘味を何に使うのか、気づいてしまったらしいフィナンの口止めを試みる。

「それ以上は言っちゃダメよ?」

「は、はい」

「一応禁止だもの。実にばかげていると思うけれどね。他国に嫁ぐ王族が殺傷事件を起こさないように、っていう理由は分からなくもないけれど。それにしたってわたしに限っては何の意味もないのに」

 時々こうした意味不明なルールというのが存在する。例えば、貴族はその領内においてある程度の独裁権を有しており、例えば独自に法律を設けることができる。そんなわけでレティスティア男爵領にも一応領法規が存在するのだけれど、これがまた意味不明な内容が混じっていて、けれど変えるのも手間で実効があるわけでもないので放置されている。

 例えば、一日に五個以上のパイを食べるのは禁止。これはかつてレティスティア男爵令嬢が大食いて、食べすぎて太ってしまい、しかも彼女の大食いが領内に感染症のごとく広まってしまったことが理由なのだという。けれどその令嬢がいたのも昔のこと。今では相対的極貧と呼んで差し支えない我が家の財政に、一日に五個もパイを食べるような生活を続ける財力はなかったし、それを実行しようとする村人もいなかった。まあ、わたしがお兄さまに頼めばパイの調達や資金繰りも――どうだろう?わたしが美しくなくなるのは耐えられないと泣き叫ぶか、包容力のある女性になったクローディアも素敵だと本気を出すか。

 まあ、お兄さまのことは今、どうでもいい。ついでにおかしなルールの話も、どうでもいい。わたしが何を考えたところで、お兄さまも国のルールも、変えることなんてできないのだから。

 この二つを並べるのがおかしいという反論は聞かない。わたしにとっては同じくらいの難題なのだから。

「ここね、行きましょうか」

 目的の店にたどり着き、わたしはフィナンの腕をぎゅっと抱き寄せ、意気揚々と店に入った。

 フィナンの方から、「あわわわ」だとか「はうっ」だとか「やわらかい……」だとかいろいろと聞こえてきた気がするけれど、すべて黙殺した。


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