14問答
使用人が発狂したら夫である王子様がやってきました。……さて、この状況でわたしはどうするべきだろうか。
いくら頭をひねっても答えは出ず、とりあえずわたしは紅茶を置くことにした。
カチリと、やけに大きな音がたった。指なし手袋をしている上に、手がしびれていては仕方がないかもしれないけれど、少し恥ずかしい。
わたしももう、心の中では王族になりつつあるということだろうか。
殿下がわずかに顔をゆがめる。ひどく葛藤している。
殿下は一人で百面相をしていた。まるで必死に現実に折り合いをつけているよう。
その目は、わたしから離れない。ただじっと、わたしの顔を見ていた。
「……殿下、わたしの顔に何かついていますか?」
「あ、いや。何もついてはいない」
じゃあどうして穴が開くほど見つめてくるのか。問いかけたい思いはあったけれど、今は彼女のことを優先しようと思う。
椅子から立ち上がろうとして、体が揺れた。慌ててテーブルに手を突けば、乗っていたカップが音を立て、天板に琥珀色の飛沫が飛んだ。
「……おっと?」
膝から崩れ落ちるように地面に足をつけて、倒れる女性へと手を伸ばす。
彼女の頭部はポッコリと腫れていた。のけぞるようにして後頭部から倒れたのだから仕方がない。
「どういう状況だ?」
「……いろいろあったというだけです」
いつの間にか側に来ていた殿下がわたしを見下ろしていた。その目には、気のせいでなければわたしへの関心があった。熱があった。
そもそも殿下は、わたしが誰だか気づいているのだろうか。少なくとも妻を前にした反応ではないと思う。
さて、そんなことよりもこの状況をどう話すか。意識を失った使用人の頭を膝の上に乗せながら必死に考えるわたしをよそに、殿下はテーブルの上にある紅茶へと顔を近づけていた。
「あ、飲んではいけません」
「……ああ、やはり毒か。麻痺系だな」
においで分かったのだろうか?確かにこの毒草は少しだけ刺激臭がする。だからわたしは飲む前に気づけた。
つまり、わたしの使用人の中で最も立場が低い彼女は、命令されてわたしに毒を盛ったということ。
「……その使用人は、よほど毒に耐性がないのか?この程度の毒で失神するか?……今すぐに応急処置がいるか」
毒を飲んで倒れていると思ったのだろうか?まあ、一見そう見えるし、そう考えるのが最も自然だろう。
「いえ、その必要はありませんよ」
「なぜだ?使用人の命など関係ないということか?」
「え?いえ、そうではなく、そもそもこの子はそれを飲んではいませんから」
「…………ではなぜそいつは倒れている?」
苦虫を噛み潰したような顔で尋ねてくる。
それよりも、わたしに対するあたりが強すぎないだろうか。わたしは「使用人なんて人間じゃない」とか思ったりするような傲慢な女性ではないつもりだ。そもそもこの使用人のほうがわたしより立場が上だったはずなのだし。
思わずため息が漏れた。ぴくりと殿下の眉が揺れる。視線が痛い。
コホンと咳払いした殿下が汚れることをいとわずに地面に膝をつける。這うように伸びた手が使用人の首に触れる。心配しないでも別に毒を飲んではいないのだが。
「無事か……もう一度聞くが、何があった?」
「そうですね、わたしが毒入りの紅茶を飲んだら彼女が失神しました」
「っ……どういうことだ?」
さすがにこれではわからないか。現場を押さえられてしまったわけだし、言い逃れは難しそうだった。だとすれば、どうやってこの子の罪をなくすかを考えるべきかもしれない。
……この子、という表現は不適当だろうけれど。そういえば名前は何だっただろうか。
「まず、わたしはその紅茶に毒が入っていることを知っていました。そして、それはこの子も同じです」
「互いに毒入りだと知っていた……知っていて、この使用人はお前に飲ませたのか?」
「ちょ、殺気を収めて下さい」
「……続けろ」
ええ?どうしてそう不機嫌なの?おかげでわたしの膝の上で使用人が泡を吹いている。まあ魔物と対峙した恐怖がそよ風のように思えるほどの殺気をあてられたのだから仕方ないかもしれない。わたしも、毒とは別で少し体が震えている。
「紅茶の毒は、おそらくは彼女が入れました。……強制されてのことでしょうけれど」
「……身分か。使用人が使用人を使うとは、世も末だな。こんな奴らがはびこっているわけか」
「身分というのは絶対ですからね。わたしも王族の方に命令されれば口答えの一つもなく唯々諾々と従うしかありませんから」
「誰が命令した?お前を縛っている存在がいるというのか!?」
「ッ、あなたがそれを言うのですかっ!?」
思わず声を荒らげてしまった。
言ってから後悔した。目の前の男は、この国の王子なのだ。
アヴァロン殿下の前で、私は吹けば飛ぶような存在なのだ。
でも、言わずにはいられなかった。あなたが、お前が、それを言うのかと。
わたしだけは、それを言わなければならなかった。
「わたしにこの人生を強いたあなたが、それを言うのですか!?」
殿下は答えない。ただ驚愕をもって、わたしの顔を見ていた。
ここにきてようやく、わたしは確信した。
アヴァロン殿下は、目の前のわたしが誰か、気づいていない。
自分の妻の顔を、彼は覚えていなかった。




