13再会
心地よい秋風が庭園を吹き抜ける。どこか気品のある花々の香りが鼻腔をくすぐる。
秋の花は春とは違ってただ甘かったり可愛らしかったりするのではなく、そこに高貴さを感じられるから好きだ。好きというよりは面白いと表現するのが適切かもしれない。
白亜のガゼボから眺める王城の庭園は絶景の一言だった。時折行きかう豪華絢爛とした馬車もまたいいアクセントになっていた。まるで絵の中の世界に入り込んでしまったみたいな不思議な感覚がした。
雲一つない快晴の空の下、わたしは手の中にある紅茶を揺らしながらお茶を楽しんでいた。
うん、そろそろ意地悪をするのはやめてもいいかもしれない。さすがにちょっと心配になってきた。
「ねぇ」
「っ、は、はいぃ!」
肩をびくりと揺らした使用人の女性が、喉を絞められた鳥のようにおかしな声で鳴いた。ああ、鶏肉が食べたくなってきた……じゃなくて。
「心当たりは、あるわよね?」
蒼白だった顔が土気色に染まっていく。別に責めるつもりはないけれど、今のは彼女にとって死刑宣告のように聞こえたかもしれない。少しだけ反省した。
わたしの視線の先にいるのは、王子妃付きとなった使用人の中でも比較的若く、かつ実家の爵位が低い女性だった。年はわたしと同じ十六。そう、何を隠そうわたしはつい先日誕生日を迎えて十六歳になった。ちなみに、もちろん王子殿下からは祝いの言葉の一つもなかった。
家族とアマーリエをはじめとする友人からお祝いの手紙が来たからいいけれど。
お父さまの手紙に書かれていた「お兄さま乱心」の一報は見なかったことにした。ま、まあ仕方ないよね。わたしを溺愛していたお兄さまが、真っ当な挙式もなくわたしが気づけば「氷の王子」の妻になっていたと知ったら、それはもう取り乱すだろう。
脳裏に、必死にお兄さまを止めるお父さまとお母さまの姿がありありと浮かんだ。
ごめんなさい、お父さま、お母さま。面倒だからとお兄さまに手紙の一つも送らなかったダメな娘を許してください。
……それにしても、王都にいたはずのお兄さまがどうして領地に戻っているのだろうか?まだ領地に戻るようなタイミングではないと思うのだけれど?
「……た、大変申し訳ありませんでしたぁッ!こ、この罰は、いかようにも……ですからどうか、どうか、両親や妹は見逃してください!」
気づけば土下座して額を地面にこすりつけた使用人が、涙声でつかえながら許しを請う。
「まあいいわよ。どうせあの性悪たちに命令されたんでしょう?……あら、おいしい」
顔を上げた少女は紅茶に口をつけるわたしを見て、今度こそ声にならない悲鳴を上げて――ひっくり返って気を失った。
わずかな舌のしびれを感じながら、わたしはさてどうしたものかと視線を巡らせて――
「え?」
「ん?」
悲鳴を聞きつけたらしい、庭園の陰から滑るよう現れた人物と目が合った。
さらりと揺れる銀髪が美しい彼の名前はアヴァロン・ルクセント。この国の王子様であり、わたしの夫である男がそこにいた。
◇
エインと別れてすぐに王城へと戻った私は、さっそくスミレの乙女の捜索を始めた。
エインは、確信をもって「スミレの乙女」が王城にいると話していた。
あれだけ自信を持っていたのだ。おそらくは、エインはスミレの乙女に会ったことがあるのだろう。だとすれば探すべきはエインがよく訪れる場所を中心にする必要がある。
そう考えて私が最初に向かったのは王城の庭園だった。何十名もの庭師を雇用して常に美しさを保つ庭は、エインのお気に入りの場所だ。
正確にはエインの婚約者が気に入っている。だからあいつは、王城に足を運べる機会があると必ずここへ来る。婚約者と一緒でなくても、予習のために足を運ぶほどだ。そのマメさが少しはほかのところでも役に立たないだろうか。
気づけば秋の装いに変化していた庭園は非常に目に優しい。だが、そこにあるのは徹底的に管理された人工の緑だ。
美しいことには美しいのだが、精霊に見放された土地をはじめとする壮大な自然に見慣れていると、作り物の楽園は時折ひどく陳腐なものに見える。
咲き誇る花々は、まるで脳みそがあるかも定かではない無能な貴族たちのようだ。美しさを求めて品種改良を続けられて見た目は美しくなったものの、その代わりに大切な中身を置いてきてしまった花々。……この国の貴族も、もう少し賢くあることはできないのだろうか。
一部の者は優秀なのだが、平均以下が多すぎる。
精霊に守られているという安心感が、この国を弱くしている。
強く風が吹く。パーティーの度に私にすり寄ってくる貴族令嬢のように、むせ返るような濃いにおいに思わず顔がゆがんだ。最近どうにも表情を作れない。
ぐるりと視線を巡らす。気品を感じさせる竜胆や桔梗、真っ白な菊、零れ落ちそうなほどに花弁を広げるダリア、無数に咲き誇るサフランやコスモスの絨毯、大輪のバラ、陽光を透かしてきらめく金木犀。
確かに美しいとは思う。だが、それが心に響くかと言われれば否と答えるしかない。
――花がきれいかどうかは重要ないよ。大事なのは誰と花を見るかだね。
小馬鹿にしたようなエインの声が聞こえた気がした。揺れる花々から視線を振り切って別の場所に向かおうとして。
大きな悲鳴が聞こえた。まだ年若い女性のものだ。
とっさに体が動いた。向こうには確かガゼボがあったか――
そう思いながら薔薇棚を回り込んで。
そこで思考のすべてが吹き飛んだ。
「え?」
「ん?」
カップに口をつけたまま動きを止めた女性と目が合った。黄金を糸にしたようなまばゆい輝きを秘めた髪と、先ほど見た竜胆のような色合いのドレスが秋風に吹かれて揺れる。
だが、そんなものは些末なものだった。私の視線はただ一点、彼女の瞳に向けられていた。
大きく、瞬かれる双眸。
――スミレのような淡い紫の瞳が、じっと私のことを見つめていた。




