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ほどなくして馬車は王宮へと入った。
ずらりと並ぶ王宮の使用人に出迎えられると、殿下自ら用意された部屋へと案内してくれる。用意されたのは殿下と続きの部屋。すでに王太子妃のために用意された部屋だ。内装の雰囲気は落ち着いたもので、以前一度訪れたことのある王妃様の部屋とよく似ている。
部屋の中へと私を導きながら、殿下が言う。
「あなたの好みがわからなかったため、一先ず王妃の部屋を参考にしてしまった。今後あなたの好みに、好きに変えてもらってかまわない。一先ずしばらくはこの部屋で我慢してほしい。」
殿下は申し訳なさそうにそう告げたが、私としてはこの雰囲気も好きだしとても満足だ。
「お気遣いいただきありがとうございます。私はこのお部屋とても気に入りましたわ。落ち着いて過ごせます。」
そう笑顔で伝えると、殿下は安心したように微笑みを浮かべた。
「疲れているところ悪いが、この後すぐに陛下に謁見する必要がある。申し訳ないが用意が出来次第、私といっしょに来て欲しい。」
「かしこまりました。」
笑顔でそう答えると殿下は部屋を去っていった。
侍女たちに支度をされながら部屋を見回す。ひと月しかなかったにも関わらず細部までよく整えられている。
視界の端に殿下の部屋へと続く扉が見える。おそらく以前は聖女様がこの部屋を使っていたのだろう。漫画の中で背景に描かれていたものをぼんやり思い浮かべてみる。しかし浮かぶ光景は、この部屋とは全く違う雰囲気のものだった。おそらく家具や壁紙なども全て入れ替えたのだろう。
そのまま元の部屋をあてがわれても私は全く気にしなかっただろうが、なんだかその心遣いが単純に嬉しく感じた。
*****
私の支度が終わるとともに、部屋のドアがノックされる。侍女が迎えると正装姿の殿下が待ち受けていた。
いつ見ても麗しいが、正装姿で佇む殿下の姿はまさに品行方正、「王子の中の王子」という姿だ。
「急がせてしまってすまなかった。とても美しくて見惚れてしまうほどだ。」
実際は全くそう思ってなさそうだが、さすが女性への褒め言葉を欠かさない。
「ありがとうございます。殿下もとても素晴らしいですわ。」
こんなことで頬を染めていられない。出来る限り平常心を心がけて、差し出された手に手を添える。
そのまま謁見室へと向かうと、そこには陛下だけでなく王妃殿下と第二王子殿下も待ち受けていた。
フィリップ殿下と共に口上の挨拶を述べる。
陛下は終始ご機嫌な様子で、婚約についても想像以上に好意的な様子だった。王妃殿下も同じだ。第二王子殿下は、その場では何も口に出さず不敵に微笑んでいる。
後日晩餐の場を設けてゆっくり話をと言われ、謁見の場を後にする。
陛下や王妃殿下との謁見は以前にも何度かあったが、やはり久々の場は緊張する。一先ず問題なく陛下から婚約の許可が得られ、ほっと息を吐いた。
殿下もそれは同じようで、少し気の抜けた表情でお茶でもどうかと誘いを受ける。それに返答しようと口を開くと、遠くから殿下の侍従が駆け寄ってくるのが見えた。
「お話し中に誠に申し訳ありません。レイシア様、初めてご挨拶申し上げます。私、フィリップ殿下の従者を務めさせていただいております、ジェイクと申します。ルズベリー侯爵家の者です。」
丁寧な挨拶を受ける。
「チェスター侯爵家長女のレイシアと申します。ジェイク様、よろしくお願いいたします。」
こちらも丁寧な礼で返す。
挨拶を交わすと、急ぎの用なのか、ジェイク様は申し訳なさそうにしながらも、殿下の耳元で二言三言言葉を告げる。
「すまない。急ぎで対処しなければならない仕事が発生したらしい。お茶でもしながら話をと思ったが、私はこのまま執務室に向かわなければならない。護衛をつけるので、申し訳ないが一人で部屋まで戻ってもらえるか。また晩餐の前に立ち寄らせてほしい。」
「かしこまりました。私のことは気にせずお急ぎください。」
殿下は休む暇なく、次から次へと忙しいようだ。こちらのことは気にしないよう告げると、済まないといった様子でその場を後にする。
思わずふぅとため息が漏れる。こういうときは下手に寄り道をすると、とんでもない面倒事に出会うことが多い。さっさと部屋に向かおうと振り返り、フィリップ殿下が向かったのとは逆の方へと足を向ける。
すると、なんと向こうから第二王子殿下がこちらに歩いてくるのが見える。
(―――しまった!待ち伏せされていたわね……。)
いずれ出くわすことは想定済みだったが、ここまで動きが早いとは。今日はもうくたくただ。できればここで一ラウンドは避けたいところではあるが……。
「ごきげんよう、第二王子殿下。」
丁寧な礼を取り、挨拶を交わす。
「やあ、レイシア嬢だけかい。てっきりまだ兄といっしょかと思っていたが。ああ、急ぎの仕事で執務室に向かったのかな。最近特に忙しいようだから。兄もいないんじゃ、晩餐まで時間を持て余してしまうでしょう。良かったらこの後庭園でお茶でもいかがですか。」
なんとなめらかなお茶へのお誘いだろうか。
思わず遠い目をしてしまう。これはフィリップ殿下の急ぎの用というのもこの人の策略か。
断る……こともできなくはないが、ここまで直球の王族の誘いを断るのもまずい。それに今断っても話をするまでずっとこのようなお誘いは耐えないだろう。だったらいっそ―――
「殿下。お誘いいただいてありがとうございます。ぜひごいっしょさせてくださいませ。」
思い切って乗ってみるか。ここで片付けば僥倖だ。