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当然のことだが、求婚を承諾したからといってすぐに領地を発つわけにはいかない。
まずは領主である父に婚約の承認をと、殿下はベッドに伏せる父のもとへと一人で向かった。いっしょに行かなくて良いのか疑問に感じたが、どうやら陛下からの伝言もあるらしい。下手に触れずに父に対応を任せるしかないだろう。この数ヶ月の間で父も会話をするには問題ないくらいに回復している。
いきなりのことに話し合いは少し時間がかかるかと、応接室で侍女たちと晩餐の支度の相談をしていると、数刻もたたず殿下が戻ってきた。
「侯爵からも婚約の了承は得られたよ。今は王家の公証人と書類の確認をしているところだ。」
(はやっ!)
あまりの手際の良さに思わず心の中でつっこんでしまったが、それは表情に出せず、殿下を部屋に迎える。
「ずいぶん早くお話がまとまって良かったですわ。晩餐をご用意しようかと思っていたのですが、まだ時間が少々かかるようで……いかがいたしますか。」
殿下は用は済んだとばかりの爽やかな笑顔で、
「今日は急な訪れであったし、すぐに陛下に報告もしたい。これで失礼するよ。」
その言葉に心の中でほっと息を吐く。
「すぐに医師と代理人を送るので、領地に関する引継ぎを始めて欲しい。そうだな……急で申し訳ないがひと月後には王宮に来て欲しい。急がせてしまって申し訳ないが……。」
それくらいは想定内だ。
「かしこまりました。滞りのないよう努めます。」
すぐにそう答えると、殿下は少し安堵した様子で
「ひと月後に迎えに来る。」
そう言い残し、早々に王宮へと帰っていった。
*****
それからの日々は予想していたとは言え、大忙しの毎日だった。王宮からの医師と代理人は数日後には領地の侯爵邸に到着し、領地管理の引継ぎの毎日となった。さすが王宮から派遣されたとあって、とても優秀で信頼のおける人物のようだ。新しい医師の処方した薬は父の病状によく合っていたようで、数週間もすると、父も少しずつ領地運営に関わるようになり、量は膨大であるものの比較的引継ぎはスムーズに進んでいった。
しかし問題は別のところにあった。
この婚約を一人後から知った我が弟だ。
殿下との婚約により、私が領地を離れると知った弟がすっかり拗ねてしまったのだ。しかもそれがやんわりと自分の将来のためだということを知ってしまったようで、すっかり塞ぎ込んでしまった。弟が部屋から出てくるよう説得するのに、一番時間を費やしたともいえない。
*****
あっという間に約束のひと月は経ち、王都に旅立つ日となった。
ベッドの上だけの生活を終え、少しであれば庭との行き来も出来るようになった父と、このひと月四六時中別れを惜しんですっかり姉っこになってしまった弟に見送られ、王家の迎えの馬車を待つ。
「姉さま、本当に行ってしまうんですね……。寂しいですが、僕絶対お勉強がんばります!」
涙目になった健気な弟は私にしがみつきながら別れを惜しんでくれる。
「本当にお前には苦労ばかりかけた。今回のことも……。何かあれば必ず連絡しなさい。」
このひと月何か言いたげにしては、言葉を濁していた父は最後に私にそう告げた。
「お父様、大丈夫ですわ。侯爵家の名に傷をつけぬよう努めます。」
しばらく疎遠となっていた王宮での生活を心配しているのかと思い、笑顔でそう父に告げるも、
「いや、そうでなくて……お前は王家について知らないこともあるから……まあでも王太子殿下であれば大丈夫だろうか……。」
不安な顔を続ける父に詳しく話を聞こうとした途端、遠くから蹄の音が聞こえ、話は立ち消えになってしまった。
決して華美ではないが荘厳とした美しい馬車が目の前に止まる。扉が開いたその先から出てきたのは、ひと月前に訪れたときよりさらに華やかな装いをした王太子殿下だ。
「待たせてしまってすまなかったね。急なスケジュールで心配だったが、元気そうな姿が見られて良かった。」
以前と変わらぬ爽やかで気品に溢れた笑顔でこちらに微笑んでくる。うん、どうやら問題に目処がついたことで、以前お会いした時よりすっきりした表情になっている。
「お気遣いいただきありがとうございます。殿下のおかげで滞りなく支度も済みました。」
丁寧な礼を取りそれに答える。
父と弟も横で腰を折っている。
「どうかそんなにかしこまらないでくれ。これからはともに王家の一員になるのだから。侯爵と弟君も楽にしてくれ。」
殿下の言葉で皆顔を上げる。
「早速で申し訳ないが、時間に限りがあるので出発しようと思う。侯爵、今後についてはまた伝令を送るのでよろしく頼む。」
「かしこまりました、殿下。」
お父さまは静かに答える。
「お姉さま……。」
すぐの出立と知り、弟は名残惜しそうにこちらを見てくる。
「必ず手紙を出すからね。お勉強や領地のことたくさん教えてちょうだい。お父さまもお体に気をつけて。」
父と弟にそう告げ、馬車へと乗り込む。向かいには当然のように殿下が乗り込んでくる。
「出立の時まで急がせて申し訳ない。」
いささか性急な旅立ちに、殿下は申し訳なさそうな様子だ。
「いえ。お忙しいので当然のことと存じております。それにも関わらず殿下に直接来ていただき光栄です。」
静かに微笑んで答えると、安堵した様子の殿下が合図を出し、馬車が動き出す。
さてこれから王宮生活が始まるのか。4年ぶりの王宮だ。気合いを入れなければ。