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実は、私は数年前まで王太子妃候補として、他の候補者と共に王宮で妃教育を受けていた。
王都から少々離れた領地ではあるものの、広大な土地を持ち、長く続く名家といえる侯爵家の令嬢となればそれも当然のことである。
最終的には例の公爵令嬢が正式な婚約者となり、王宮に集まった令嬢たちは解散。他の候補者の令嬢たちも各々婚約者が見つかった。
しかしいざ私の婚約者探しをというところで、我が家に突然の不幸が襲った。父が病に倒れたのだ。
弟を生んだ後、元々体の弱かった母はまもなく亡くなっており、後継者である弟はまだ幼い。
私が領地運営を担うしかなかった。正直婚約者探しどころではない。
それでもまだ初めのうちは王都の屋敷に留まり、学園に通い社交を行う余裕はあった。ベッドに伏せてはいるが父からの助言はあったし、なりより長年領地運営を補佐してくれていた執事と協力しながら、遠方からでも領地の管理を行うことができたからだ。
しかし今から一年ほど前。学園を卒業し、ちょうど王太子と聖女の婚約が成立した頃だ。
我が家に最悪の事態が発覚する。
長年信頼していた執事の横領が発覚したのだ。まだ領地運営に大きな影響が出る段階ではなかったが、ただの主従関係だけでなく長年の友のように信頼を寄せていた執事の裏切りに、父は伏せることが多くなった。そして父の助言を当てに出来ぬまま、執事の担っていた仕事が全て私にのしかかってきたのだ。
そこからは寝る間もおしみ、執事の処分を決め、一人領地運営を学び、横領の補填に追われて領地に引きこもり、社交も何もする暇がなかった。
そのため聖女失踪の大事件も知らなかった。まあそもそも新たに婚姻を打診するような高位貴族にしか、その事実は知らされていなかっただろうが。
*****
全てを悟ったような顔をした私を、まっすぐ見据えながら殿下は言う。
「そなたは妃教育の間も誰に対しても平等に接していた。それは私に対しても、だ。そなたは王妃の役目を誰よりも明確にこなせると思っている。」
少し張り詰めた表情で、殿下は目を逸らして話を続けた。
「私はもう愛だの恋だのは信じない。信じたくもない。
私と契約してほしい。君には王妃の役割を。その代わり私からは君の家への最大限の支援を。
信頼できる優秀な領地代理人と弟君への教育の支援。そして侯爵への医師の派遣。王宮の医官を常駐させよう。もちろん侯爵家の医師が優秀なのは承知だが、王宮の医官であれば最新の医療を受けることもできる。
他にも君が欲するものがあれば可能な限り叶えよう。愛情以外では、になるが。」
殿下はとりわけ最後の言葉を伝える際はひたすら申し訳ないといった表情をしていた。
まあ普通に考えれば、最初から「お前を愛することはない。条件が合うだけ。」というような言い分を聞けば、普通の令嬢たちは不愉快に感じるだろう。殿下に本気で恋心を持つ者ならば泣き喚くかもしれない。
しかし私としては愛とか恋とか、わりとどうでもいい。
ここが漫画の世界だと気づいた時点で、王太子との恋愛なんて全く微塵も考えていなかったし、前世はそこそこ恋愛経験もあったアラサーOLだった。前世ではいわゆるダメンズと言われる男性とのつきあいばかりで、正直恋愛はもう勘弁と思っていたところだった。
まあ前世は前世と考えているし、政略結婚は当たり前の世界とも思っているから、誰それと結婚しろといわれれば大人しく「はい」と答えるほどには、貴族としての考えがこの世界に生まれ育ったことで染み付いている。
そう考えれば殿下からの申し出はこの上ないほどの求婚の条件だろう。とうにまともな結婚は諦め、弟の爵位継承後は、領地で独り身のほほん平民生活を送らせてもらえないかと考えていたが、弟や侯爵家の評判を考えればそれはまずいかなとも思っていた。
頭の中でそんな不謹慎なことを考えていたとは悟られぬよう、できるだけ気品ある微笑みを浮かべる。まっすぐに殿下を見据え笑顔で答えた。
「そのお申し出、私でよろしければ喜んでお受けいたします。」