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あれから1年以上―――
とうに王太子殿下と聖女様は成婚していると思っていた。
「聖女との婚姻は……つい先日破談となった。」
わずかに顔をゆがませた王子が答える。
「聖女は半年前突然手紙だけを残し失踪した。影であるダンと故郷の町に向かうとそこには残されていたが、捜索隊を出したところ、その後国境を越えたところで行方がわからなくなりそのままだ。」
王子の発言に私は思わず固まってしまう。
(まさかのIf世界か!)
実はあの漫画には数人のヒーロー候補がいたが、その中でも二大ヒーローがいた。
一人はもちろん目の前の王太子。
そしてもう一人は王家の影であり、またヒロインの幼馴染でもあるダンという青年だ。ダンは幼少からヒロインと共に港町で過ごしてきた幼馴染だ。ある日王宮から迎えが来たヒロインを追いかけるようにして、影の従者として王宮に入る。なぜいきなりただの平民である青年が影のような特殊な職務に就けたかは謎である。
旅の中で王太子はヒロインの隣で、影はヒロインの見えないところで、互いにヒロインを支え困難を乗り越えていくのだ。
影である幼馴染ヒーローは無口でクールなキャラだったが、どんなときでもヒロインの味方であり、その献身的な姿から読者人気も高かった。
漫画の最後では、ヒロインは王太子と結ばれ、幼馴染押しの読者は涙をのんだが、漫画が完結した後の単行本のおまけにifストーリーが載せられたのだ。それは数ページの清書もされていないラフ画で書かれたもの。
―――その日も王太子妃教育を終えたヒロインは窓辺で月を見ながら休息の時を過ごす。
仲間と旅をし、同じように月を見ていた日々を思い出し懐かしんでいた。
辛く悲しいこともあったが、それ以上に喜びや驚きに溢れた日々だった。
そして何より自由であったと。
そこに突然幼馴染で王家の影でもあるダンが窓辺に降り立つ。
2人で会うのは久しぶりのことだ。
驚き喜ぶヒロインに対し、彼はいつもと変わらぬ無表情で一言告げる。
「ここを去る」と。
先ほどと打って変わって驚きに涙を浮かべるヒロイン。
ダンは続けて話す。
「故郷の町が危ない。自分が行って必ずみんなは守る。どうか幸せに。」
そう言って静かな笑顔を向ける彼を見て、ヒロインは何かを決意する。
「私も行く……!私が行けば必ず助けになれる。私が行くべきよ。」
ダンは一瞬躊躇を見せるが、ヒロインの手を取り、二人は微笑みあって窓から旅立っていく―――という話だ。
現実なら、「いやいやどんな緊急事態が町で起こったの?」「まず陛下か王太子殿下に知らせたら?」「次期王太子妃がいきなり消えたら大騒ぎだよね?」といった疑問は絶えないが、そこは10年以上前の子供向け少女漫画だ。
そのストーリーを読んだ幼き日の私は、何の疑問も持たず、「影も幸せになれる未来があるんだな」とほのぼの思ったくらいだった。
*****
そのifストーリーがこの世界の現実となるとは。
王太子の婚約者かつ聖女が突然いなくなったのだ。王宮は大騒ぎだっただろう。殿下の話を聞く限り、一応書置きはあったようだが、それがあったからといって何も解決する話ではない。ようするに駆け落ちのようなものだ。
しかも国境を越えたとなれば捜索は難しいものになる。
「それからも捜索は続けた。しかし半年経っても何の情報もなく、二人はもう戻らないだろうと結論付けられた。私の新しい婚約者が検討されることになったが、王都にはもうその座にふさわしい貴族女性がいなかったのだ。」
以前の婚約者はもう婚姻済みであるだろうし、他の令嬢も適齢期の高位貴族の娘はすでに婚約済みか婚姻済みだろう。
「加えて王太子妃教育は膨大な量がある。王太子の婚姻は20歳になる年に行われるのが慣例だ。並大抵の地位の令嬢では、この短期間で全てを習得するのは不可能だ。」
殿下は苦しげに眉を寄せながら言う。
「さらに悪手なことに、母上が第二王子の婚約者を私の妃にしてはと言い出した……。」
第二王子殿下の顔を思い浮かべる。
最後に会ったのは学園の卒業パーティーだろうか。
我々と二つしか歳の変わらない第二王子殿下は、その歳のわりには幼い中性的な顔立ちをした柔らかい雰囲気の持ち主だ。まあ話してみるとなかなかの毒舌野郎なのだが。
幼少期からの婚約者との仲は、周知の如くとても良好だった。
王子のため漫画でもヒーロー候補の一人かと思われたが、ヒロインにマナーや立ち振る舞いのことでつっかかるお邪魔キャラのようなものだった。
そんな回想をしている私をそのままに、殿下は話を続ける。
「第二王子は婚約者を愛している。本当に深く、恐ろしいほどに……。もし彼女が本当に私の婚約者になるようなことになれば内乱が起こるだろう。それだけは避けなければ……!」
(内乱だと!)
不穏な言葉に、回想から一気に頭が現実に引き戻される。
(あんな可愛い顔して第二王子殿下はそんな熱烈な……前世風にいえば若干ヤンデレというか……)
確かに思い返せばその片鱗があったような気もする。平和な少女漫画の世界だと思っていたからさほど気にとめていなかった。
不穏な言葉を聞き、顔が強張る私を見て、殿下は少し戸惑いながら話を続ける。
「王妃に、母に悪気はないのだ。母は弟がそこまで婚約者に心頭しているとは思っていない。誰の目に見ても分かるほど大切にはしているが、その想いはいつまでも幼い頃のまま、家族愛に似たものだと思っているのだろう。」
王妃殿下の顔を浮かべる。確かにあの方に悪意は全くなさそうだ。というか、かの方はとてものんびり穏やかな性質で、まあ言ってしまえば天然な方なのだ。
すでに婚約者のいた王太子がすんなり聖女様と婚約できたのも、民からの声もあるが、王妃殿下が聖女様を気に入ったのも大きい。
王は王妃にとても甘い。これは事実であるが、彼女があくまで善人であって、これまで国政に悪影響を与えることなどしてこなかったため、それを咎める者もいなかった。
殿下は静かに続ける。
「確かに過去にも第二王子の婚約者が王太子妃に繰り上がりしたことはある。しかしそれはあくまで政治的な面を重視してのことだ。今の弟にその理屈は通用しない。なんとしてもその事態を避けるため、私は陛下と王妃にすでに妃にしたいと考えている人物がいると言うしかなかった。」
なるほど。
だが実際に妃に、と望んでいる者はいない。しかし妃になることのできる人物には思い至ったわけか。
それが私だ。