39 フィリップside
「フィリップ殿下。そろそろ休憩なさってはいかがですか?」
決裁の終わった書類を抱えたジェイクに声を掛けられる。
疲れがたまっているのは自分自身でも実感している。あの夜会以降、考えるべき問題がさらに山積みとなったからだ。
手元の書類に目を移す。
サハラ国で発生した災害。その後のサハラ国の調査で、その発生位置が正確にわかった。事前にセルジオ殿下が話していたように、サハラ国東側の国境付近に広がる森林地帯だ。そこはイリアス王国との国境付近でもある。
災害の核の浄化は無事に終わったが、大きく隆起したその土地を再び森林地帯へと戻すのは難しいため、新たな土地の開発にサハラ国は頭を悩ませているらしい。元々人が住む土地ではなかったということが唯一の幸いだ。
以前王国で発生した災害の場所を記した地図を机に広げる。そこに記された印は、建国書に記された女神による魔力暴走を起こした土地にどれも程近い場所だ。そのため王国で発生した災害は、建国書に記された災害の再来と見なされ、その原因については詳しく言及されることはなかった。
しかし、今回のサハラ国の災害は全く違う。国境付近とは言え、建国以来一度も王国には起因しない土地で、似たような現象の災害が起きた。さらに範囲を広げると、ここ数年、異常気象による被害が王国周辺諸国で数か所発生しているという報告があった。規模が小さいため、異常気象によるものと判断されたが、その規模を無視すれば、それは災害による被害に酷似しているとも考えられる。
これらが全て過去の女神の暴走に起因するものなのか。
それとも、そもそも前提が違っていて、近年王国に発生したあの災害が、建国書に書かれた過去の女神の暴走とは全く無関係のものなのでは―――?
疑問を感じてから、禁書を順々に読み解く作業を進めている。
すると先日、その中の一つに女神の災害と似たような現象を引き起こす禁忌の魔法の存在を見つけた。
このことはまだ誰にも話していない。
王家に残された禁書、特に禁忌の魔法の書は王弟である叔父の研究対象だ。彼はこの本について王家の誰よりも熟知していると言える。
しかしあの災害が発生した時、叔父はこの魔法について何も口にしなかった。
芽生えた疑念を浮かべては消し、また浮かべ―――その繰り返しだ。
しかしまだ何の確信もない。行動に移すには情報が足りない。
*****
考えに更けながら、次々に書類を処理しては新しいものに目を通す。
報告書の一つに、王都での女性誘拐事件の増加が上げられている。少し前に王都で貴族女性の誘拐未遂が増え、注意通達が各家に回って一時は落ち着いたように見えていたが。今度は護衛のつけられない平民女性の誘拐が増えているらしい。
一部では反王家派の関与が示唆されているものもある。早急に王都の見回りを強化しなければ。
「ジェイク。すぐにこの書類を王都の警備隊に回せ。」
「かしこまりました。ああ、例の王都の誘拐事件についてですね。最近はまだ日がある時間でも事件が起きているため、貴族女性は常に複数護衛をつけて外出しているようですよ。新しい事業が次々と稼働して、王都に活気が出てくる時期なんですけどね。いち早く解決しないと、そちらにも影響が出てきそうで心配ですね。」
ジェイクの言う通りだ。他国との貿易の件も順調に進み、他国民の王都の出入りも増えた。レイシアの案を基にした教育機関も、稼働に向けて準備が最終段階に入っている。
「……レイシアはどうしている?」
「レイシア様ですか?先程侍女に聞いたところ、今日は王都の教育機関の実務を任されているザカリー侯爵家のご夫人から話を聞かせてもらっているみたいですよ。殿下がザカリー侯爵様との対談は拒否されるから、わざわざご夫人とね。」
呆れたような顔でジェイクが答える。
「女性は女性同士で話をするのが一番だろう。」
「嫉妬心を隠さなくなってきましたね……。」
ジェイクを一瞥するとすぐに黙った。
他の男との会話など許せるものではない。
「シャーリー公爵様からの視察の招待状も届いていたようですよ。レイシア様は以前から楽しみにされていましたからね。すぐにでもお出かけになりたいとおっしゃるのではないでしょうか。」
「ダメだな。しばらく街歩きは危険だ。レイシアは全面的に王宮外には出さない。」
その言葉にジェイクは顔を顰める。
「視察も含めてでしょうか?殿下もいっしょに出られるよう、スケジュールは調整いたしますよ。」
「危険は少しでも避けるべきだ。特にあの場所は王都でも外れた場所にある。一連の誘拐事件が片付くまで、レイシアは王宮から出さない。」
「さすがにレイシア様も納得されるとは思えませんが……。」
するどい視線を向ければ、これ以上は言っても無駄だと判断したのか、ジェイクも黙って次の書類に目を移す。
あれだけ事件に巻き込まれるレイシアのことだ。こんな情勢が安定しない中、わざわざ危険にさらすような真似はできない。
特に学校事業は叔父の関わる案件だ。いろいろと気になることが重なる今、レイシアと叔父を出来る限り関わらせたくない。
*****
一通り今日の公務を終え、いつものようにレイシアの部屋へと向かう。
ドアをノックすれば、彼女の可憐な声が返ってくる。
「フィリップ様。今日もお疲れさまです。」
そういって笑顔で迎えてくれる彼女は私の何よりの癒しだ。
いつものように同じソファに腰掛け、軽食を取りながら互いの一日について報告する。
「フィリップ様。公爵様から教育機関への視察の件でお手紙が来ました!完成前に一度私の意見を聞きたいとおっしゃってくださってるんです!フィリップ様もごいっしょに行ってくださいませんか?」
少し興奮した様子で、私にそう言い募る。キラキラとした期待に満ちた目だ。
「すまない。レイシアはしばらく外出を控えてほしい。」
私の言葉に、期待に満ちていた瞳から光がなくなっていくのがわかる。
「しばらくとはどれくらいでしょうか?」
「今王都では女性の誘拐事件が頻発している。この事件が解決するまでは王宮外に出ることは危険だ。」
王都の事件についてはレイシアの耳にも入っているのだろう。少し考える仕草を見せる。
「……日の高いわずかな時間でもダメでしょうか?せっかく私がお役に立てる数少ない機会です。その後のザカリー侯爵邸での会合は遠慮させていただくようにしますので。」
侯爵邸の会合の予定まで伝えられていたのか。
「許可できない。君が外に出れば、その分警備の負担も増える。」
「フィリップ様や公爵様と同じ日に視察の予定を入れれば、警備の負担も少しは軽減できるかと思います。領地の事業を途中で投げ出してしまった分、王都の事業で出来る限りお力になりたいんです!それに……」
「ダメだ!」
思っていたより厳しい声が出る。
「君には他にも次期王太子妃としての仕事がある。王宮の中でできるものだけを君は処理してればいいんだ。教育機関については叔父や侯爵家が十分に尽力している。君が関わる必要はない。」
気が付ければ、必要以上に厳しい言い方になってしまった。まずいと思って彼女を見れば、今まで見たこともないほど傷ついた顔をした彼女がいる。
「わかりました……。」
彼女が私に背を向けてしまう。
「今の私の言い方は悪かった。すまない、レイシア。君の教育機関への想いはちゃんとわかってるんだ。君にはその能力も……」
「いいのです!王都が大変なときに我儘を言いまして申し訳ありませんでした。
殿下。今日は疲れてしまったのでこれで失礼させてくださいませ。」
そう言ってドアへと向かい、侍女に帰りの合図をする。私との話が終わったと思った侍女たちが、寝支度のため部屋へと入ってくる。
「……また明日話をしよう。」
こうなっては一度引くしかない。私自身も頭に血が上っている自覚がある。明日になれば、二人とももう少し冷静に話ができるだろう。
部屋を出てドアを閉じようと振り返ってみても、彼女は背を向けたまま、こちらに笑顔を向けてくれることはなかった。




