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それから二人で席へと戻り、その後は問題なく茶会は解散となった。
部屋に戻った時にはもうくたくただ。
(昨日からいろいろあり過ぎじゃないかしら。)
でもマリア様と仲良くなれたのは本当に良かった。話してみると彼女はとても人懐っこく、なんだか妹のようで可愛らしい。
そう思ったところで、また夢に見た後輩の姿が頭に浮かんで、少し気持ちが沈んだ。
部屋着に着替え、ベッドに横になって鬱々としていると、ドアのノックが鳴る。侍女かと思い入室の許可を出すと、ドアの扉を開けて入ってきたのはフィリップ殿下だった。
「殿下!?」
慌ててベッドから飛び起き、身支度を整える。完全に油断していて、とても淑女の恰好とは言えない。
「先触れもなしにすまない。今日のレイシアはなんだか元気がなかった気がして、ずっと気になっていたんだ。少し話ができないか?」
やっぱり朝の様子がおかしいことに気づかれていたらしい。
恥ずかしいし気まずい気持ちもあるが、いったん殿下に部屋に入ってもらう。侍女がすぐお茶の用意をし、殿下と私は部屋の応接椅子に腰掛ける。
「病み上がりなのに公務も立て込んで大変だっただろう。何か困ったことはなかったかい?」
お茶を飲みながら殿下が尋ねてくる。
この様子だと午後の茶会での出来事も知っていそうだが、あの問題はマリア様のおかげで解決したと思っていいだろう。
「ありがとうございます。少しトラブルはありましたが……大丈夫です。おかげで良い友人もできました。」
「レガール侯爵家のマリア嬢かな。彼女は以前は幼いところが目立ったが、レイシアに会ってから急に淑女らしくなったと侯爵も喜んでいたよ。」
そこまで報告を受けていたのか。殿下の耳の早さに思わず苦笑してしまう。
「それで。それなら何が君にそんな顔をさせているんだい?」
殿下に優しく聞かれる。
誤魔化したかったのに、そんな優しい顔をして問いかけられると、思わず口から本音がこぼれ落ちてしまう。
「……少しこわい夢を見たのです。たぶん今度の夜会のことをいろいろ悩んで考えていたので……。夢見が悪くなっただけです。」
夢の内容を話すことはできない。
あの日の夢に、前世でも現世でも、自分の無力さを痛感させられた。殿下の力になれない自分がどうしようもなく情けなく感じる。
殿下はそんな私の表情を見てか、夢の内容については尋ねてこない。
「今度の夜会はただでさえ婚約発表もあって立て込んでいるのに、聖女とサハラ国の第二王子とやらも来るからね。君が対応に悩むのも当然だ。」
殿下から聖女様の名前が出たことに驚いて、思わず殿下の顔を見てしまう。
「君を悩ませてしまったのは私のせいだね。すまない。聖女のことについては、早いうちに話をしておこうと思っていたんだ。」
何も言えず、じっと殿下の話に耳を傾ける。
「今回の夜会にダンと聖女が来ることはほぼ確定だろう。当然夜会に参加した貴族たちには、なぜ聖女が隣国の王子とともにという話になる。そのため、陛下は事前にサハラ国の第一王子と話を進めて、『聖女は病気療養のために過ごしていた隣国近くの王領で、幼い頃から病弱だった体を癒すため王国の医療を受けていた第二王子と知り合い親しくなった』という筋書きを用意した。聖女が魔法の行使による体の不調で、私との婚約を白紙にしているという話は、すでに一定の貴族に広めていたし、その後隣国の第二王子と出会っていても一応筋は通っている。
レイシアとの婚約は聖女との婚約白紙とはだいぶ期間を置いた形になっているため、表立って君を批判できる理由はない。」
いつの間にそんな話が進んでいたのだろう。陛下や殿下がそこまで考えてくださっていたことに、素直に感謝する。
「ただ、それでも君に心無い言葉を言ってくる者もいるかもしれない。当日は私の傍を離れないでくれ。必ず私が君を守るから。」
殿下は真剣な顔で私に語り掛けてくれる。
「私以外にも君の味方は大勢いるみたいだけどね。ちょっと悔しいな。」
そう言って、わざとおどけてみせる殿下を見ていると、目の奥が熱くなってくる……。
「どうして殿下は私のことばかり…。聖女様がそんな風に現れて、辛い思いをされているのは殿下じゃないですか。私はちっとも殿下の力になれない。もっとご自分のことを考えてください……。」
嫌なのに声が震えてしまう。
殿下はそんな私を見て、何か考えに至ったのかすぐに口を開く。
「レイシアはずっと私が聖女のことを気にしていると思っていたのか?」
「それはそうでしょう!殿下と聖女様はいろいろなことを乗り越えて結ばれたのに、あんなことになって……。人を想う心は、そう簡単にコントロールできるものではありません。殿下は傷ついていても、絶対それを表には出してくださらないだろうから……。」
嫌なのに目からぽろぽろと涙がこぼれてしまう。
「それこそもっと早く君に話さなければならなかったね。」
殿下はそのまま静かに話を続けた。
「私は、今はもう聖女に何の感情も持っていないよ。あんなことがあったからね。もちろん疑問や戸惑いはあったが、恋愛感情という意味では、そんな気持ちは微塵も残っていない。」
殿下のその言葉に、思わず顔を上げて殿下の顔をまじまじと見てしまう。
「そんな気持ちは君に求婚する前にきちんと整理していたよ。為政者として愛という感情にこんなに振り回されたのが情けなく、もう愛なんていらないと考えた。聖女の裏切りに多少傷ついたのもあったが、自分が結婚に対して合理的な考えができていなかったということが一番ショックだったんだ。」
殿下が「もう愛を信じない」と話していたのは、そういう意味もあったのか。
「でも今は思う。たぶん私は憧れと愛とをはき違えていたのかもしれないと。本当の愛というのはこんなにも……手放したくても手放せない。なくしてしまえば自分が芯から崩壊してしまいそうな、そんな感情だと……」
そう言いながら私を見つめる殿下の瞳が、妙な熱を持っているようで戸惑う。戸惑うのに目が逸らせない。そのまま吸い込まれてしまいそうだ。
「レイシア、僕は……」
殿下の言葉の続きが知りたい。
息も出来ず、その続きを待っていると―――
トントン、ドアをノックする音が鳴った。
「殿下、陛下がお呼びになっているのですが……」
ドアの外でジェイク様の声がする。
(あああああああああ)
思わず頭を抱えてしまいたくなる。
殿下も顔に手を当て、頬を染めている。
「陛下がお呼びのようですね。」
なんとか立て直して殿下に声を掛ける。
「ああ、そのようだ。まったくタイミングが悪い……」
珍しく殿下が拗ねた顔をしながら立ち上がる。
「レイシア。話の途中ですまない。」
「いいえ。遅い時間になってきましたので、どうか殿下も無理をなさらないでくださいね。」
別れが惜しいが仕方がない。
すると、殿下がそっと私の傍まで近づいて、耳元で囁く。
「続きは必ず伝える。どうか待っていて。」
そう言い残して殿下は部屋を出て行った。
残されたその言葉はあまりにも甘さを含んでいて、私は耳まで真っ赤になってしまった。
(あの人絶対わざとやってる!)
慣れないふりしてすっかり私を翻弄していく殿下に腹が立って、ベッドに戻って枕をぽすぽすと叩いてしまう。
顔がほてって仕方がない。今日は眠れるだろうか。
でも殿下のおかげで、もうこわい夢は見なそうだ。




