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「……殿下。話を聞いていらっしゃったんですね。」
このタイミングで殿下が現れたのは、偶然ではないだろう。
「茶会で給仕をしていた侍女が不穏な空気を感じ取ったようでね。母上に知らせに来たところにちょうど居合わせたものだから、私が様子を見に来たんだよ。でも私は全く必要なかったようだ。」
ハハッと軽く声を上げながら殿下が笑った。
こんなに気楽な殿下の姿をみるのは初めてで、少し混乱する。
「いえ、来てくださって助かりました。ありがとうございます。あの後私が残ったままでは、マリア様もまた気まずい思いをするかもしれないですし……。」
茶会の主役がいなくなれば、自然と解散となるだろう。あのまま話を続けていても、マリア様は肩身が狭いままで楽しめない。
「君はいつも人のことばかりだな。」
どこか遠い目をして殿下がつぶやく。
「しかし、レガール家のご令嬢と大きな問題に発展しなくて良かった。今回の貿易事業であの家は大きな役割があるからね。できるだけ王家とも良好な関係を維持しておきたい。しかし、レガール侯爵は娘に甘いタイプなんだな。デビューが済んだ令嬢の中で、ああまで素直な者はなかなかいない。」
確かにマリア様はだいぶ素直で直情的な方だ。しかし悪意があるわけではない。それに……
「殿下が優しくなさるのも一つの原因でしたわ。年頃の令嬢は殿下のように麗しく親切な方に憧れを持つのは当然のことなのです。」
口に出してから、なんだか他の女性に優しくする恋人への嫉妬のようだなと気づき、慌てて訂正する。
「これは被害者を出さないために気を付けていただきたいということですよ!もちろんお優しいのは殿下の良いところですし、別に優しくするなとかそういうことではなくて……」
言葉を紡ぐほど言い訳がましくなってしまう。
ハハッとまた殿下が笑う。
「そんなに焦らなくともわかっているよ。我が婚約者がそんな嫉妬心を持つような女性じゃないこともね。」
そう言って優しい笑顔を向けられると、なんだか心の奥がざわざわする。
(そんな恋人にするような甘い声色はやめてほしい。)
赤くなる顔を隠したくて、後ろを向き、近くの花壇へ向かおうとする。
すると少し離れたところに一人の令嬢の姿が見える。
(茶会からの帰りで道がわからなくなったのかしら。)
声をかけようともう少し近づくと、何やら様子がおかしい。
殿下もそれを感じ取ったようで、すっと私たちの間に入り、私を背に隠す。
「君は茶会に出ていた、エル子爵家のご令嬢だね。どうしてここまで来たのかな?道がわからないなら近くの侍従に案内をさせるが。」
殿下に声を掛けられても、女性は顔をうつむいたまま返事をしない。
小さな声で何かをつぶやいている声が聞こえる。手に何か握っているようにも見える。
「殿下、お下がりください!すぐに近衛を!」
「わかっている!レイシア嬢のほうが早くこの場を離れるんだ!」
殿下と問答している間に令嬢はあっという間にこちらに距離を近づけ、手に持っていたナイフを向けてこちらに突進してくる。
「でんかなぜですか!なぜわたしじゃなく!わたしをあいしてたんじゃないの!」
普通の令嬢の動きじゃない。
避けきれないと思った瞬間、私は殿下の前に身を投げ出していた。
(あついっ!)
腕にするどい痛みを感じる。
切られたと気付いた時にはもう意識が朦朧としていた。
霞む視線の先で、近衛に捕らえられた令嬢が何かを叫び続ける声が聞こえる。
私は誰かの腕の中だろうか。上を向くと霞んだ視界に鮮やかな金色がうつる。もっと見ていたいと思ったが、それは叶わず私は目を閉じた。