11 フィリップside
窓の外を見ると、いつの間にかずいぶん日が落ちていたことに気づく。
まさか戻って早々、こんなに政務が重なるとは。
「おそらくアレクの仕業だな……。」
なにかしら理由をつけて、レイシア嬢と自分を引き離してくるとは思っていたが、ここまで行動が早いとは……。弟のほうもよほど焦りがあるらしい。
本来であれば、あと一年もしないうちに王太子夫婦が婚姻。ほどなく弟も公爵位を継ぎ、婚約者と早々に婚姻する予定だったのだ。今回の聖女の騒動で予定が大幅に狂ったことは、弟にとっても相応に痛手なのだろう。レイシア嬢が王太子妃にふさわしくなければ、早々に次の手を、と考えているのだろう。
「果たして彼女はうまく対応できただろうか……。」
誰も答える者はいないというのに、思わずつぶやいてしまう。
謁見後、ジェイクから声を掛けられた時、本当は彼女を部屋に送ってから執務室に向かうことも出来たのだ。しかし、弟の襲来を予感していながら、彼女をその場に残してきてしまった。
「私も早々に答えがほしかったのだな。」
弟を納得させられなければ、第二王子派がこの婚姻に口を出してくる。最悪、別派閥の娘を婚約者として選択することを迫られ、王太子の婚約者問題はますます混乱を生むことになっただろう。
自分の婚約の問題で王宮の機能を止めるわけにはいかない。まだまだ解決しなければならない問題は多いのだ。
災害による直接的な被害はなんとか治めることができたが、まだまだ人々の復興は道半ばだ。公共事業を増やして、故郷を去るしかなかった人々に職を与えてはいるが、無尽蔵に増やしていくだけではいずれ限界が来る。
新しい事業を起こすには、自身の派閥だけでなく弟の派閥を占めている新興貴族の協力も欠かせない。今は互いに摩擦を避け、国のために力を合わせなければならないのだ。
ふと、レイシア嬢の領地で着手された学校事業の書類が目に入る。貴族や裕福な庶民に対する教育機関は王国でも古くから存在したが、それとは異なる庶民専用の教育機関というのは聞いたことがない。
しかしその事業案を見ると、領の未来を見据えた意見に納得せざるを得ない。領民全員が基本的な計算や読み書きができるようになることで、できる仕事の幅が広がる。それは他の領地や他国との取引の中で大きな利を生み出すだろう。以前から名産の貿易事業に力をいれている侯爵領であればなおさらだ。
(これをレイシア嬢が立ち上げたのか。)
彼女の領地運営の状況を見てみると、一年前まではそれは悲惨なものだった。領主が倒れ、長年代理を務めた執事の横領が発覚し、まだ年若い令嬢が領地運営の真っただ中に立たされたのだ。
ただ月日が経つにつれ、稚拙だった領地運営も少しずつ元の形を見せ始め、最近では他領では見られない新しい施策も練られていた。
(貴族令嬢の発想とはとても思えない。)
領地に残されていた幾多の事業書も、ほとんど手を加える必要がないと代理人は驚いていた。
(ここまでの才覚があるとは。数年前の婚約者選びの際には全く気付かなかった。)
ふとあの頃を思い出そうとしたところで、ドアのノックが鳴る。
「誰だ。」
思案からすぐさま戻り、ドアの外に尋ねれば、
「私です。アレクです。」
ドアの向こうからもすぐに返答があった。
ずいぶんと早い来訪だ。やはりあの後レイシア嬢と会ったのだろう。
「入っていいぞ。」
「失礼します。」
ドアから入ってきた弟はどこか不貞腐れたような居心地の悪い様子で、目をそむけている。
「先触れもないとは珍しいな。何の用だ。」
なんとなく用件はわかっているが、あえてそう尋ねる。
(レイシア嬢の悪口なのか、新しい婚約者候補の打診なのか。)
少なくとも、弟はこれまですんなりと私の婚約者を認めたことがない。
公爵家の令嬢に対しては終に認めぬまま婚約解消となり、聖女に対しても学園の卒業間際にようやくしぶしぶといった様子だった。
それに加えてようやく認めた聖女があんなことになったのだ。次の婚約者がそうそう簡単に認められるわけもない。
(一先ずしばらく様子見となればいいほうか。)
そんなことを考えながら弟の答えを待つと、
「兄上の新たな婚約者のレイシア嬢についてですが……私も婚約を認めます。」
小さな声ではあったが、はっきりとした口調でそう答えた。
「認めると言ったのか!?」
思わず立ち上がり、そう聞き返してしまう。
「そうです。認めます。そもそも陛下と兄上が決めたこと。私に反対する権利もないことですので。」
第一王子と第二王子の確執により起こる混乱をよく理解し、それを十分利用して脅してきたやつが今更何を言っているのだろう。まさしく開いた口がふさがらない。弟はこちらを見ていなかったが、もしこの顔を見られていたら、さぞかし呆れた様子でばかにされたことだろう。
「話は以上です。お忙しいところ失礼しました。
―――兄上。くれぐれもレイシア嬢を大切に。それが婚約者に対する最低限の礼儀ですから。」
弟はそう言うと、足早に執務室から出て行った。
(これは驚いた。まさか一度の逢瀬で弟に認められるとは。)
レイシア嬢は何を話したのだろうか。
あの後、近衛騎士から部屋に戻ったと報告を受けたが、その時間を考えても、そんなに長時間弟と話していたわけではないだろう。
なんにせよこれで二人の婚約は何の憂いもなく整うことになる。
「本当に不思議な人だ。」
椅子に深く腰掛けながら、先ほど記憶に浮かんできた過去をもう一度思い起こす。
*****
レイシア嬢を個人として初めて認識したのは、婚約者選定がだいぶ進んだ頃のことだった。何かの討論やダンスのレッスンなどではない。
次の公務へと向かう王宮の廊下で、賑やかな声にひかれてふと庭園に目を向けた時だ。候補者たちの中でも比較的まだ幼い、可愛らしいドレスに身を包んだ令嬢たちが、一人の少し大人びた令嬢を囲んでいた。お姉さまと呼ばれ、あちらこちらから声を掛けられながら、その中心で穏やかに微笑む彼女を見たのだ。
婚約者選定に見合った華やかで可愛らしいドレスに身を纏う他の令嬢と比べて、その彼女は装いは一見すると地味でシンプルなものだったが、それが彼女の落ち着いた髪色と相まってとても似合っていた。
彼女たちはこちらに気づかないまま、話に花を咲かせながら庭園の奥に消えていった。
それから彼女を見かける度、こっそりと様子を伺った。なんとなく盗み見をしている罪悪感からか、直接声は掛けれなかった。
候補者同士の確執や争いも珍しくない中で、彼女の周りだけはいつも落ち着いた柔らかい雰囲気に包まれていた。
彼女は相手が誰であっても公正公平。いつも一歩引いて皆を見ているような、誰にも気づかせないようにひっそり線を引いているような、そんな印象を受けた。
だから余計に私も彼女に近づくことはなかった。
近づけばその線が明確になってしまうような気がしたのだ。




