【東方Project】瀟洒なメイドがいなくなるとき
大昔に書いたものなので、最近の公式作品の設定などを含まず独自解釈で作られたものになります。
違和感のある場面が見られるかもしれませんが、ご了承頂ければ幸いです。
――十六夜咲夜は人間である。
時を止める能力を持ち、
吸血鬼に仕える人間。
「そう、咲夜も不老不死になってみない?
そうすればずっと一緒に居られるよ」
そんな吸血鬼の提案を
彼女はやんわりと否定した。
「私は一生死ぬ人間ですよ。
大丈夫、生きている間は一緒にいますから」
そう答えた彼女は
人間であることに
誇りを持っているようだった――
「今日、魔理沙が死んだわ」
十六夜咲夜が仕える吸血鬼、レミリア・スカーレットが囁くようにそう告げた。いつも高圧的な表情だった彼女は、今はただ無表情に俯いている。十歳ほどの子供のような小さな身体を小さく震わせて、自分の身長よりも大きな翼を縮こませながら。
あの楽しかった日々はとうに過ぎ去ってしまっていた。初めて異変を起こして、紅白の巫女や白黒の魔法使いと戦ったあの日。その日からの数十年間は本当に楽しいものだった。と、レミリアは思い出に耽る。彼女の思い出話を聞きながら、咲夜は悲しそうに微笑むのだ。
「咲夜。……咲夜はまだ、いなくならない?」
威厳のかけらもない、見た目相応の子供のような質問。不思議と涙は流れていなかった。それでも、レミリアが相当悲しい思いをしていると言う事は、長年付き添ってきた従者だからこそ手に取るように感じることが出来た。
可愛い主の青みがかったショートの銀髪が揺れる。ふわりと、糸につられた人形が動くように、レミリアは咲夜の元に身体を預けた。咲夜はそれを優しく受け入れた。主の頭をナイトキャップ越しに撫でる。
「ええ、きっとまだ、大丈夫ですよ」
咲夜の姿は昔とあまり変わらなかった。十代後半よと。そう言っていた頃から十年ほどしか経っていないのではと思えるような見た目。周りの人間は老いていくのに、彼女だけ老いなかったのには訳があった。
彼女は自分の身体の成長を止めていた。時間を止める能力を使い、己の老いていくのを止めているのだ。人間には細胞分裂が出来る回数が決められている。細胞分裂は回数が増えれば増えるごとに劣化していき、身体は老いていく。彼女は怪我を治すとき位にしか身体の時間を進めたりはしなかった。そうして自分の老いるスピードを最小限に留めていた。
ただ、やはりそれにも限界がある。怪我をすればそれを治すために時間を進めざるを得ないし、記憶を留めておく脳だけは時間を止めるわけにはいかなかったから。だから、身体が傷つくごとに老いていくし、そうでなくともいずれ脳衰で十六夜咲夜という人間は朽ち果てる。
いつか起こる別れがいつ来るのか。それは咲夜にとっても、レミリアにとっても恐ろしいものだった。……尤も、レミリアには運命が分かるのだからその時を知っていて、それを信じたくないだけなのかも知れないが。
銀髪のメイドは主を抱きしめた。十数年間に渡って培われてきた主従関係。主に対する忠誠心は本物であり、疑いようのない真実だった。
「少し落ち着きたいわ。紅茶、煎れてきてくれないかしら」
「仰せのままに」
咲夜は軽く礼をして、己の主の部屋から出て行く。日光の入らない薄暗い洋館の、一際豪華な紅い部屋の中で、主である吸血鬼は小さく息を吐きながら、紅い絨毯を踏みしめて奥にある玉座へ向かった。天井のシャンデリアが頼りない光を放っている。玉座の反対側にはカーテン付きの紅いベッド。ちらりとそれを見て、諦めたように玉座に腰を下ろした。
赤色を主とした一人用の部屋にしては広すぎる個室の中で一人、レミリアは無表情に目を閉じた。
「次は霊夢が死ぬ。早苗も死ぬ。そして……」
誰かに語りかけるように人間の知り合いの名前を羅列させる。足を組んで、足に肘をついて、方杖をついて、その紅い目を薄く開いて淡い光と出会わせた。
「咲夜……」
それから何年が経っただろう。博麗霊夢もいなくなり、また次世代の博麗の巫女が誕生した。霊夢とは違う、真面目で、修行ばかりしているような巫女。レミリアはそんな巫女を見ていると、すぐに対照的だった霊夢のことが脳裏に張り付いてしまい、人知れず涙を流していた。それを見て、親友である七曜の魔法使いが言っていた。
貴方はいつから人間という生き物の死に未練を感じるようになったのかしらね。と。
レミリアにはその答えを導き出すことは出来なかったが、質問をした魔法使い、パチュリー・ノーレッジには見当が付いていた。十中八九咲夜の存在があったからだと。パチュリーは結局その言葉をレミリアに継げることはなかったが、きっと近いうちにその事実に気が付くのだろう。と、昔と何ら変わりない様子で親友の吸血鬼の元で暮らしていた。
「パチェ。私ってこんなに弱い存在だったっけ?」
魔女の親友は悲しそうに問いた。透き通って美しかった紅い目は見るからに濁りを見せていた。人間なんて吸血鬼にとっては唯の食料であり、遊び道具であったはずなのに。
「貴方は弱くなったわけではないわ。……レミィ、貴方が見た物は抗いようのない真実。それを乗り越えることが貴方の使命であり、運命なんじゃないかしら」
紫色の長い髪を赤と青のリボンでまとめながらパチュリーは問いに答える。こんな事はレミリア自身にも分かっているはずなのだ。いい加減素直になりなさい。と告げたくなるのを抑える。そんな言葉は逆効果だ。……少なくとも、今の彼女にとっては。
館よりも暗い、紅い館の地下に存在する大きすぎる図書館の中で、昔と何も変わらない容姿の、二人の妖怪が暗い館内にさらに暗い影を落としていた。
「分かってる。分かってるのよパチェ。ただね、怖いだけなのよ。自分の一部が消えるようなそんな夢を見て。きっと咲夜がいなくなったら、私の中のどこかに治らない穴が空くんじゃないかって」
その声は震えていた。夜の王である吸血鬼がたった一人の人間の死を恐れるなんて、なんて滑稽なのだろう。昔の彼女だったら笑っていただろう。……なんて、笑えない冗談だ。と、パチュリーは目を細める。
「レミィ、私ね」
パチュリーは俯く。切りそろえられた前髪が目を隠した。
「魔理沙が死んだときに何も思わなかったの。いいえ、むしろ今まで奪われていた本が戻ってくるって嬉しく思ったわ。……でも、何かが足りなくなったと思ったのよ。静かすぎたの。何もかもが。どんなに年を取っても相変わらずここに来てたあいつはもういないんだって、そう実感したのは随分後だった。思えば、私はあいつのことを人間だとは思っていなかったかも知れない。それこそ、貴方と咲夜みたいな種族の垣根を越えた何かが、そこにはあったのかも知れないわ」
あんなに嫌っていたのにね。と、無表情にレミリアの顔を覗く。今の話を聞いていたのかいなかったのか、レミリアは暗い顔をしてしきりに何かを呟いていた。
「……レミィ?」
ぴくり、と。驚いたようにレミリアはパチュリーを見て、そしてすぐに困り果てた顔で俯いた。
「ごめんなさい」
「何を謝ってるのよ。何も悪い事なんてしてないじゃない」
「私は何も分かってなかったわ」
「……そう気に病むことでもないわ。仕方のない事よ」
そうたしなめて、パチュリーは本棚に向かい、本を漁り始めた。レミリアはその様子を思い詰めた顔で見つめていたが、やがて。
「ありがとう、パチェ」
柔らかく微笑んで立ち去っていった。パチュリーはレミリアが図書館を立ち去るのを見届けてから、
「ありがとう、か……」
ため息を一つついてまた本を漁り始めた。
それからまた、長い時間が過ぎた。
人里の人間は総入れ替えし、見覚えのある顔ぶれなど既にいなくなっていた。唯一死んでない半人半妖の白沢も昔とは比べものにならない位に衰えた。もう、彼女が死ぬのもそう遠くない未来だ。
咲夜は未だにレミリアの傍に付き添ってくれていた。繋いだ手から伝わる暖かさが、今は悲しかった。
「咲夜、今日は私達が出会ってから何年目だっけ?」
「……え? 何年、位でしょうか。何だかずっと昔のことのように思えますわ」
最近、咲夜の物忘れが多くなってきた気がする。昔はそんな事殆ど無かったのに。右手で繋いだ左手を、レミリアは強く握りしめた。
「今日で百七十八年目よ」
二人が腰掛けている紅いベッドが音を立てた。昔と何も変わらないこの部屋で、確かに、残酷に過ぎゆく時間。いつまでこうしていられるのか、分かりたくもない。
「そうですか。もうそんなに経っていたんですね……」
「そう、だから、今日はお祝いをしましょう。私達が出会った日を」
レミリアが微笑み、咲夜が笑った。繋いでいた手が離れる。
「それじゃあ、豪華なお料理を作らないといけませんわね。買い物に行ってきます」
「あ、それなら私も……」
付いていく、と。吸血鬼が言い切る前にメイドは制止した。
「一人で行かせて下さい。何の料理が出るか分かっちゃいますから」
嬉しそうな表情で、瀟洒なメイドは礼をする。主は少し困った表情をしながら、彼女に一人で買い物に行かせた。一人にしないでよとは言えなかった。あの人間がいなくなっても一人にはならないのに、おかしな事を。と、自分の押し殺した台詞に疑問を覚えて、ベッドに横になる。
そのまま、レミリアは眠りについた。
夜になって、何事もなく咲夜は帰ってきてくれた。今日は張り切っておゆはんを作りますからと、楽しそうに厨房に向かった咲夜を見送って、レミリアはパチュリーの元に向かう。
「レミィ、分かってると思うけれど」
開口一番に、魔女はそう告げた。吸血鬼は何も言わず頷き、図書館の奥で仕事をする小悪魔に手招きをしながら、
「そんな事より、今日は身内だけのパーティよ。盛大に、祝いましょう」
レミリアは微笑む。まるで、この後に起こる事を予期しているかのように。パチュリーが仕事用に使っている机に置いてあるランプが光を放っている。
ゆっくりと椅子から降り、装いを整えながらパチュリーは少しだけ悲しそうに微笑んだ。
「楽しい夜になりそうね」
それは、とても盛大なパーティだった。妖精メイド達は酒を飲み、踊り狂い、談笑していた。広い広い食堂で、たくさんのシャンデリアとケーキに立てられた蝋燭が淡い光を放つ。テーブルクロスの掛けられた無数の丸形テーブルには、これまた数え切れないほどの料理が乗っており、食欲をそそる匂いを生み出している。
「貴方との出会いを祝ってのパーティなのに貴方に料理をさせてしまってはね」
「良いんですよ、お嬢様。私はお嬢様が喜ぶ顔を見るのが一番の幸せなのですから」
だから、そんなに悲しそうな顔をなさらないで下さい。と。咲夜は続けた。
「分かっているの?」
楽しいパーティの筈なのに。レミリアは笑うことが出来ずにいた。陽気な妖精達とは正反対の感情が渦巻き、とても楽しめる気分ではなかった。
「自分の事位、自分で分かりますよ」
静かに咲夜は返した。後戻りなんて出来ない。時間を操る能力がある彼女にさえ、時間を戻すことは出来ないのだから。
無理矢理笑顔を作って、レミリアは咲夜と思い出話に花を咲かせた。テーブルを一つ隔てた向こう側では、虹色の門番が、七曜の魔法使いの話を深刻そうな顔で聞いていた。何を言っているかは分からなかったが大体の見当は付いた。きっと、あのことだろう。聞こえる親友の声を無視して、咲夜と二人で話し続けた。
回りにはたくさんの人がいるのに、レミリアには咲夜と二人きりでいるような感覚だった。目の前にいる人間は、昔と変わらない笑顔で話す、笑う。百数十年経ったというのに、何も変わっていない。
……本当に、そうだったらよかったのに。
「さぁ、楽しみましょう、お嬢様。せっかくの料理が冷めてしまいます」
「そうね」
線香花火は消える一瞬前に、今までとは比べものにならないほどに輝いて、そして消える。その様子を想起して、
「人生という物は、花火のようなものね」
誰にも聞こえることなく呟いた。
パーティが終わりにさしかかった頃、レミリアは咲夜を連れて、時計台に登った。
「ここなら誰もいないわ。……ねぇ、咲夜」
「はい、お嬢様」
こんなに回りくどいことをしなくとも、パチュリーには分かっているだろうけれど。美鈴や、小悪魔や、フランにも気が付かれてしまうだろうけれども。レミリアは本当に、二人きりで話がしたかった。そして。
「私に頼みたいことがあるのでしょう?」
問う。もう、全て分かっているから。それは、避けられない運命なのだから。暗い暗い空を月の光が照らす。今日は満月だ。
「ごめんなさい。私は、最期の最後でお嬢様を裏切ることになります」
「……言ってみなさい」
「私を、殺して下さい。お嬢様」
そう、それは。レミリアが幾度となく夢に見た、運命で垣間見た台詞だった。魔理沙がいなくなった日からずっと、毎夜のように見ていた悪夢が正夢となって襲いかかる。
「意味はないだろうけど、一応聞いておくわ。どうして?」
「お嬢様には、私の醜い姿を見て欲しくはありません。老いた私を見せるのも、若い姿のままで何も出来なくなる私を見せるのも、したくありません」
まるで他人事のように、長い間連れ添ってきた人間は淡々と告げた。時計台の時計の針を刻む音が頭に響く。
「だから私は、私の運命を元に戻して欲しいのです」
十六夜咲夜という名前は、レミリアが名付けたものだ。名前というものは、その名を持つ物を束縛する。
咲夜にならなかった咲夜は、一体どうなっていたか。……それを知っているのは当事者の二人だけ。
「良いのね、本当に」
「はい」
咲夜が咲夜とならなければ、あの時点で咲夜は死んでいたのだ。
「私達が初めてであったときのこと、覚えてる?」
冷たい風が吹き抜ける時計台で、二人は向かい合わせに立っている。レミリアは静かに、後ろで手を組みながら咲夜の瞳を見つめた。
「今でも、鮮明に覚えていますわ」
咲夜は微笑む。微笑んで、左手をレミリアに差し出した。差し出された手を取って、レミリアもまた微笑む。
「死ぬなら、綺麗に死にたいものね」
本来、変えてしまった運命を元に戻すことなど出来ない。運命は未来のことであり、過去のことではないからだ。変わった運命は過去になる。レミリアに過去に干渉する力など無い。でも、だからこそ。
「咲夜。貴方はどんなに死に様がお好みかしら」
皮肉を込めて、そう聞いた。
そして、全てが終わった後に。
「……この館ってこんなにも狭かったっけ」
咲夜の干渉が無くなった紅魔館で、レミリアは一人呟くのだった。
数年が経った。瀟洒なメイドはもういない。今では咲夜の教えを忠実に守ってホフゴブリン達が仕事をしている。相も変わらず妖精メイド達は役立たずだ。
「ねえ、パチェ。この運命は必然だったと思う?」
「……さあ、ね。貴方が変えられなかったのだからそうなんじゃない?」
紅魔館の庭の一角には小さな墓が一つ。美鈴が定期的に花を添えていた。美鈴は墓に花を手向けるときにいつものように自分の居眠り報告をしていた。
人間が一人死んだ位で、紅魔館の生活はそうは変わらなかった。……ただし、内面以外は。
「こんにちは、レミリアさん。これ、新しい新聞です」
いつも陽気な烏天狗がいつものように新聞を届けに来た。レミリアよりも五百年ほど長生きしてきたこの天狗は、一体どれくらいの別れを経験してきたのだろう。
「しっかし、ここもまた一つ寂しくなりましたね」
紅魔館の玄関口で、射命丸文は感慨深そうに辺りを見渡す。日傘を傾けながらレミリアはそんな文の様子を見て小さく微笑んだ。
「もう、慣れたわ」
「そうですか。……まあ、新しい巫女にも慣れてきた頃でしょうしね。経験は人を強くしますから」
それでは、購読ありがとうございました。と、そう言い残して烏天狗は飛び去っていった。小さくなる影を見届けながら、吸血鬼は呟く。
「今日は貴方と出会ってから何年目だったかしらね。咲夜?」
ニコニコ全盛期時代によく書かれていた「いつか訪れる結末」系の影響を受けたお話です。
お楽しみいただければ嬉しいです。