飼い主はペットに似る
星新一と筒井康隆のハイブリッドのような
「飼い主はペットに似る」
飛行機から降り立った途端、エヌ氏を生温かい空気が包み込んだ。機内とのあまりの温度差にどっと噴き出した汗を拭いながら、彼は鼻をひくつかせた。
獣臭がした。
自分の名前を呼びかける声に反応しそちらに目を向けると、旗を持った男が腕を千切れんばかりに振っているのが見える。迎えの車が来ているようである。エヌ氏は早足でその男のもとに向かった。
事の起こりは昨日のオフィスだった。深刻そうな顔をした上司が唐突に彼の部屋に入ってきて言ったのだ「問題が起きた。明朝にA国に出発してほしい」と。事情を何度か尋ねたが、いま一つ要領を得ない。どうも上司も完璧に把握していないらしく、理解できたのは「豚肉の買いつけが上手くいってない」という一点だけだった。A国はこの十年の分離独立運動から出来た辺境の小国で、政情不安な為に内実についてはよく伝わっていないらしい。そこで、詳細については現地で直接に駐在員から教えられる事になっていた。
冷房の効いた車内に入ると汗が引いて少しマシな気分になる。迎えの男はエム氏と名乗った。この国に赴任して3年目の現地駐在員であり、どうやら彼が本社に助けを求めたようである。まずは問題点を明らかにしようとそれとなく水を向けてみたが、のらりくらりと返答を避けられるばかりである。エム氏は明らかに何かを隠していた。
これ以上の詰問は無駄と悟ったエヌ氏は黙って窓の外を見続けることにした。犬を連れた中年男性が、猫を抱いた老婆が傍を通り過ぎて行く。こうして見ると誰もが何かしらのペットを連れているようだった。そんな国民性なのかなとボンヤリしていると、前面の運転席からエム氏がニヤニヤと「ここの国の人達は動物が好きでしてねえ」と言ってきた。動物ねえ、と尚も車窓を覗きながらエヌ氏は生返事を返す。
と、強烈な違和感がエヌ氏を襲った。
気のせいかと思って何度も目を凝らしたが間違いなかった。飼い主とペットが異常に似た顔立ちをしている。
「クククっ、ヒヒヒヒ、似てるでしょう。ヒーッヒヒヒ、彼ら動物みたいだと思いませんか?」
エム氏は笑いが止まらなくなったらしく、涙さえ流しながら哄笑した。車内に壊れたお喋り人形の様な笑い声が反響する。運転に支障をきたすんじゃないかとエヌ氏が危惧し始めた頃に、やっと笑いやんだエム氏はその後ずっと無言だった。
永遠とも思えた気まずい時間が過ぎ去り、会社が用意してくれたホテルの前でエヌ氏を下ろすと
「じゃあ明日の午前中に問題の養豚場まで連れて行きますから」
と言い残しエム氏の運転する車は走り去っていった。
「何だったんだ、アレは」
エヌ氏はぶつくさ言いながらキャリーバッグを押し々々フロントの前まで進んだ。その気配に気付いた初老のフロント係が、読んでいた手元の文庫本から顔を上げる。
「いらっしゃい」
妙に爬虫類顔のその男からエヌ氏は乱暴に鍵を受け取って部屋へと続く階段に向かった。振り返ると、フロント内に置かれた水槽の中から、フロント係の顔をしたイグアナがこちらを見ていた。
シャワーを浴びると、悪夢を振り払うように勢いよく頭を拭く。手早く着替えてエヌ氏はそのままベッドに倒れ込んだ。
酷くうんざりした気分だった。もう国に帰りたい。帰りたくて仕方ない。
気付くと、うつらうつらと夢と現の境界を行ったり来たりしていた。夢の中でエヌ氏は豚に追われていた。袋小路で豚と向かい合った時、彼はその豚が自分の顔をしている事に気付いて悲鳴を上げ目が覚めた。
全身が汗でびっしょりだ。この部屋は冷房が付いていない。エヌ氏は窓辺まで歩き窓を大きく開け放った。むわっ、と獣臭い空気が入ってくる。
「この国はおかしい」
声に出して言ってみると少し気持ちが落ち着いた。
ノックの音がした。
扉を開けてみるとエム氏が立っていた。さすがにそのまま放っとくわけにもいかず中に招き入れる。エヌ氏は内心かなり苛立っていたが、取り合えず奥に有った椅子を運んできて2脚並べて向き合った。
「すいませんね、こんな夜中に」
エム氏は卑屈な笑顔を浮かべ詫びを入れる。相手をするのも面倒なのでズバリ用件から問い質すことにした。
「一体何事ですか」
しっかりと目を覗き込みながら強い調子で質問する
「実は折り入ってご相談したい事がありまして」
エム氏が何時に無く真剣な表情をしたので釣られて顔を寄せる
「ばあ」
唐突に大声で叫ばれたので驚きで体がビクンとした。
悪戯が成功したのが余程嬉しいのか、ニタリニタリと崩れるエム氏の顔が癪にさわり、エヌ氏はその横面を引っ叩いた。
「いい加減にしなさい」
物凄いエヌ氏の剣幕に流石のエム氏もしゅんとする。
「今日、ここにお邪魔した理由はですね、お教えしたい事がありまして。」
ようやく真面目に話す気になったらしい
「本日、いや先日かな、空港からホテルに来る途中に見かけたと思うんですけれども、ペットを連れた人が沢山いましたよね。」
これはその通りである
「この国の人達は非常に動物を可愛がる、いや、可愛がりすぎるんです。」
話が本題に入ってきた様だった
「私も、赴任してきた当初は貴方と同じ程度の感想しか持たなかったんですがね、まるでペットを家族の様に扱う。いや、家族として扱うんです」
違和感が膨らんでいく
「そこで独自に調べたんですがね、あれは本当に家族なんですな」
言ってる意味が理解出来ない
「つまりですな、連中は動物と血が混じっているんですよ」
思考が停止する、脳が理解を拒んでいるのが分かる。
「まあ、この話はおいおい考えておいて下さい。それより明日、いや今日かな、行く養豚場の話なんですがね」
吐き気がする
「最初は、毎年数十頭の豚を買い付ける契約だったんですがね、牧舎から何までこちらが用意して育てさせて、いざ収穫という段になってから引渡しは無理だときた」
からからに渇いた喉を震わせて問う
「無理とは?」
エム氏が破顔する
「子供を売ることは出来ないんだそうです」
耐え切れず洗面所に駆け込んだ。嘔吐する背後でエム氏が馬鹿笑いしながら部屋を出て行く気配がした。
夜が明けた。エム氏との話し合いの後、一睡も出来なかったせいで目が霞む。顔を洗って部屋を出る。玄関ロビーで椅子に座っているとエム氏が迎えにやって来た。
「昨日は眠れましたか」
白々しい笑顔での問いかけに、エヌ氏は殺意を覚えた。
車中に至るまで一言も発しないエヌ氏に向かってエム氏は間断なく話しかけてくる。
「牧場主は凄い美人ですよ。いや美豚かなあれは。」
もうコイツの戯言にも飽きた。エヌ氏は昨晩の話は長期海外赴任で精神に変調をきたしたエム氏の妄想だと結論付けていた。
養豚場の少し前で降ろされたエヌ氏は一人でその事務所に入っていった。エヌ氏の会社の資本で建てられただけあって、この国に不釣合いに近代的な建造物である。受付で訪問を告げると、応接室で牧場主を待つように言われた。
真新しいソファーに座りながら昨夜の話を反芻し続ける。
馬鹿げた話だ
体が疲れている時は精神も疲れるものだ。あんな与太話を真に受けるなどと
自嘲気味に笑うと、改めて今日話す内容を吟味しておく。
と、遂に牧場主が応接室に歩いてくる足音がした。足音が少しずつ近づいてきて
扉の奥でブヒイと声がした。
【完】
この前、ブルドックそっくりな人を見ました