世界の中で
尚人さんに連れられて、私はまた尚人さんのアパートへと帰ってきた。帰る途中、尚人さんは一言も口をきかなかった。
濡れたまま部屋に入るのは憚られて、玄関にずっと立っていた。尚人さんは靴を脱いで中へ入り、タオルを取ってきて私の頭に被せた。そしてまた中へ戻って行ったけれど、私がつっ立ったまま何もしないのを見かねて戻ってきた。
「中に入れよ」
尚人さんは言ったけれど、私は迷っていた。また変わらず尚人さんの世話になっていいのか、と。
すると尚人さんは無言のまま、私の手を引いた。有無を言わせない程の力で。そして私を座らせた。
「こんなずぶ濡れになって…風邪ひくだろ」尚人さんはタオルで私の髪を拭いた。
「私は…透明人間じゃないんですね」
尚人さんの手が止まる。
「…お母さんに会ってきました。お母さんは私の姿がずっと見えてて…どっかに行ってくれてせいせいした、って言ってました」
最初から、私はいらない人間だったのだ。だから、お母さんは私を無視した。
いくら泣いても。叫んでも。
「尚人さん、言ってましたよね。私は透明人間じゃないって」
「…ああ」
「言われてもすぐ信じられなかったけど…あれって、思い知らせようとしたんでしょ?私は普通の人と変わりない、って」
「……」
「私はおかしいですよね?自分を透明人間だって思い込んで…思い込もうとして自分を守って…それで居場所も失くしてしまうんだから、笑ってしまう…」
いきなり尚人さんが私を抱きしめた。
「そんな風に言うな。悪いのは母親なんだから。…俺は、エリカがうちに来てくれて嬉しかったんだ。俺の両親は小学生の時に離婚したんだけど、母親と二人暮らしするようになってから、母親が外に男を作ってほとんど家に帰らなくなった。机の上にお金は置いていってくれたから、食べることには困らなかったけど…だから、家に誰かがいる、自分の帰りを待っててくれる人がいるのって憧れだったんだ」尚人さんは私を離して、じっと目を見た。「正直、俺はエリカが透明人間って思い込んでてもよかったんだ。どっちにしろ家にいてもらえるし…けど、エリカのためにはならないと思った。もっと広い世界を見てほしい、って思った。ひとりで出かけるのが怖いなら、俺が側にいる」
「私は…ここにいてもいいの?」
「もちろん」
私の目からまた涙が溢れる。いままで我慢していた分が全部出てきそうだった。尚人さんはその間、ずっと肩を抱いてくれた。
そのぬくもりで、安心できた。
このお話で第一章終了となります。
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